(※不明な箇所は■■と記しています)
ええと、寺山さんの話をしていきたいと思うわけですけど。僕は寺山さんのお芝居はそんなに観てないんです。ですから、もしかすると寺山さんの一番、寺山さんの力を■■■ことを知ってないかもしれないですので、■■■ではないことを、一応お断りします。それで今、僕らがよく知っているのは、歌人と言いますか、短歌の作者としての寺山さん。そこから僕の寺山さんというのははじまっています。ですから、そこらへんから始めるのが一番良いと思いますので、そこから始めていきたいと思います。
で、寺山さんの短歌っていうのの、特徴って言いましょうか。それはどういうところにあるかっていうと、まあいくつかこうかいつまんでしまいますと、一つは一種の物語性と言いましょうか。短歌の中に物語性っていうことを導入したっていうことが、寺山さんの一つの、短歌の大きな特徴だし、それはまあ現在で言えば俵万智さんみたいな人にも繋がっていっている、まあなんといいますか、大きな意味を短歌の歴史の中でも持ってるんじゃないかと思います。
で、あのー物語性って言ってもまあ色々あるわけで、寺山さんが一番当時影響を受けたのは、多分啄木だと思うんです。啄木っていうのは短歌の中に物語性を入れて導いてきた最初のって言いましょうかね、一番最初の歌人であるというふうに言えると思います。寺山さんもしいて近代短歌の中で系譜付ければ、啄木の系譜に入っていくところからはじまったんだというふうに思います。で、実は啄木の短歌っていうのと寺山さんの短歌の物語性は、同じ物語性としてどこが違うかってのを考えてみますと、啄木は一種の現実の生活場面とかその他社会的な場面とかがありまして、その場面を映すって言いましょうか。場面を詠うっていうことの中で物語性が実現したって言えば、啄木の短歌の特色を寺山さんと比較する時に一番良いんだと思います。で、寺山さんの物語性っていうのはあの、現実の生活の場とか、社会的な場面に物語性を見つけたというよりも、あのーなんといいますか、“言葉”っていうものの感覚的なきらめきっていうものの中に、物語性を導いたって言えばいいんじゃないかと思います。啄木との違いっていうのは非常にはっきりするんじゃないかって思います。
でも、この違いはある場所ではもうおんなじようになっちゃっているし、ある場所ではまるで違うっていうふうにこう、非常に幅を持っているっていうふうに思います。ちょっと例を挙げてみましょうか。ええと、寺山さんの初期の短歌で、
煙草くさき 国語教師が言うときに 明日という語は最もかなし
という短歌があります。で、次はまあ似てはいないんですけど、比較的それに近いような啄木の短歌を言い並べてみましょうか。
夏休み果ててそのまま かへり来ぬ 若き英語の教師もありき
っていうのがこれ啄木の歌です。そうすると今お聞きになったとおり、両方はほとんど違いないというぐらいに思います。つまり物語だと思います。この啄木の短歌も物語で、一首の短歌が終わったあとで「そいじゃあこの英語の教師っつうのはどうしたのかな?どこへ行っちゃったのかな?」とか「女と駆け落ちしたんじゃないか」とか、読んだあとで我々はすぐに、物語をたくさんその中に付け加えることができるわけです。この寺山さんの短歌でもそう。煙草くさい国語教師が〈明日〉っていう言葉を言う。その〈明日〉っていう言葉が、寺山さんは最もかなしいって言いますから、なんとなくこうしょぼくれた国語の先生が、明日っていう言葉になんか特別な意味を込めてるように見えたのが、何とも言えずかなしいっていうふうに寺山さんは感じたんだと思います。でも、これも一首の短歌を読んだあとで、
なんか物語を付け加えようとすればいくらでも付け加えられるし、その付け加えるイメージが物語■■■まったく■■■そこらへんのとこが、寺山さんの短歌の物語性が啄木の物語性とよく似ているところじゃないかっていうふうに思います。
だんだん、要するに寺山さんの短歌の道っていうのが、どういうふうにいったかっていうと、物語性をどんどんつき詰めていくことでその、なんていうんでしょうね。これはちょっと寺山さんだけしか実現してこない短歌の世界なんですけど、だんだん物語性を込めること自体がまた別の暗喩…メタファーになってるっていいますか。“喩”になってるっていいますか。そういうところまでつき詰めていって、もう極限までそういう意味合いではつき詰めたんじゃないかなっていうところまで、寺山さんはいってしまいました。しかし啄木はあくまでも現実、生活の一場面っていうのを物語化するっていうことを終始一貫やめなかったんです。これはもうそこまでいきますと、寺山さんの短歌っていうのは啄木とはまったく違う物語性のほうにいくわけです。ただ、例えば啄木による短歌で、ええと…
打明けて語りて 何か損をせしごとく思ひて 友とわかれぬ
というような短歌があります。また、
誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか
っていう啄木の短歌があります。つまりこういう物語性っていうのは、啄木がはじめて短歌の中に導入したものですけども、要するに“一瞬の物語性”なんです。つまり一瞬の物語を、その瞬間を逃さず定着してるっていうのが啄木の短歌の■■■だと思うんです。一番わかりやすいのは子規系統。正岡子規とか斎藤茂吉とか、その系統の人たちの短歌を見ればわかるんですけど、そこでは「短歌は物語性じゃない」っていうことになるわけですけども、啄木だけは非常に瞬間の物語っていうのを定着しているわけです。この物語性っていうのは瞬間的でありますけれども、啄木の短歌っていうのは「なんでもないことを言っているじゃないか」っていうふうに見えて何故滅びないかっていうのは、瞬間の物語性っていいますか、我々の一瞬の心理っていうのを、非常によく写真のように短歌の中に描き込めているっていうことだと思います。
つまりこんなのは、過ぎてしまえばなんでもないことになっちゃうんですけど、ある瞬間をとって描けば、なんか打ち明けてなんかしゃべって、なんとなく損したような感じでもってまあ友達と別れたっていうのは、誰でもある瞬間に感じるといいますか。非常に見事な心理状態の見事な定着だということが言えます。今言ったもう一つの、
誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか
っていうのも、かなしくもあるかっていうのはちょっと誇張ではありますけど、こういった■■■立ち向かうっていうことはよくあるわけですよね。「あいつえらそうだな」っていうことは、誰にでもあるわけです。つまり喧嘩の一瞬といいましょうか、それをよく一種の物語として定着して、それはしかし一般人に誰でもある時感じるし、また逆に感じられるといいますか。「えばっているように感じられちゃった」という体験ならば、誰でもあるわけです。つまりどちらかの体験っていうのはあるわけです。それを啄木は非常によく定着しているわけです。
で、寺山さんの短歌はあきらかに啄木から出発したっていうように思えるんですけど、寺山さんの物語性っていうのは、啄木に比べれば生活の色合いっていうのはないんです。そのかわり感覚的で新しい、つまりモダンなきらめきっていいましょうか。それはもう寺山さんの短歌は初期からありました。啄木を真似しながらも啄木とは違うとこはそこなんですけど、それはまあ初期からあるわけなんです。
あのー僕は自分のこともそういう風に思うときあるんですけど、寺山さんっていう人はたいへん孤独な人で。僕はよく「インディアンに囲まれたアメリカの兵隊」とか、逆に「アメリカの兵隊に囲まれて砦にこもったインディアン」っていう、どちらでもいいんですけどどちらかの比喩で言うことがあるんですけど、寺山さんも大きな比喩でいうとそこだと思うんです。そうするとどういう特色があるかっていうと、砦の中に本当は一人しかいないんですけどね、こっちから銃弾を撃ったと思うと今度は違う窓から撃ったりして。つまりたくさんいるように見せかけていると言いましょうか。砦にこもって囲まれて、いろんな銃弾からいろんな撃ち方をして、たくさんいるかのごとく見せているけれど、本当は孤独なんだよという。孤独でひとりで頑張ってるんだよというのが、寺山さんの姿でしょうか。
