吉本隆明さんは、長期にわたって
「生命について」「死について」を
テーマにした講演を行っています。
日本や世界の人びとが
どのような理念や宗教にもとづいて
「死ぬ」ことを納得してきたのか、
考えの移り変わりを追いかけます。
死というものを考えることは、同時に
「いかに生きるのか」という課題が
含まれてきたことを指摘します。
三木成夫、ワトソン、フロイト、宮沢賢治、
エンゲルス、ベルグソン、フーコー、
ボーヴォワール、そして、親鸞‥‥
人間ははじめから死に対して生きており、
身体(細胞)は死んだり生まれたりしている、
死は医学が決めた瞬間に
やってくるものではない、など、
さまざまな哲学者や科学者の考えを伝えます。
そして、死後の世界の存在や臨死体験についても
無意識の世界をさぐることで、
見えてくるものがあるのではないか、と語ります。
また、精神病理学者キューブラー・ロスが調査した
「死の段階」を、吉本さんは紹介します。
死が必然だと思われたとき、人はまず
事態に対して「否認」をします。
そのあと「憤りと怒り」がやってきます。
そして、自分に時間があれば
これとあれをやる、という、
神を対手にした「取引き」の段階が
やってくるのだそうです。
取引きの段階が過ぎると、「憂鬱や悲嘆」が
やってきます。
そして、最後に「受け入れ」という
段階が来るのだといいます。
この5つの段階は、とりもなおさず、
生きている我々が
日々ぶつかるさまざまなできごとへの対処、
心がたどる道すじに
そのままあらわれているのではないか、と
吉本さんは語ります。
自然科学と哲学が
まじわるところで、
わかるところは自分に
わからせておいて、
怖がることはなく、
ただ、まだ残っている問題が
もっと奥のほうにある。
これからの生命論が
めざすべき場所は
そこにあるんだ、
そう吉本さんは結びます。
生と死の問題、死と死後の問題は、
それだけを取り上げるのではなく、
肉体的であり、社会的であり、政治的でもある。
集中しながら発展していく生命論を、
どうぞお聞きください。
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