糸井
先日お会いしたとき、不思議な会に
参加されてたじゃないですか。
石川
そうですね、「雑談する会」というものに
参加していたんですけれど。
糸井
雑談をする……ええと、
あれは具体的にはどういうものなんでしょう。
まさにそのまま「雑談する会」なんですか?
石川
そうなんです。
発起人のかたがいて、みんなで集まって、
「特に目的なく、そのときそれぞれが
興味がある話を雑談しよう」
という、それだけの会なんです。
毎回とくにテーマも決めずにやってますね。
糸井
あれを夜の飲み会にせず、
昼間されてるんですか。
石川
昼間やってますね。
ぼくは研究者なんですが、
研究者にとっての息抜きって、
違う分野の人たちと
ディスカッションすることなんです。
糸井
そうなんですか。
石川
他の人がどうかはわからないですけど。
研究してると、やっぱり行き詰まるんです。
それで、壁にぶつかったときには
乗り越えようと頑張るんですけど、
難しい場合も、ずいぶんあるんです。
そんなときぼくらは
「いちど寄り道する」というアプローチを
とることがあるんですね。
まったく違うことを話していると
思いがけず先の景色が見えるときって
あるじゃないですか。
糸井
あ、ありますね。
石川
そういう意味でも、みんなで雑談するのが
すごくおもしろいんです。
あと、研究というもの自体、
そういった「直感的に答えがわかる感覚」が
大事だったりするんですね。
研究って、ロジックだけでは
そんなに進めることができないんですよ。
たとえば、すごい仕事をしてきている
一流の研究者ほど、じつは
ロジックが弱かったりもするんです。
糸井
そうなんだ(笑)。
石川
ええ。科学ってそもそも
「解ける問題を解く技術」なんですね。
問いはもう、たくさんあるんです。
そしてそのなかには
解ける問題も解けない問題も混じってます。
だから研究者としては、
「どれがほんとに解ける問題なのか」とか
「どの問いがいちばんおもしろいか」を
ロジックを超えて、
直感的にわかる感覚が大事なんです。
糸井
へえー。
石川
そういう意味でいうと、一流の研究者たちの
「直感で本質をとらえる力」って、
それはもう、すごいんですよ。
もちろんロジックが非常に強い
研究者もいるんですけど、
最初、直感的に問いを見つける人と、
そこからロジックで歩んでいく人って、
持ってる筋肉がもう全然違うんです。
糸井
石川さん自身はどちらなんですか?
石川
ぼく自身はもともと
ロジックで歩もうとしてたんですが、
途中で直感型に切り換えました。
糸井
え、そういうことって
切り換えられるものなんですか。
石川
切り換えられましたね。
糸井
そこは、なぜ切り換えたんですか?
石川
ロジックで進んでいく力って、
たとえばロシアの研究者とかには
絶対に勝てないんですよ。
彼らは小さい頃からの英才教育で、
「問題を解く力」が半端なくあるんです。
糸井
そうなんだ。
石川
そして、ぼくは以前
アメリカに留学していたのですが、
そのとき、日本人は意外と、
直感や情緒から問題の核心をつかむのが
得意なことに気づいたんです。
で、自分もそちらのアプローチにしたら、
人生がすごい開けてきたんです。
糸井
ロジックで進むよりも、
直感で本質をとらえるほうがたのしかった?
石川
より、おもしろくなりましたね。
ただ、直感型には直感型の難しさがあって、
直感を頼りに研究していると、
喜怒哀楽を使わないといけなくて、
感情の起伏がすごく激しくなるんです。
だからそこはものすごく疲れるんですけど。
糸井
ああー、なるほど。
わかる気がします。
石川
あの、実は感情って
「疲れる感情」と「疲れない感情」
というものがあるんですよ。
たとえば「幸せ」なときとかって、
人は疲れないんです。
ロジック機能がオフになるから、
脳は疲れないんですね。
糸井
つまり、満ち足りていて
解決すべき問題がないから。
石川
そういうことです。
逆に「希望」という感情は、疲れるんです。
「希望」は「幸せ」と同じタイプに見える
ポジティブな感情ですけど、
「希望」のときは「幸せ」と違って、
目的意識があって、
すごくロジカルに考え始めますから。
糸井
「希望」のなかにいるときは、
現実と感覚の間に齟齬(そご)があるんですね。
だから、疲れる。
石川
そうなんです。
あと「不安」も疲れます。
だから実は「幸せ」という感情は
感情としては
「希望」よりも「怒り」に近いんですね。
怒りで「くそっ」となるときってあるじゃないですか。
そういうときも、ロジック機能がオフになるから、
疲れないんです。
糸井
はー、そっか。おもしろい。
石川
あとでそのことについてあらためて
考え出したりすると疲れると思いますけど、
「怒り」そのものでは疲れないんですね。
本能とか直感で話すときって、
脳は全然疲れないんです。
あと「たのしい」もそうですね。
糸井
そういえば昨日、
鎌倉投信の新井さん
という方と
けっこう長い間、話をしたんです。
お互いに会話のラリーが好きなもの同士で、
明らかにエネルギーを消費した感はあったんです。
だけど、話がおもしろくて、
ぐったりした疲れとはまた違いました。
石川
たぶん、脳のほうは
疲れなかったんでしょうね。
糸井
そうなんだと思います。
いまの「希望は疲れる」で思ったんですが、
会話をピンポンに例えるとしますよね。
ピンポンの醍醐味って
「ラリー自体」だと思うんですよ。
ピンポンって、球が台の端にポンと当たったりとか、
「勝ち負け」が決まる瞬間が注目されやすいけど、
実際には、打ち込む人と、打ち返す人の
やりとりがいちばんおもしろいところで、
「勝ち負け」はじつはそのオマケ、ともいえる。
ラリーをたのしんでるだけだと疲れないけど、
「勝ち負け」のピンポンは、すごく疲れると思う。
「希望が疲れる」というのは、
その感じと近いのかなと思います。
石川
たしかに、そうかもしれないですね。
会話にしても
相手を「言い負かしてやろう」と思うと
疲れるというか。
糸井
ほんとにそうですね。
石川
これは朝日健太郎さんという
バレーボール選手の方に聞いた話ですが、
日本のスポーツ選手って、
「勝ち負け」にすごくこだわるらしいんです。
糸井
ああ。
石川
たとえば国際大会とかに出場すると、
イタリアやブラジルのチームは
ホテルに帰ったらロビーで
楽しくおしゃべりしてるらしいんです。
でも、日本人選手は負けたらもう
がっくり落ち込む。
日本の選手は、他国の選手より
終わったあとも勝ち負けを気にしすぎるんだよね、
とおっしゃってました。
あと、長く活躍できる選手は「勝ち負け」より
「プロセス」に注目するらしいんです。
勝った負けた、入る入らないに
こだわり過ぎる選手は、つい無理をして、
長く活躍できないことが多いらしくて。
糸井
「勝ち負け」のことばかり考えてると、
やっぱりコンディションって
保ちにくいですもんね。
たしかにそういうことって、
スポーツで考えるとわかりやすいですね。
(つづきます)
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