寺山さんはあらゆることを、あらゆる分野を―短歌から俳句から詩から、それから散文から小説から、あるいは戯曲まで含めてあらゆることに手を出している。それは「砦にこもった単独者」っていうものの非常に大きな特徴だと思います。見せかけるわけじゃないんですけども、たくさんいるかのごとく見せざるを得ないっていう、そういう場所に置かれるっていうのが非常に大きな特徴で、寺山さんもそうだと思うんです。で、寺山さんもそうだとすると、「兵隊に囲まれたインディアン」っていうふうに比喩してもいいんですけど、天然、自然と仲良くしてる感覚ってのがインディアン的なわけですけれど、寺山さんはそういう意味合いで言ったらば、アンチ・インディアンなんですね。つまり、天然、自然よりも寺山さんの関心があったのはやっぱり人間なんです。それもかなりモダンな人間関係って言いましょうか。それが、寺山さんの中で物語をつくるっていう特色ですから、そういう意味合いでいったらインディアンっていう種類にはならないんですけど、でも砦の中にひとりこもって、たくさんの銃弾からいろいろな鉄砲を撃ってみるっていうのは、たくさんいるかのごとく見せるっていう手段というのは、自然に寺山さんは身に付いちゃったものだと思います。かなり、モダンなものだっていうことができると思います。
寺山さんの短歌っていうのは、物語性っていうのをモダンな形でどんどん突き詰めていくっていうところに、歌人としての寺山さんの特色があったわけですけれども、ついに僕の理解している限りでは『田園に死す』っていう歌集でまず寺山さんの短歌との決別って言いましょうか、歌の別れって言いましょうか。それが『田園に死す』っていうところで極まったというふうに言うことができると思います。つまり、『田園に死す』っていう歌の内容っていうのはちょっと、日本の近代つまり明治以降の短歌の歴史の中では一人もいないです。寺山さんははじめてのことをやったっていうように思います。つまり寺山さんの物語性っていうのと比喩性っていうのが、両方とも極限まで重ね合わさっちゃってるっていうようなことになるわけです。例えば、誰を例にとってくればいいかっていうとまあ、当時寺山さんと並んで塚本邦雄とか岡井隆とかっていう良い歌人がいたわけですけども、そういう人たちの短歌っていうのは、要するにメタファーっていうのを使うし、また一編の短歌がメタファーになっているっていう短歌も、まあ塚本さんなんかは特にそうですけども、つくるわけです。要するに、メタファーでありそれが同時に物語なんだっていうことは、従来の近代短歌の概念では、まず不可能であるっていうふうに思われていたことです。
で、僕は寺山さんはそれを『田園で死す』でやっちゃったって思います。つまり、物語性っていうのと比喩性って言いましょうか暗喩性と言いましょうか、両方を重ね合わせる仕事っていうのを、短歌の表現でやっちゃったっていうのが『田園に死す』の中身になってる短歌だと思います。これは近代以降の日本の歌人が、たぶん誰もやることができなかったことですし、また今もやられていないことだと思います。つまり『田園に死す』だけはちょっと隔絶した良い作品だし、また意味深い作品だと思います。
あのー言うだけでもあれでしょうから、二、三読んでみましょうか。ええと例えば…これ、全部比喩表現だと思いますよ。
たった一つの 嫁入り道具の仏壇を 義眼のうつるまで磨くなり
義眼っていうのはあの義眼ですね。それからこれもフィクション、全くのフィクションだと思います。老い木の脳天裂きて来し…あ、こりゃなんか俺間違えたな。(会場笑い声)ろうぼく、老木かな。
老木の 脳天裂きて 来し斧を かくまふ如く 抱き寝るべし
これもフィクションの物語だと思います。フィクションの物語であるし、それではフィクションの物語だけかっていうとそうではなくて、この全体が何かの暗喩になっているわけです。何かっていうのが寺山さんの本質的に、言葉ではなくて表現したいことなんでしょうけど、全部フィクションかつメタファーになっているっていう作品です。もっとやってみましょうか。
村境の 春や錆びたる 捨て車輪 ふるさとまとめて 花いちもんめ
良い短歌だと思いますけど。フィクションであり物語であり、そしてつまり何かのメタファーになっていると思います。
寺山さんにとって、メタファーでいつも言いたい“何か”っていうものが何なのかが問題になってくると言うことができそうな気がします。でも短歌として、こういう短歌っていうのはつくった人がいないわけであります。物語の短歌だけなら、それは啄木の系譜の人が■■■から俵万智にいたるまで、物語の短歌っていうのはある意味でたくさんつくられています。しかし物語の短歌であって同時にそれが何かのメタファーになっている短歌っていうのは、たぶん今まで誰にもつくられていないわけです。
つまり言ってみればその物語性っていうのとメタファーっていうこととは、短歌の中では少なくとも二律背反であって、どっちかをやろうとすればどっちかがだめになるっていうような関係にあると思います。で、寺山さんは唯一たぶん両方が一緒になってる、つまり何かの比喩であり同時に物語であるっていう、虚構の短歌だっていえば虚構の短歌なんですけど、それをやっちゃっているっていうことです。
虚構の短歌っていうのは絵空事を言っているっていうことになりそうですけども、それが絵空事にならないっていうのはなぜかって言えば、それが何かの比喩になっているからです。それでその何かの比喩っていうのは、たぶん寺山さんの本質に関わることなんじゃないかっていうふうに思います。『田園に死す』の短歌っていうのはたいへん注目すべき短歌で、寺山さんの言葉で書かれた散文も詩もあるわけですけども、その中でずいぶん特筆すべき歌集なんじゃないかと思います。つまりここらへんのところはゆくゆく、僕らが今でも検討していかなきゃいけないなっていうことに属すると思います。
寺山さんのそれ以前の初期の短歌とかそれまでの短歌でしたら一種の物語性の短歌で、これは方向的には啄木が明治の末年頃にやっちゃったことだって言えばやっちゃったことなんですね。上手いだとか良い作品っていうのを別にすれば、啄木がすでにやっちゃったことなんです。啄木がすでにやっちゃった後ですから、物語性がある短歌って言うのはそれほど不思議ではないわけですし、物語性がない短歌っていうのはつまり、天然、自然っていうのをどれだけよく写生するかっていうか、言葉でもってどれだけ切り刻むことができるかっていうことならアララギ派の歌人が非常に優れた作品を残しちゃっているわけです。ですからそれはあるわけですけども、物語性のある短歌でしかもそれが物語だからそれは嘘じゃないかって、嘘の感情じゃないかっていうんじゃなくて、それが同時に何かの隠された比喩になっているものですからそれは何かを意味しているんだっていう。つまり何か非常にリアルな心の動きの、何かを意味しているんだっていう短歌っていうのは寺山さんがはじめてやって、今も(誰にも)やられてないんじゃないでしょうか。
例えば福島泰樹みたいな人の短歌っていうのは、物語性は十分ある短歌ですしまた良い短歌ではありますけれども、なんかのメタファーだっていうふうなものは無いわけです。それはまた福島さんが必要でないって言えば必要でないわけです。つまりそれは、物語性のある短歌がリアルな感情、リアリティがあればそれでもう短歌は十分なわけで、それで良い作品ならそれで十分っていうことになって、メタファーである必要は何にも無いっていうことになるわけです。これは俵万智さんでもおんなじで、『物語参加者』っていう良い作品がありますけれども、■■■同時にメタファーであるっていうふうにはほとんど作られていません。つまりそれは何故かっていうと、そんな二重性は別に必要でないからです。
ある意味で寺山さんが『田園で死す』でやったことは、短歌の死って言ったらいいんでしょうか。短歌としてはもうどん詰まりって言いますか行き詰まりって言いましょうか、あるいはもう極限なんだと。これ以上短歌の表現っていうのは成り立たないし、また要らないですよっていうようなものだと思います。つまり、そこまで物語性と比喩性って言いましょうか、それを二重に実現しちゃってるっていう短歌っていうのは存在しないわけです。まただいたいそれは要らないと言ってしまえば要らないわけです。で、寺山さんの短歌でもそういうのはあります。ちょっと読んでみましょうか。
生命線 ひそかに変へむために わが抽出しにある 一本の釘
