<ほぼ日読者のみなさまへ>
前回のコラムで触れた
数学者の藤原正彦さんに
直接質問をしてみました。
天才数学者の情緒
初めて歩く広いキャンパスに手間取り、
約束の2時をわずかに過ぎていた。
エレベーターを降りて研究室のドアをノックする。
「どうぞ」という声がかすかに聞こえる。
ゆっくりのぞき込むと、
青いワイシャツにグレーのチノパン姿の
藤原正彦が迎えてくれた。
やや広めの部屋の奥に本棚、藤原の机、
そして5、6人は座れるソファーが置いてあった。
忙しいなか時間を割いてもらった礼を述べると、
表情を変えずに僕の顔を見て
ソファーに座るよう手招きした。
藤原は少しばかり疲れた様子にみえた。
改めて自己紹介し、
共通の知人についてしばらく話をしたあと、
本題に入った。
「藤原さんはいつから論理と情緒について
話をされているんですか」
「もともとは、奈良女子大に岡潔(おかきよし)
という大天才数学者がいて、
彼が情緒が大事だと言い出したんです。
彼の言う情緒と僕の情緒とはちょっと違いますけどね」
「岡潔さんも数学者なのに、情緒が大事だと?」
僕は訊ねた。
「彼は仏教なんかにも詳しくて、
美的感受性を大事にしていました。
だいたい、論理で数学の発見はできないんです」
「論理で数学の発見はできない?」
「そう、大事なのは『美的感受性』と
『調和感』とでも言いますか、
そういうものがないと新しい発見はできない。
じゃあ数学の発見をするとはどういうことか。
高い山のいただきにある美しい花を
取りに行くようなものです。
もともと美的感受性がないと、
花を手に入れようとも思わない。
そこに花があることにも気づかないし、
登っていく意欲も湧かないでしょう」
数学は論理という僕の先入観を見透かしたかのように、
藤原は数学における発見について丁寧に説明した。
前回のコラムで、
藤原の言う『論理より情緒』に触れたが、
その藤原が今の世の中をどう見ているのか、
今後の日本についてどう考えているのか
直接本人に訊きたかった。
趣旨を書いた手紙を2度送り、
彼は時間をとりましょうというメールをくれたのだ。
実際に会う藤原は、
写真で見る穏やかさは変わらないものの、
口から出る言葉ははっきりして、
何よりもそのもの言いはかなり過激だった。
「人間は論理に弱いんですね。
例えば国際化の名の下に
小学校から英語を教えようと言われると、
一見筋が通っているから皆賛成する。
情報化時代だから子供の頃からパソコンを教えましょう。
これも筋が通っているから賛成する。
でもこれは間違っています。
人は論理に弱い。
だから国民に政治をするのは無理なんです。
政治はエリートがしなければならないんです」
藤原は真のエリートには
ふたつの資質がなければならないと言う。
「まず、文学、歴史、思想、芸術など
役にも立たない教養を身につけていることです。
役にたつものは情報と呼ばれます。
教養はまったく役に立たないものです。
ですが、こうした役にたたない教養を
持っている人間だけが、
圧倒的総合判断力を持つことができるんです」
「そしてもうひとつエリートに必要な資質は、
いざというときに国民の為なら
自分の命を捨てるだけの覚悟があるということです」
ふたつめはイギリスでいう
ノブレス・オブリージという考え方だろう。
藤原はこうした政治エリートが
日本から居なくなっていることを嘆き、続けた。
「じゃあ今の日本の官僚はというと、
省庁の利益しか考えない、
つまり自分の立身出世を求めるだけの
人間ばかりになってます。
これはもう『エリートなき民主主義国家の悲劇』です。
論理にだまされることなく、
道を選択していくことが大事なのに、
情緒を身につけた真のエリートがいないんです」
「北朝鮮の反日攻撃にしても論は彼らなりに通っている。
100年前に帝国主義を否定する人は居なかった。
劣等民族のために優秀な民族が
支配してあげるという理屈は、
あのころはすばらしい論理だった。
共産主義だって論理は通っていたんですよ」
藤原は一呼吸置き、あきれた口調で続けた。
