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時間
73分
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音質
主催者から提供を受けた
VHSテープから
音声データを抜き出した。
クリアに収録されているが、
冒頭の司会と前半部に
ノイズと残響音がある。
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講演日時:1988年8月30日
主催:関東学院大学文学部/関東ポエトリ・センター
場所:関東学院大学葉山セミナーハウス
収載書誌:未発表
講
演
よ
り
三好達治の詩でも立原道造の詩でも、中原中也の詩でも、
半ば無意識的に最初の言葉さえぶつけられれば、
そこから意識の持続がある限り詩は成り立って、
持続が終わったときは詩が終わる。
そういうものが一般的に詩と考えられるとすれば、
荒地派の詩人たちが日本の詩のなかにもたらした
方法というのは、
「推敲可能な詩が書ける」ということです。
流れを止めて考え込む、
立ち止まって自分が書いた詩の一行を
自分でじっと検討してみる──そういう詩の書き方が
可能だということをはじめて教えてくれたのが、
荒地派の詩だと思います。