っていう短歌。これはもう物語性を感じる短歌です。つまり掌の生命線がどっかで切れてて、生命線が切れてるのは短命な証拠だっていう固定観念があって、それが嫌なもんだから釘でもって切れてるところをひっかいてつなげよう、みたいにしたっていう短歌だと思いますけど。たいへん物語性が豊富な短歌です。だけどもこれはメタファーじゃありません。そっくりそのままで理解できる短歌であって、メタファーではありません。つまり「こういうふうにあるとき作者はやってみたよ」とか「こういうふうにやったことお前あるだろ?」っていうふうに考えれば、なかなか良い作品だっていうことになると思います。けどメタファーではありません。つまり比喩ではありません。事実を非常にうまく物語として短歌に定着しているっていう作品だと思います。
『田園に死す』の中にもこういう作品も、もちろんあるわけです。ですけど今申し上げました通り、比喩と物語性が一緒に二重に込められている作品っていうのは、どちらかと言えば『田園に死す』の主流だと思います。つまり、こういう短歌っていうのは寺山さんがはじめて実現できたんだと思います。
それじゃあ物語性があって事実であれば、あるいは事実感覚に合致すれば、それで短歌って十分じゃないかっていうところを、何故比喩と物語性っていうのが二重にあるような短歌を寺山さんは『田園に死す』で実現したんだろうか、っていうことになりますと、寺山さんのなんて言いますか、資質っていうことに関連すると思います。例えばその『田園に死す』の短歌の中に、大工町、寺町、これヨネマチって言うのかコメマチ言うのかわかんないけど…
大工町 寺町米町 仏町 老母買ふ町 あらずやつばめよ
これも良い短歌だと思います。これも良い短歌で同時に比喩を感じさせます。つまりこれでもって十分意味も通りますし、物語をたくさん読む人に感じさせます。でも同時にこれは短歌の表現で言えば、ある比喩になっています。何かの比喩になっています。その何かっていうのがきっと寺山さんの本来的なって言いますか、本質的な資質に関わるんじゃないかっていうふうに思います。
で、あのーそこらへんのところをもう少しだけ突っ込んでみたいというふうに思うわけ。つまり寺山さんの比喩と物語性っていう二重の表現の背後にある何かっていうのは、いったい何なのかっていうことなんですけども。大雑把に大きく言ってしまえばなんて言いますか、生まれっていうか具体的に言えば母親っていうことと、それから家、家郷っていうことだと思います。つまり母親と家っていうことに対する、寺山さんの独特の思い入れがあって、その物語性と比喩を二重に実現している短歌の背後にあるものはそれなんじゃないかっていうふうに思うわけです。じゃあそれをどこで摑まえるのが一番いいかなっていうふうに思うわけですけど、一つ僕が摑まえたいと思う摑まえ所っていうのは、寺山さんの散文の中に一連の思い入れの特徴みたいなものがあります。それは今申し上げました通り、母親と家ってことに帰着してしまうんでしょうけど。寺山さんの思い入れの中で、僕が興味深いなあって思ったところがあるんですけど、それはどういうことろかっていうと、例えば『羊水』っていう短い文章の中で“既視感”について言ってる文章があります。既視感っていうのはたぶん誰にでもあるのかなって思うし僕にもありますけど、つまり薄ぼんやりとしているって言いますか、意識が朦朧としているって言いましょうか。朦朧とした状態で道を歩いていると、その道がはじめてであるにもかかわらず、いつかこの道は来たことがあるって思えるみたいな体験っていうのは誰にでもあるんじゃないかと思います。僕も一度富士山かなんかに十五、六の頃に登って、降りてきてやっぱりくたびれて朦朧としながら、なんか御殿場まで行く並木道みたいなのを歩いていた時にどうしてもその並木道がいつか見たことある道だって、「ここ来たことあるし見たことあるな」っていうふうに思えて致し方がなかったことがあったんです。それでぼんやりして僕は反対の方向に行って、兄貴だか友達だかに「おいお前そっちじゃねえぞ」なんて言われてはっとしたことがあります。一般的にそういうはじめてのところにもかかわらず、あるいはじめてのことにもかかわらず「いつかこういうことあったな」とか「こういう景色観たことあるな」っていうふうに思える感じっていうのは心理学的に言えば“既視”っていうことなんです。既に視たってことで。既視に対する一般的な、つまり心理学的な解釈っていうのはそれぞれなんでしょうけど、僕の解釈では意識の朦朧状態で人間の領界って言いましょうか、領界っていうのは一種の時間性なんですけど、その領界の時間性がひっくり返ることがあるんだっていう。つまり既に体験した時間がまだ体験してない時間になって、まだ体験してない時間が体験した時間になる、っていうような時間の領界性っていうのがひっくり返ることがある、っていうのが既視感っていうことに対する解釈じゃないかっていうふうに思うわけですけど。
そこが寺山さんなんですけど、寺山さんはそういうふうに解釈しないで既視感の体験を語りながら「これは自分が生まれる前に見た光景なんじゃないか」っていうふうに思ったっていう解釈をしています。それは寺山さんに非常に独特な解釈の仕方のように思います。この手のことを寺山さんの文章の中から探し出そうと思いますと、もう一つだけすぐに見つかります。それは研究家というか民俗学者というかに案内されて、恐山に行った時に土地の研究家が自分に話してくれたことがあるんだと。それは、青森の下北郡のお百姓さんの次男坊か三男坊かの与作っていう十歳くらいの男の子がいて、その子がある時自分のお姉さんに「姉さんどっから来たんだ」って聞いたんだって。そしたら姉さんは怪訝な顔して「どっからってどういうことよ」とか言うことになったわけですけど、与作が「どうも俺は隣村のだれそれのところから来た気がする」っていうふうに言ったっていうんですね。それで自分ちの父親とか母親にそういう話をしたら「そんな馬鹿なことはあるか。お前は私が生んだんだ」って言ったんだけれども、ある時隣村へ行ったらその子どもが言ったとおりの家がちゃんとあって、そこのうちの子どもには死んじゃった子がいて、それが今から十年ぐらい前で生きていたら十歳ぐらいになっているっていう、そういう話を郷土史研究の人から聞いたっていう話を、寺山さんは書いています。つまりこれもまた、今の既視感の話に引っかかってくるわけでありますけども、それはどういう引っかかりかって言いますと、一種の生まれ変わりの話っていうことになるわけです。
で、この生まれ変わりの話っていうものに寺山さんが大変興味を抱いたっていうことが根底にあるわけですけど、寺山さんはそういう理解の仕方をもっと先まで引き延ばしています。それはどういうことかって言いますと、要するに寺山さんのアジテーションのあれで「家も書物も捨ててしまえ」っていう、「家出をしたい」っていう文章がたくさんありますけれども、それに関連するわけです。要するに「家なんて捨ててしまえ」とか「母親なんか売り飛ばしてしまえ」とかいうことをさかんに短歌にしたり文章にしたり、そういう執念をもって寺山さんが言ってることがあるわけですけども、そういう生まれ変わりの話みたいなのを聞いたっていうことから寺山さんは、「人間の母親っていうのはたくさんあっていいはずだ」「自分を生んでくれた母親が母親だと思う必要はない」要するに、母親っていうのはたくさんあると思ったほうがいいと。あるいは、他人の母親を自分の母親だっていうふうに見たほうがいいってこともあると。そういうふうに、寺山さんは一子多母制とか一子多夫制とか父親なんかでも、自分の父親だけを父親だと思う必要はない。あるいはもっと違うところにいるっていうふうに考えたほうがいい、それくらいに思うべきなんだっていうことは、寺山さんの一連のアジテーションと言いますか、思想に連なっていくわけなんですけども。
