吉本隆明さんが2008年に行った大きな講演
「芸術言語論──沈黙から芸術まで」を
計画していたとき、
ひんぱんに名前が出たのが、
『遠野物語』を書いた民俗学者
柳田國男でした。
吉本さんは当時、このように話していました。
「柳田國男が著してきたものは、ともすれば
エッセイのように
思われることがあるかもしれません。
しかし、書かれている
2行を取り出すだけでも、
そこから論文ができあがるほどのことが
入り込んでいます。
柳田國男が『海上の道』で成したのと
同じようなことを
自分もできるのか、
この講演で確かめたいのです」
日本各地をめぐり、
土地の人やものとつきあった時間が
柳田國男の発見には込められていて、
それが学問としてだけではなく
血肉として湧き出しているのだと
吉本さんは言っていました。
講演のなかで、吉本さんは
柳田國男のイメージの持ち方、歴史のとらえ方の
有効性について語ります。
「支配者がどう変わっていったかが
歴史なのではなく、
常民がどんなふうに
日本列島にやってきて
どんな生活をし
習俗をこしらえたか、
どんな物語をつくって
生活をたのしんだか、また、
苦労をしたか、ということが
ほんとうの歴史である。
それが柳田國男の根本的な考え方でした」
嗅覚、聴覚、視覚、といった人間の五官が、
どう反応して流れをつくるのか──
論理ではない場所でアプローチする、
根気強い「歴史のとらえ方」が
いかに重要な認識であるか、吉本さんは主張します。
また、柳田國男の「視点」のぶつかり合いは、
吉本さんがもとうとしていた「ふたつの目」に
つながるような気がします。
「柳田國男は山の人にも里の人にも
関心をもちました。
その両者の接点のところで
『遠野物語』はつくられました。
このことは柳田國男の
たいへんなお手柄であり
とても重要なことに思われます」
吉本さんが柳田國男を意識しながら
言語の芸術について迫った講演
「芸術言語論──沈黙から芸術まで」も
あわせてお聞きください。
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