「論理はあとになれば、ただの笑い話です」
競争を重視した今の社会の傾向も
いずれは笑い話になる類のものだと藤原は言う。
だが日本の最大の問題は『教養の衰退』だという。
「子供の頃友人が読んだ古典を自分が読んでないと
恥ずかしくて言えなかったものです。
でもいまはそんなことないでしょう。
教養が衰退すると何がいけないのか。
長期的視野が失われるんです。
長期的視野は教養からしか生まれない。
教養の衰退は文化の衰退につながっていく。
テレビで教養を伝えられますか。
テレビは情報は伝えられても、
教養は伝えられないんです。
教養は活字を追うことでしか得られないんです」
ここから藤原の言う
『読書離れが国を滅ぼす』という考えに
つながっていく。
読書離れが、教養の衰退に繋がり、
教養なき指導者には
論理に騙されずに道を選択する能力が欠如し、
国を誤った方向に持っていってしまう。
「日本は真のエリートをつくらなくなった。
旧制高校は教養主義のメッカだったんですよ。
それが戦後なくなってしまった。
日本が2度と立ちあがって
アメリカに立ち向かわないようにという
アメリカの思惑があった。
当時の教育を受けた人たちが、
15年前に引退し始めた。
そのころから日本はダメになってきてますよ。
学者と学識経験者が最後の砦だったのに、
それもここ10年危うくなってきている。
テレビに出た学識経験者が何を言ったか
検証してみればわかる。むちゃくちゃだ。
特に教育学者とエコノミスト。
自分が言ったことが間違っていることがわかっても、
反省もない。
自然科学からみると信じられない。
恐るべき傲慢さだよね」
「なぜ最後の砦までダメになったんでしょう?」
「学者自身も教養を亡くした。特に理系。
文部省にひざまづいて、学問の自治も、誰も言わない。
研究費をもらうために意地汚くなっている。
他の省庁は力が落ちているのに、
逆に文部省は力が強くなっているんですよ。
国立大学も大学の自治について議論すらしない。
ノーベル賞だって、あれは過去の人。
過去の業績で今もらっているんですよ。
小柴さんも旧制高校で育った人です」
「最後の砦もダメとすると、
日本はどうすれば?」
「日本はあがいています。
もう対症療法ではうまくいかない。
GHQのやりたい通りになった。
旧制高校で育った75歳以上はいいが、
65歳以下はろくなのがいない。
65歳から75歳はグレーだ。
教育を立て直すしかないんです。
例えばいじめをなくすには、
『ひきょう』を教えるのが手っ取り早い。
小学校でけんかを見て見ぬ振りをしたときに、
ひきょうだと教えることもできる。
『他人の不幸への敏感さ』は
貧困から学ぶことができる。
僕らの子供の頃、クラスには必ずひとりふたり、
弁当を持って来られなくて、
お昼になると外に出てしまう子供がいた。
そういうところから
他人の不幸への敏感さを学んでいけた。
だが、いまはきれいごとばかり。
日本の教育学者もアメリカが失敗したことを
遅れていま日本でやっている。
教育界はまったく荒れ果てています」
「何から手をつければいいでしょう」
「答えを教えましょう」
藤原はかすかに身を乗り出して続けた。
「初等教育の国語なんです。
いまは実質3〜4時間。
これをもっと増やすことです。繰り返しますが、
情緒は活字を追うことでついていきます。
読書をすることで教養も自然に身についていきます。
『もののあはれ』『貧困への思いやり』
『美的感受性』などです。
その人たちがいい親になり、いい先生になる。
そうすれば変わっていきます。
孫の世代で立て直せます」
「情緒力ではアジアは強みがあるのでは?」
「例えばアジアは親孝行の意識がある。
だがアングロサクソンには薄い。
日本的情緒を身につける。
それは国際人になることでもある。
国際人とは英語の力ではないんです。
グローバリズムと言うが、
21世紀はローカリズムの時代です。
すぐ世界を便利にと言うが便利にしてはいけないんです。
その地域地域の文化を残していくことこそ必要です」
最初は疲れているように見えた藤原の言葉は