全般的にとは言えないんですけど、つまりアジアとかオセアニアとかの未開時代には、自分の母親の女姉妹は全部母親って呼んだ、あるいは自分の父親の男兄弟は全部父親って呼んだっていう時期はあるわけです。つまり多分そこは僕は意識的にじゃないって思ってますけど、寺山さんが潜在的に「帰りたい」「家なんか捨てちゃったほうがいい」「母親なんか売り飛ばしちゃったほうがいい」っていろんな言い方をして、何をどうしようと思ってるのか、どこへ帰りたいって思ってるのかっていう。それからいわゆる「近代的な家族制度を破壊しろ」っていう寺山さん自身は、「家族制度なんてそんな大切なもんじゃないんだ」「破壊しちゃえ」っていうふうなところにアジテーションを持っていきたいわけだし、持っていってるわけですけども、僕は本当は寺山さんはそういうことでもって無意識のうちにどこに帰りたいかって言ったら、未開のそういう時代―母親の女姉妹は全部母親で父親の男兄弟は全部父親であるようなそういう時代が、寺山さんの非常に大きな、帰りたかった場所じゃないかなっていうように思います。
寺山さんが母親に自分は捨て子同然に意地悪く育てられて、ちっとも温かい母親じゃなくてっていうふうに、さかんにさまざまな形でそういう言い方をして、母親を呪詛する文章とか短歌とかをつくっています。それが根本にあって「家なんてもんはそんな素晴らしいもんでも何でもないぞ」「家なんていうもんは出ちゃったほうがいいんだ」「いつまでも母親から精神的に乳離れしないっていうことが、人間にとって一番だめなんだ」みたいなことを寺山さんはさかんに主張します。それが寺山さんの近代的な家族制度に対する、一種の破壊的ナチュラリズムっていうのがあるわけです。そういうものが、寺山さんの表的な信条なんですけど、それは無意識のところで言えば未開時代に帰りたいって言いますか、母親と血縁続きの女の人あるいは部落における母親と同世代の人がみんな母親なんだ、母親と呼ぶんだっていう、それから父親の兄弟や部落の同世代の人はみんな父親と呼ばれたそういう時代。そういうところに帰りたいみたいな願望が寺山さん無意識のうちにたくさん入っていて、
それがそういう主張をさせたっていうふうに考えると、わかりやすいような気がするんです。
で、寺山さんの物語の背後にあるメタファーで言いたかったことは僕はそういうことなんだと、つまり母親のことあるいは家のことなんだっていうように思います。これに対して寺山さんは様々な反抗の仕方と言いますか様々な表現の仕方でもって、自分の資質的な運命みたいなものに対して果敢に逆らって見せたわけですし、それがもう達したような形で今僕らの目の前に残されているわけだと思います。それは天才的なひらめきであって、先ほど言いましたように、追い詰められたインディアンじゃないけどひとりでもってたくさんの人間がいるように、いろんな弾の撃ち方から矢の撃ち方みたいなことをやっていったと思うんですけど、寺山さんのそういう仕事の究極の問題っていったものが、そこのところに帰っていくんじゃないかなっていうように思えるわけです。
このところに帰ったところから、僕は寺山さんのやったことっていうのが改めて、たくさんの問題を孕んでいるってことを言うことができると思います。つまり現代っていうのは寺山さんの考えたのとは違う形で、しかしやはり家族性とか親子性っていうものがちぐはぐしたり、あるいは解体にさらされているって言うことができますし、例えば東京でも何でもいいんですけど、都会っていうのは寺山さんが家を捨てたり母親を捨てたりして「都会へ行くんだ」「東京に行くんだ」って形で「東京に何があるんだ」と言われても何があるかはわからないけど、少なくとも自分の故郷の惨憺たる姿だとか、乳離れしないでおさまっているよりは、そこを飛び出して何があるかわからない都会の中に行っちゃったほうがいいんだ「そのほうがいいんだ」って。もし母親に何かしてあげられるってなことがあるならば、ひとたび母親から乳離れしたうえで、母親の面倒を見るっていうような形で。行きと帰りとで言うとすれば帰りがけに母親を見るっていうようなことができれば、母親と自分との間には離乳されていないような関係ではなくて、ひとたびは他人のように冷たくなってしまってから、また肉親とか母親とかっていうことが自覚できる。「そういう場所っていうのは得られるんだ」ってことを寺山さんは、家郷を捨てて、母親を捨てて、家を捨てて、父親を捨てて、それから肉親を捨てて「東京へ出ちまえ」っていうふうに言ったわけでしょうけど、寺山さんが言った東京っていうのは今はまたひとサイクル違った形になっちゃっていて、そこは家郷を捨ててやってきたって言っても、そんなに不満不足って言いましょうか。それを満たしてくれるようなところでもなんでもないわけです。
言ってしまえばまた人間の住み方って言いますか、住まいの作り方っていうのが傾いでしまうようなそういう場所に変貌しつつあるし、家っていうのも寺山さんが「ぶっ壊してしまえ」って言った近代的な家ともまた違った位相でもって「家なんてぶっ壊してしまえ」なんて言わなくても壊れつつあるふうな形になっているようにも思います。まるでこう、ひとサイクル違っていってしまっているかもしれないんですけど、寺山さんが言おうとしたことっていうか、やろうとしたことの眼目っていうのはそこにあって。
寺山さんがそういう風であってもあんまり何て言いますか、魔的というか、悪魔的にならなかったのは何故かっていうと、僕はやっぱり寺山さんという人は母親が恋しくて、自分が恋しくなるような母親のイメージっていうものを、実際の自分の母親に得られなかったものを母親と同世代の人に抱いたり、自分と同世代の恋愛関係の女の人にそれを抱いていたりといった形で。言ってみれば、寺山さんにしてもそういう母親とか家とかっていうものに対するなんていいましょうか、憎悪っていいましょうか。そういう憎悪を裏返すと、そうじゃなくて過剰な愛着みたいなものが寺山さんにはあって、その二つがあったものだから寺山さんはあくまでも悪魔的にはなれないところでその理念が表現されていた。そしてまた、理念が実現されていくってことになっていったんだと僕は思います。
それで短歌で言いますと、『田園に死す』っていうようなところで、メタファーと物語性っていうのを短歌形式の中で二重に実現しちゃったっていうのは、そういうところまでいったときに寺山さんは、言葉で表現する次元っていうことではたぶん、質的に満たされたんだろうなっていうように思うんです。そういう場合に詩とか散文とかによる表現っていうのはやり方からして、二つ道があるわけです。一つは言葉の表現っていうのをやめてしまう。そうじゃなければ表現の仕方を、なんていいましょうか、言葉だけにしちゃうっていうとあんまり良い言い方じゃないんですけど。言葉だけであってその他に何もないといいましょうか。メタファー、比喩っていうものはなにもないっていうか、何もいらない、言葉だけだっていう。言葉だけの中に全部が封じ込まれてしまうっていうような形の表現の方法に行くか。どちらかだ、とそういうふうに思うんですけど、寺山さんは自分の表現の重点っていうのを、実際の行為とか実際のドラマの表現とか映像の表現とかっていうような形のところに、大きな重点を置くようになっていったんじゃないかなっていうふうに思えるわけです。寺山さんが本当は重要だと考えたドラマの表現、あるいは身体による表現といいましょうか。それとか映像による表現っていうような分野にいった寺山さんっていうのに、
僕はあんまり大して興味ないので何か言うことはできないんですけど。少なくとも僕が“言葉の表現者”として見てきた寺山さんっていう人は、家だとか母親っていうものに関連して出てくる芸術理念が、言葉の表現としては極限までいったっていうようなところで、たぶん身体表現とか映像表現とかっていうところに重点が移っていったんじゃないかなあという感じがして仕様がありません。つまり、そこからあとは寺山さんの表現は別な次元に入っていくっていうことになると思います。もちろん初期からそういう次元って寺山さんは持っていたわけですけども、本当の意味合いで重点を込めていったのは、たぶん言葉の表現っていうのが極限まで行った後じゃないかなっていうふうに僕には思えます。
寺山さんは『田園で死す』でもって言葉の表現っていうものにある見切りをつけたように思います。その切りのつけ方っていうのは、言ってみれば現在の文学の表現っていうのはいつでもそういうことを共にしているような気がします。現在でも文学の表現、あるいは詩歌の表現っていうのはそうなんですけども、大変なんていいますかあの、とんでもない袋小路みたいなものに入っているような気がするんです。つまり、言葉の表現っていうのはどんなふうに頑張ってもだめなんじゃないかなっていう感じの影が付きまとって離れないわけなんですけども、寺山さんはそれを常に自分でもって体験しちゃって、それで別の表現の場所、身体表現や映像表現の場所ならどれだけ可能であるかってことに重点を移していくっていうようなことをやっていったような気がするんです。
