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時間
72分
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音質
「ドストエフスキー死後百年祭」で
行われた。
全編に周辺ノイズが入っている。
教会で行われたため音が響くが
ライブ感あふれる録音。
会場は満員であった。 -
講演日:1981年2月7日
主催:ロシア手帖の会 協賛・新潮社
場所:渋谷・東京山手教会
収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
講
演
よ
り
ドストエフスキー的な主人公である
『白痴』のムイシュキン公爵のような性格は、
一見すると現代的です。
そしてこれを現代的と解する限り、
病的あるいは異常という類型にあたります。
病的、異常であるがゆえに、
自分の振る舞いや自分の招き寄せてしまう悲劇に
無意識なのだと解されるのです。
けれどそう解したとき、
なぜかドストエフスキーが
これらの主人公たちに抱いている親愛感や、
それに応えるような主人公たちの
何ともいえない規模の大きさのようなものが、
見落とされてしまうような差異感を覚えます。
僕たちはどうしても、
ドストエフスキーが自分の作品世界に、
眼に見えないロシアのアジア古代的な感性や
思想性の枠組みを施しているという
仮定に導かれるのです。