次第に熱を帯びた。
「グローバリスムはアメリカの国益になるから
アメリカは主張しているんです。
グローバリズムにのせられて、
日本はアメリカにしてやられた。
例えばアングロサクソンは
顔色ひとつ変えずに人を殺せるが、
ラテンは泣きながら人を殺す。
ラテンの方が人間らしいとも言えるが、
敵にしてはいけないのはアングロサクソンです。
彼らは相手をやっつけるのに、
100年計画すらたてるほどです」
「そのアングロサクソンが中心になったイラク戦争を、
日本が支持したことについてはどう思いますか」
「歴史的に見てもこれほどひどい戦争はない。
でも日本は、消極的ながら
人殺しを支持しなくてはならなかった。
北朝鮮がこういう状況であるかぎりは仕方なかった。
歴史はその時になると、
ひとつしか選択肢がなくなる。日米開戦も、
私が首相だったとしても宣戦布告したと思う。
石油を止められ、アメリカ国内の資産を凍結までされた。
ここまでくると攻め込むしかなくなる。
負けることがわかっていてもです。
そうなっちゃいけないということです。
だから前もってちゃんとしておかなければならない。
問題は真のエリートがいないことです」
「大きなグランドデザインを首相は描くべきです。
側近と数人しか知らなくてもいい。
たとえばアメリカは将来日本を見捨てる可能性がある。
アメリカは歴史的に見て親中国。
20年〜30年後には日本にとって敵は中国かもしれない。
そうすると北朝鮮と韓国は味方。
金正日政権は倒れてもいいが、
北朝鮮の国民は敵に回さないほうがいい。
未来の味方なのだから。
またインドは核を持っているから、
日本がインドと仲良くすると中国はやりにくいだろう。
仲良くとは軍事でなくてもいい、
文化でもなんでもいいんです。
イギリスはこうした戦略をたてて
周辺の国とつき合って来た」
「日本とイギリスはよく似てるんですね。
イギリスはヨーロッパのまま子。
ヨーロッパでありながら、ヨーロッパじゃない。
日本もアジアのまま子。アジアでありながら、
周りも自分もアジアの意識が薄い。
ふたつの国ともに中途半端。
かつての日英同盟はすばらしい同盟だった。
当時はアメリカの陰謀で解消せざるを得なかった。
似たもの同士、日英同盟を結ぶのもいいかもしれません。
軍事ではなく、文化や経済でもいい」
イギリスにも留学経験がある藤原はそう言って微笑んだ。
日本を変えるのにいま始めたとすると
何年かかりますかという質問に対し、
藤原は40年と答えた後、強い口調でこう話した。
「日本人には独創性があります。
特に文学と数学です。
もし数学にノーベル賞があったら、
20以上はとれていたと思いますよ。
少なく見積もっても10は堅いでしょう。
文学と数学は特に美的感受性が必要なんです。
日本人にはそれがある。
自然への繊細な情緒を持っているんです」
約束の時間が迫っていた。
ひとつ訊いておきたいことがあった。
父親についてだ。
藤原の父は作家の新田次郎。
藤原は、父が訪ねたポルトガルを歩き、
自分の中での父の存在を確かめる旅に出る。
その旅の思いをつづった作品も残している。
藤原が情緒にこだわるのには、
作家である父の影響はあるのだろうか。
「小さい頃、庭に草の露がきらきら光っていると、
父は光の屈折率の話をしてくれました。
父は気象庁に勤めていましたから。
それと同時に、露を見て即興で俳句をつくろうと言って
一緒に作ったりもしました。
父がそうした教育をしてくれてよかったと
感謝しています」
時間が来て僕が礼を述べた後も、藤原は話を続けた。
アメリカのデリバティブに
いかに日本経済がやられているか、
この分野では規制強化が必要と力説した。
藤原は、日本の行く末をこれほど
憂いている人間はいませんからと微笑み、
でも僕の言うことは極端ですからと、
いたずらっぽく付け加えることも忘れなかった。
そして最後に言った。
「どの国も帝国になってはダメなんです。
世界がチューリップだけになってはいけない。
世界はいろいろな花があってこそ美しいんです」 |