で、文学自体が、つまり言葉の表現自体が“行き詰まり性”って言ったらいいんでしょうけど、あるいはもっと別の言葉で言うと、どんなに良い文学をつくったって今現実の世界の動きとか社会の動きとかっていうのほど、面白くて興味深くてっていうすごさは言葉ではつくれないってある意味では言えるところがあるんですけど。それはつまりなんていいましょうか、寺山さんにとっては事後結果っていいましょうか。そういうようなところで整理するような形で、自分なりの解き方で身体表現とか映像表現とかに打ち込んでいったってそういうふうに僕は思います。言葉の表現としては、寺山さんの『田園に死す』という歌集が結晶のように、その極限までいっちゃったってことになると思いますし、もうそれ以上短歌としてはもうやりようがないっていうことになっていったんじゃないかなっていうふうに思います。
ええとじゃあ寺山さんの散文の表現で一番良いものはなんなのかなっていうのを考えてみるんですけども、それはもう様々な見方があるわけですけども、寺山さんの資質に即して言えば、母親が自分を捨てて家を出て行っちゃったときに残されていた春本があった、そして残された春本を見て当時で言えばわいせつ罪に引っかかるような××という言葉に、母親のハツという名前を埋め込んで、それを読んでみるっていうのが、自分の母親に対する一種の復讐だというふうに考えたっていう短い文章があるんですけども、その文章が僕は良いんじゃないかなっていうふうに思います。たぶんそれが寺山さんの理念っていいますか、ラディカリズムの根源にあるものを一番よく表していると思うんです。もちろん詩歌で言えば『田園に死す』が一番良い作品で、寺山さんの資質っていうものが表現された稀な一致があって、それからその稀な一致が近代短歌の表現として非常に新しい、極限まで■■しちゃってるものになってるような気がするんです。これは今のところ■■短歌表現を継承していくっていいましょうか、その系譜で寺山さんほどの短歌表現は僕はないような気がします。たいていは、物語性があったかと思うと比喩性が無かったり、比喩性があったかと思うと物語性が無くなっちゃってたり、どちらかの実現の仕方をしてるわけです。両方の二重性を実現しちゃっているっていうのは、寺山さんのやったことの後にも先にも見当たらない表現のような気がします。
現在寺山さんについての論っていうのもいくつか出てきているように思います。それはある意味で当然なんです。つまり寺山さんがそろそろ新古典って言ったらいいでしょうか、新しい古典というような形でよみがえりつつあるんじゃないかっていうように僕には思えるわけです。どうして寺山さんが古典として今よみがえるかっていうと、寺山さんがラディカルに主張してきたことが、今ひとりでに実感として誰もが感じるようなものになってきつつあるっていうのが、大きな理由じゃないかって思う。つまり寺山さんが一生懸命になって自分の個人史っていいましょうか自己史っていいましょうか、不幸なる母親、不幸なる自分、あるいは不幸なる家っていうものに対するラディカルな復讐と対抗意識っていうものがさかんに主張されたわけですけども、そのことは今の人だったら割り合いに無理しなくても、寺山さんほど悲劇的に主張しなくても、ひとりでにそういう形って実現されつつあるわけで。そういうことが寺山さんが一生懸命考えたことをもう一度改めてよみがえらせて、ラディカルに主張したことが一般的に相当な人に受け入れられるような基盤ができてきたっていうことを意味していて、それが新古典みたいな形でよみがえりつつある理由なんじゃないかって思います。
でも僕はどうしても寺山さんを古典として、新古典として読むことはできないわけです。どうしてかっていうと、やっぱり同時代ですからどこかで実感がわいてしまったり、顔が思い浮かんでしまったりしてどうしても古典にはならないで、一種の同時代性みたいなものがあるもんだから。つまりどういうことかっていうと、古典っていうのはひとたびその人が死なないと決して古典にはなりませんから。そういう意味で僕らの場合だと、なんか一種の続きものみたいな感じがあるので寺山さんを古典としてみることは不可能なんですけど、今の若い人はそれができるわけですし、またそこに倦んでるんじゃないかなって思います。そんな中で散文家としての寺山さん、劇作家としての寺山さん、それから映像作家としての寺山さん、どこがポイントなのかをはっきり集約して捉まえられて然るべきだと思いますし、僕は捉まえられて欲しいわけです。そういうわけで寺山さんの再評価っていうのが本格的になっていったら大変良いなっていうふうに思います。僕らはなんとなく曖昧で地続きな感じで寺山さんを想うことしかできないところがどこかにありますから、精一杯客観的になろうとしてもなりきれないところがあったりして。僕はどっかで人間的で同世代的で決して新たな古典として寺山さんを総合的に評価することはできないものですから。僕は初期と晩期と二回ぐらい寺山さんと座談会的にお会いしたことがあるんですけど、そういう実感でなんとなくこうやっていくと、こういう仕方になりますよと。
自分が寺山さんに感じたのは、僕とはずいぶん違ってたいへんモダンであるし開明的で一種の明るい感じもあって、違うんですけどやっぱり寺山さんは寺山さんであって、あくまでこうインディアンが砦の中にこもって、周囲はみんな的なんだって思ってひとりでたくさんいるかのように見せながら銃やらなにやらをあっちへこっちへ、そういうやり方をしながら、常にいろんなことに手を出していろんなところにいろんな弾を撃たなきゃならないっていう感じは、僕は寺山さんによく似た生き方をしたなって思います。僕の共感っていう点ではそこだっていうような気がします。僕は生まれてっていうところでは寺山さんほど不幸じゃなくて、不幸だっていうフィクションはつくれるんですけども、本格的に不幸ではないんですよ。良い父親がいて良くできているよなって言われてたもんですから(会場笑い声)そういう意味では不幸ではないんですけど、寺山さんは非常に不幸な人ですよね。不幸っていうのは幸福っていうのとある意味でおんなじで、物語化しないと照れくさくて表現できないよなっていう部分があって、それが寺山さんの表現に大きな影響を与えていると思います。
寺山さん、これは古典的な寺山さんではなくて地続きとしての寺山さんで言うと、つまり僕らで言えば、文学で言えば純文学という奴ですよね、純文学とか現代詩とか、そういう所に寺山さんは行かないで、そういう所に愛想を尽かして、常に何て言いますかサブカルチャーの人、サブカルチャーの人って言いますか、絶えず自分の中にクリエイティブなことを遣ってきた人なんです。それは何て言いますか、何て言ったらいいでしょうか、そういう言葉を遣えば、一種の偽感情、「偽」というのは偽物、人偏に「為」と書く「にせ」という意味ですけど、そういうのって言うか、プシュード(pseudo?)て言うか、偽ということ、疑うとか偽物とか言う意味(です)、寺山さんの物語性の中にはいつも偽感情というのが在るんですよ。つまり寺山さんを否定的に評価する観点をもし見つけようと思うなら、偽感情、寺山さんの作品の表現というのは、どれを採ってきても全部偽感情があると言いましょうか、プシュードな感情がある。つまり文学というのはプシュードな感情じゃないんだという、フィクションであってもプシュードではないんだ、偽感情じゃないんだと言う様な言い方をすれば、寺山さんを否定的に評価したい場合には偽感情がどこもあるんじゃないかと言うことだと思うんで、だけど僕が思うにはこれは言ってみれば、一種の純文学って言いましょうか、純文学が至上にあった。つまり最も素晴らしいものだと思っている観点からする言い方になる訳です。寺山さん(の)プシュード、偽感情が幾つもあるよ、何時でもそれが寺山さんのサブカルチャーに対する関心を大きく持たした理由であるし、また寺山さんの本領なんだと言う観点から言いますとね、偽感情と言うことをどう処理、どう処理されているかと言うことが、非常に大きな寺山さんの特色と言いますか、特徴に成ると思うんです。純文学の人と言うのは、やっぱり偽感情はあるんです。自分は偽感情が無くて真実の感情だけを表現していると思っている訳ですけれど、少なくとも今日本に流布している純文学の作家とか、詩人なんか皆そうですけれども、偽感情はあるですけれども、偽感情を持たないと思っている訳です。しかし偽感情はあるんです。どんな■■■、純文学の人(達)で言うと、一種の自己欺瞞という形で偽感情が現れる訳です。寺山さんの場合にはプシュードな感情として現れる訳です。それは何かって言いますと、自己欺瞞が嫌でしょうがない訳です。自己欺瞞に陥ることが嫌なんです。真実に陥ると言う言い方は変なんですけれど、真実を表現すれば良いかと言うと、「俺が真実を表現したら、お前らはみんな黙ってしまうだろう」。つまり「白けてしまうだろう」とかさ。「言葉は凍ってしまうだろう」と言うものが寺山さんの思い入れ、思い込みが寺山さんにある訳なんです。だけど同じ■■■文学というのは、それでの本来的、それがあるって言いましょうか、本来的にはそれがあると言うことは文学なんですけどね。そうはもの凄く怖いんです。つまり純文学の人は自己欺瞞としてそれがあるから恐怖は感じないで、遣ってられるんですけどね。「ただ、お前、自己欺瞞だよ」って言われるべきもの。サルトルが一生懸命、自己欺瞞と言うことを考えた訳ですけれども、哲学的に考えた訳ですけれど、そういう追い詰め方をすると(言う)ものは、純文学の人とか純哲学の人って言うのはある訳です。寺山さんは偽感情なんです。これは要するに、「文学というのは良いんだ。これを俺が言ったら、これを言葉で表現したら大体読者っていなくなっちゃうぜ」と言う風な思い込み(が)寺山さんに在って、「俺はあまりに不幸に生まれた」と言う思い込みと同じなんですけども。だからそれが在って、どこかで偽感情を入れなきゃ。つまりうまく人に提供できないというものが寺山さんに在って、寺山さんの偽感情の中に寺山さんの本質が本当は在ると思います。寺山さんの思い込みの過剰が在ると思います。思い込みの過剰こそがまた、寺山さんの資質というものの本当の・本来的な姿を現していると思うので、本来的に寺山さんを新しい古典として採り上げるならば、やっぱりそこの問題を本当・よく突っついて欲しいという風に思う訳です。で寺山さん(は)多分これからも、沢山読者に受け入れられると思いますし、また所謂自己欺瞞的純文学的なところから言うと、寺山さんというこの人はサブカルチャーの人で、大甘のことをずいぶん遣ってるんじゃないかみたいな風に思われてしまう、そういう人かと言うのも又これからも続くでしょうけれども、本当はそれは否定でも肯定でも無くて、寺山さんの持っている過剰な思い込みなんです。つまり真実は口にすることは出来ないよっていう風に、思い込んでいるところが寺山さんに在って、それは一種の偽感情になって現れて来ると思います。でも本当の文学というのはどこから出て行ったんだって言うのを言えば、非常に本質的には寺山さんが無意識のうちに表現しちゃっている、非常に甘美な一種の情念になる訳ですけれど、その甘美な情念と言うのは、多分文学の根源に在るものであって、それは寺山さんが非常に精確な形で作品の中で押さえている問題の様に思います。それだけでも重い、あまりにも大きい思い入れがあって、その思い入れが大きくて一種のプシュードになっていく感情の表現というのはいつでも付き纏っている、そのプシュードな感情なんだけど、これでもって真・本質的なものに迫ろうとしているんだよと言うことを寺山さんは例えば『田園に死す』という短歌作品の中で初めて実現したのだと思います。つまり寺山さんはそこではプシュードの感情をメタファーに換えたのだという風に思います。物語性とメタファーということの両方を二重化することで初めて、本質的な「俺が持っているものはこれなんだよ」と言うことを比喩によって表現したんだという風に僕には思えます。だからそこが寺山さんの本質的な場所で、そこまで行けば多分そこからみていけば寺山さんの作品というのは非常に見やすいんじゃないかなという風に思えます。でもこれは偏った見方で割合に地続きというか、同時代性と言うところから■■■寺山さんの作品を再評価■■■これからきっと遣られるし、これから出てくるのだと思います。それで、そういう観点から行けば僕らの見方■■■仕方がないと思えるところです。ですけど、皆さんの方で新しい形で寺山さんの作品を四方八方から検討して頂きたい■■■願いごと■■■僕らにはそれは出来ないだろうなぁと言う感じが非常に付き纏いますので、それは皆さんの方で■■■思っております。非常に偏った見方ですけれども、一応これでお話しを終わらせて頂きます。(拍手)
司会者:
同時代者としての寺山論を語って頂きました。吉本先生、多少お疲れのところがありますが、質問を受けたいと思いますので、手短にお願い致します。
質問者①:
寺山の場合ですね母親と■■■脱出といいますか、家出の勧めとかあると思うんですけれど、■■■その場合私が思うには、寺山が考えているような脱出の仕方と今の■■■とは違うんじゃないかと、寺山の脱出の見通しと言いますか、その先は何だったのか。現在はその先が袋小路になっている様な処がありまして、そのギャップから寺山に対する再評価というものが出てきていると思うのですけれども、だから若い人が■■■脱出したけれども、やっぱり寺山に惹かれるというような実現しちゃったけれども寺山に惹かれる、それは一体何なのかな、そのへんのことを先生はどうお考えですか。
吉本:
あのー。宜しいですか。なんかね僕は寺山さんの家というものに対する一種の破壊的ラディカリズムと言うものを一サイクル回って、大抵の人の実感的に出来ちゃう・出来ちゃいつつ在る実感であるような気がするんです。だから、一サイクル回って寺山さんが一生懸命言ったことが今の人は凄くひとりでにそういう大部分に成っちゃっているんだという風に思えます。だから田園と言うこと、つまり農村と言うことですけれど、田園と言うことも寺山さんが家を捨てても出て来い、出て来よう(と)、勉学する為か何の為か、兎に角家というのは精神的に、そこから脱出しなくては一度は脱出しなくてはどうにもならないんだと考えて、脱出してきた時の田園と言うのと、今の田園と言うのとは僕はもうやっぱり一サイクル違っちゃっているような気がするんです。つまりそれ迄の寺山さんのその頃には田園・農村というものと都市というものと明瞭な一種の対立関係があって、それは たいへん大きな課題(?)としてまだ在ってってなことが、寺山さんが家を捨てて東京へ(?)学問しに来るのか何か遣りに来る時と比べると、時にはそれが主たる(?)大きな対立点だったんでしょうけれども、今で言えばもうそういう田園ではなくなっていて、もっとモダンな田園に成っている部分と、それからもっと田園性というのがなくなって、田園としての基盤と言うもの薄れちゃっている。そういうことに成ってると思います。都会というと東京が一番典型的なところですけど、東京というのも寺山さんが田園を逃れ(て)家を捨てて親兄弟を捨てて、東京に出て来たと言った時の東京と、今とはまた一サイクル違っちゃって、もうここには本来的に言えば人が住めないというか、人が住む所としての東京・都会みたいなところは段々滅びつつあって、大都会という所は遊ぶ所って言うかビジネスという所とか、何か食べるところとか、或いは娯楽するところ(?)という意味合いは持つけど、少なくとも住み処としての都会という意味合いは段々減じつつあるというところに都市というのは追い詰められて、そういう段階に入っちゃってるような気がするんですよね。だからそこから見ると寺山さんが一生懸命考えたことは、大体大部分の人が体験的に感じちゃっているというのは、■■■から言えば一サイクル回っちゃっている。だけども一サイクル前にやはりこういうことを考えて、こういう風な生き方をしてきた人が居るんだなぁとか、その生き方の表現ということで言えば、詩の表現だったり散文の表現だったりドラマであったり映像であったりという形で、こんな風に多様な表現をした奴がいたんだなぁと言う形で、寺山さんが検討されるという段階を(に?)入っちゃたんじゃないでしょうか。それは一寸止められないような気がするんですけれどね。だから多分僕が思うには、やっぱり何か新しい古典だって言う形で、寺山さんの再評価みたいなのが起こって、そういう形で起こっているんじゃないかなと思いますし、これからも起こりそうな気がするんですけどね。そこが違うんじゃないんでしょうか。あの■■■。
質問者②:
寺山さんが考えた脱出の究極の先というのは一体何だったんでしょうか。現実のギャップ■■■。寺山さんが考えたこんなものじゃなかった。■■■。
吉本:
あのぉ、■■■。寺山さんが今生きておられたら、どういうことを考えてどういう表現をしてどういうことをするかなと言う風なこと(は)判りませんけれど、多分僕は映像表現でハイパーリアリズムと言いましょうか、超都会的なことを映像表現で遣ってみる■■■するような気がしますけどね。ドラマって言うのでは難しい■■■。ドラマとか詩とか言うことでね、これから何処へ脱出するか■■■大変難しいような気がしますね。やっぱり映像表現というのは、一寸それは可能性があるんじゃないかなと(言う)感じはしますけれどね。そういう風なところで脱出しようって■■■気がするんですけどね。難しいですね。そんなことは僕らに出来ない訳です。つまり文学の時評みたいなのを遣っていますから判りますけれど、文学というのは一寸難しい処にきたねと言う感じか多いんですよね。多くて、どうすればいいんだというのが、つまり人頼みにしてもしょうがないんですけれど、「ああこの人はちゃんと脱出口を表現しているよ」という風には、なかなか思えないですよね。今、思うとすれば村上龍とか村上春樹(を)思うとすれば、何か仕出かしそうだという感じがする数少ない人なんでしょうけども、でも今の処僕はしているとは思いませんね。思わないですね。だから本当に難しく成っちゃっているんだなあぁということなんじゃあないでしょうかね。だから寺山さんが生きておられたって相当難しいんじゃないかなって言うことに成っちゃっているんじゃないかという気が・・・。
司会者:
他に。大きい声でお願いします。
質問者1:
比喩(?)■■■。
吉本:
具体的な経緯は(?)■■■。例えば、あなたは俵さんの歌で知ってる・諳誦出来る歌はないんですか。例えば、言葉は僕忘れっちゃったんですけれど、「カンチューハイ一本ぐらいで俺んとこに嫁に来ないか」なんて、言っちゃってもいいみたいな歌があるでしょう、俵万智さんの。俵さんというのは世代的に言えば、寺山さんの後の人ですね。物語性のある人ですよね。なぜ「カンチューハイ一本ぐらいで俺んとこに嫁に来ないか」(が)なぜ良い歌かって言うと、僕は物語性があるからで。その物語性は大体相当な人に、俵さんみたいな年代の女性・男性はいい加減にしてカンチューハイ一本ぐらいで少しほろ酔い加減に成って(?)俺んとこに嫁に来ないかみたいな、そう言ういい加減なこと言っていいのという感じと言うのは万人に通ずる、誰でもそう思っている人があるような感じがその物語にあるから、だからこの作品は良いんだと思う訳です。ただこの作品を良いと言わない歌人も居ると思いますね。それは論外、問題外だと思いますね。僕は良いと思いますね。「良い」と評価するのは良い評価と思いますね。こんなくだらないという歌人の■■■。人文学の小説家と同じでね、それは自己慰安(?)だと言うこと思います。■■■消去法■■■なかなか出来ない人■■■。だから「これは良いよ」と評価する人は論外なんだけれど、僕は良い短歌だと思うんです。それで良い短歌と物語性があるということ。それとやっぱり今の若い人はある瞬間に男の子は(が)、いい加減なことを言った時に言いたい様なことってあるでしょう。そういうことをもの凄く、そう言う心理状態をもの凄くよく表現していると言うことは良い作品だと言う評価も基になると僕は思いますね。だけどこの作品には修正(?)は無いですよ。そのままなんですよ。本当に「」カンチューハイ一本ぐらいで俺のとこに嫁に来ないか」みたいな(ことを)言った■■■、「なんてやろうだ。こいつは」■■■。「俺はそんなに安っぽぁねえぞ」と言う風なことと、「あんた、そんなことを言っちゃっていいの」と言って、私が全面的にあなたに寄っかかったら、どうすんの。逃げちゃうじゃないのと言うことを言いたい訳です。それは物語の感化(?)だけども、実際を指していて比喩では無いのですよ。何かの背後に比喩があるという作品ではないのですよ。そう言う作品ならば、物語性のある作品というのは啄木の時代から、今の福島泰樹さんもそうだし、俵さんもそうだという形でそれはある訳です。だけど寺山さんの『田園に死す』をもう一度よく読んでみて頂きたいんだけども、同時に(?)物語性の短歌、同時に比喩なんですよ。何かの比喩になっている表現なんですよ。こんなことを五七五七七で、よくも遣ったねと言うくらい。よくも比喩性と物語性を二重に実現したね、一寸よく考えるといないのですよ。寺山さん以外にはいない特徴なんですよ。そういうところが違うんじゃないでしょうか。それから勿論■■■とか、■■■さんとか良い作品を昔の様な、寺山さんが生きている時から今も良い作品を書いたりしていますけれど、それをみると比喩になって■■■、比喩の作品に成ってたりはするんですよ。するんだけどもメタファー、どうしてメタファーになってる。どういう物語になっている作品、僕は実現していないように思える。だけど本当のこと、リアルのことを言っている(と言う風に)成っちゃっている。だから物語性と比喩性を同時に実現しちゃっている短歌の表現というのは、どう考えてもこの人しか一寸いない(ですよ)。この人も全部、そうじゃないけども、『田園に死す』で実現したところが一番それに成っている。それが良いか悪いかということでは、いくらか違うことでもある訳です。比喩と物語性が両方二重に実現されてる短歌は良い短歌かというと、それはまた一寸違うことに成ります。比喩なんか何も無く、直だけだし現実だけしか指してない短歌だって、良い短歌は沢山あります。一寸ずれることがあるんですけれど、でも「これユニークだよ。類が無い類型が無い」と言うのは(?)、やっぱり寺山さんの実現したところは一寸類型が無いじゃないじゃないですか。『田園に死す』は僕は類例が無い作品だっていう風に思いますけど。あのー、そういうところじゃないでしょうか。
質問者2:
■■■。
吉本:
僕も初期の寺山さん、「天井桟敷」劇団の。あれを一寸観たことはあるんです。そうすると僕、比喩に成っているんだけれども、物語性はかなり犠牲(?)に成っているんじゃないんでしょうか。後の頃は知らないのですけれど、初期の「天井桟敷」の劇というのはしゅうせい(?)が非常に旺盛であるんだけれど、物語性は相当犠牲に成ってるなという感じは僕は持ちましたけれどね。初期のころはそうだったんじゃないかなと思うんですけど。
司会者:
他に。
質問者:
■■■。
吉本:
いやー。それ他人の所為■■■。既製の劇団とか、既製の■■■とか、他人の所為にすることはいろいろ出来る訳です。寺山さんもそういう劇で言えば「天井桟敷」という集団を背負ってこの■■■は誰も無い(?)って言う、そういうところに寺山さんが行くのが行きづらいっていう様にしちゃったのは誰なんだとか言うと、それは日本の劇団■■■。だけど他人の所為に■■■自業自得■■■。つまり自分がどうしても何処かにどうしても思い入れがあって、どうしてもそこに同化(?)できないみたいのものというのは、それだったら自己表現がどこまでの可能性を持つかということを遣る以外にないじゃぁないかと言う風に決心しちゃうと言う風な形と言う風に成る訳ですよね。だからそれがそうじゃないでしょうかね。だからいろいろな所為に出来る、他人の所為にもできるし、自業自得だ(と言って)自分の所為にも出来ますし、いろんな所為に出来るんですけれど、それを全部含めて寺山さんの資質的な宿命だなんて言っちゃえば、そういう文学芸術の表現の中でどうしても付き纏うんだいう風に言っちゃえば、そういうことだと思うんですけどね。だからいろいろな所為に出来るんじゃないでしょうか。お前が■■■だっから悪いんだと言うことに成っちゃうかも知れないし、判らないけど、いろいろ言えると思います。
司会者:
それでは、後ろの方どうぞ。大きい声でお願い致します
質問者:
寺山を出して下さったのは、中井英夫さんでしたよね。中井英夫さんは■■■今も自分の作品を書いていらっしゃいますけれども、候補(?)には成りませんね。仕掛けられた(?)候補で(?)■■■、中井英夫さんの方がずっと素晴らしいと認識しておりますけれど、いかがでしょうか。
吉本:
■■■困っちゃうんですけれど。僕(は)中井さん作品、良いと思いますよ。良いと思いますけれど、もし■■■作品、僕は良いと思います。つまり、どう言ったらいいでしょう。文学って、大雑把なことをことを言っちゃうと、文学の表現というのはどこから始まるのかと言うことに成る訳ですけれど、どこから始まるのがというと、先ず一人の例外も無く、自己慰安から始まると僕は思います。自分を慰安するために文字を・詩を書き始めるとか、日記を書き始めるとか。先ずそういうことを始めるのは、自己慰安の為だと思います。自己慰安の前にいろんな不足があったり、欠けているところがあったり、不幸であったり、幸福であったりいろいろあるでしょうけれども、何か文字、他の会話(?)なら会話(?)でいいのですけれども、表現をしたいという欲求が先ず始まるのは自己慰安からだと思います。自己慰安から始まった表現が何処で他者と出遇うかということに成る訳です。その他者と出遇う出遇い方には、勿論偶然がある訳です。中井さんの他者との出遇い方と寺山さんの他者との出遇い方と言うのには、沢山の偶然が・両方共偶然があると思います。だけどもう一つ偶然の所為にしないとすれば、必然というのがあると思うんです。それは多分寺山さんがどう言ったらいいでしょう、意識してイメージする場合も無意識にイメージする場合もあるのですけれど、無意識にイメージした読者、つまり簡単に言っちゃえば誰に読んでもらいたいと思っているのか。誰にも読んでもらえなくてもいいんだと思っているか。自己慰安の場合はそうなんですよね。誰に読んでもらわなくとも自分で自分が読めばいいと言うことから始まる訳ですけれども、何処かでやっぱり誰かが読んでくれたらということを意識的・無意識的に考えていく訳です。そうするとその場合の読者、自分が読んでもらいたいと思っている読者のイメージが中井さんと寺山さんとでは大変違うって言うことなんじゃないでしょうか。偶然の要素を言いますと、寺山さん流行っちゃった。そうすると流行っちゃうと悪いと思ったりする訳です。流行る、流行らないとか言うことは偶然の要素なんで、偶然の要素は先ずまともに考える時は排除した方がいいんですよ。だからそういう読者のイメージを無意識的に、或いは無意識的に抱いていたかっていうことが、どういう読者と出遇うか・出遇ったかということの違いに成るんじゃないでしょうか。中井さんが描いている読者というものがありましてね。やっぱりそう言う人とよく出遇えているんだと思います。それはやっぱり自業自得なんだって。その読者が少なくても多くとも自業自得なんだって。それは別にどうってことは無いじゃないでしょうか。少ないから悪いと言うことも無いし、少ないから良いと言うことも無いし、また多いから悪いと言うことも無いし、少ないから悪いと言うことも無いというだけじゃないでしょうか。読者のイメージというのは僕は、自分のあれで言えばそう思います。詩とか短歌とか言う時は、詩歌の場合にはあんまり読者を思い浮かべているゆとりなんかは全然無いんですけれど、例えば批評文を書く場合には明らかに僕は今思い通りには遣ってないですけれど、どういう読者・こういう人が読んでくれれば良い、どういう読者を思い浮かべているかと言えば、都会に住むサラリーマンで20代の後半ぐらいの人で会社では結構一番きついことを遣らされている人間で、知恵もあまりないし一番損な役割を引き受けている(?)みたいな、でも一番言ってみれば会社で力のあるかも知れないという、そういう人が読んでくれればいいなぁと言う風に僕は思っていますけれどね。でも、大体アンケートみたいなものを採ると、それより10(歳?)位か15(歳?)位多いですね。だから思い通りにはいかないのですけれど、散文なんかある程度読者、中井さんもそうじゃないでしょうか。読者遺伝子(?)があるんじゃないかなと思います。それよりは多分中井さんもそういう人には読んでもらえているんじゃないのかなと思いますね。中井さんは別に広い、何て言いますか教養あるサラリーマンみたいな、そういう人が中井さんの作品を読んでくれたら良いと言う風に中井さんは思っていないと思います。思ってて中井さんが今の作品を書いているのだとしたら、それは中井さんの間違いであって、やっぱり工夫した方が良い。僕は思っていないと思います。中井さんはそれで良いという風に思っておられると思います。良い作品ですよ。良い作品です。寺山さんの作品も良い作品だと思います。それは一寸読者の読み違いじゃないんでしょうかね。僕はそういう理解の仕方を採りますけどね。
司会者:
そろそろ時間も4時になりますので、最後の一人として。
質問者:
一寸変なことを伺いますけど、寺山修司の思想とか作品は現在形の現実とか、今生きる人間にとって何らかの武器になり得るんでしょうか。武器という表現はおかしいんですけれど。生きていく上、または現実と係わる上で何か武器に成るのかなと。
吉本:
あのー。先ほどから言っている新古典と言いましょうか、古典として■■■としての評価はこれからだから、そういうところから見ていけば、武器ということ■■■。あなたの仰ることに即座に答えられる程(?)簡単な意味での武器と言うことを考えると、僕だったら■■■、どういうところで武器に成るって言いましょうか、アンケートを取ると九割一分、去年なんかそうだったが、九割一分の人が、「俺中流だ」と思っている訳ですよね。そう思ってたって悪くはないですけれどね。九割一分が中流だと思って、統計をよく見ればね、日本人の働く人達の給料所得を5段階に分けますと、貧富の差が世界で一番少ないのは日本なんですよ。大体僕の計算では4:1。それから■■■■を見てみましたなら4:7って成っていましたけれど、僕は4:1だったのですけれど。世界一なんですよ。つまり、日本の次はオランダだったのですけれど、貧富の差は4:1しかなくて九割一分が中流だ。■■■これで文句あるかということに成っちゃう。自民党政府■■■文句あるか■■■。そうすると何て言うか。比喩で言いますと蓋が閉まっちゃうんですよね(?)。じゃあ文句ないという感じが■■■。「本当か、本当にそうか」という風にもう一度考えるとすると、そうすると■■■一寸、それは疑問だぜというのが出てくる。どうして判るかって言うと九割一分が中流だと思って、九割九分が中流だと思うようになるのは、10年足らずして僕は来ると思いますけれど。九割九分が中流だと思■■■世の中の一番貧しいも上でもないからお前丁度良いじゃないかと思っている奴が九割九分いたら、もう文句も言い様がない。天国だということに成っちゃうとも考えられますけれど、■■■いやそうなってきたら、気が付くと(?)いろんな悪いとこあるぜということが、誰にでも気が付く様になるんじゃないのかなと僕は思っている。そういう風なことを考えるとね、九割九分で中流だったら文句ないよ。貧富の差も少ないし文句ないよ。比較的世界でこれ程良いとこ(ろ)ないよ。だからしょうがねえよって言ってればそれで蓋が閉まっちゃうんですよ。幕が張られちゃって、はい、「さようなら」って言うことに成っちゃう訳だけれども、「いや、待てよ」という風にどうしても思わざるを得ないですよね。僕らでもそうなんですけれど。一面では僕も九割一分を表記(?)しているしね。結構だらけて、だらけていても張り切っている訳じゃあないですから、だらけたりいても、いい気に成っている訳ですから、あんまり文句も言えないという風に成っているけど、どこか「待てよ」っていう風に成るって言うことは重要。重要だったら誰にでも判るんじゃないかな。判っているんじゃないかなと思うとね、思わせると言うことですよ。寺山さんの書いたのは。蓋(を)しよう、蓋が閉まっちゃおうとするものを、何時でもうわーと、うわーと■■■そうじゃねえぞってことにうわーと思わせちゃうものが寺山さんの作品に今でも沢山あるんじゃないですか。それが僕一番寺山さんが今生きて、僕なんかが考えには生きてるように思えるんですけれどね。
質問者:
どうも有り難うございました。(拍手) 2時間にわたっていろんなお話しをして頂きましたが、これで「風馬の会」第10回を終わらせて頂きます。寺山修司を考える、これで最終回です。どうも有り難うございました。ここに江東区の九條今日子さんから吉本隆明さんに花束が届いていますので、私■■■申し訳ないです。
テキスト化協力:ノヅさま(チャプター1~7)石川光男さま(チャプター8以降)