糸井 |
昨年の12月に日本で発売されたヨリスさんの本は、
オランダの新聞社で中東特派員をしていたときの経験を
書かれているんですよね?
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ヨリス |
はい。私の生涯のなかで
一番ショッキングだった出来事を書きました。
特派員になって、新聞やテレビで
ニュースになっている内容の実態を知ったとき、
書かれてるよりもっとたくさんのことがあるんだ、
書かれてることと現実は大きく違うんだ、
ということに直面して、
本当にショックを受けたんです。
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糸井 |
情報と名のつくものが、
現実をそのまま伝えている、ということは、
きわめて少ないですよね。
だいたいの情報は、送り手側の利害関係や
立場が絡んだうえでつくられていますが、
受け手の多くは、送られてくる情報を
「ありのままの現実」として捉えていますよね。
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ヨリス |
そうなんです。
例えば、ある日パレスチナのなかでも
イスラエルに占領されたラマラを
取材することになったんですね。
そのときは、レバノンのベイルートに住んでいたため、
まず、飛行機でヨルダンのアンマンまで行き、
そこから車で8時間かけてラマラに
移動しなければなりませんでした。
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糸井 |
はい。
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ヨリス |
朝、ベイルートを発つときに、ちょうどニュースで、
パレスチナ人が石を投げてるところを見て、
パレスチナという国は相当危険なところだなと、
だんだん怖くなりました。
もうドキドキしながらラマラに着いたんですが、
そこにあったのは、
ふつうの、なんでもない日なんです。
子供たちは学校から歩いて帰ってくるし、
タクシーも客を取ろうとして回ってたり、
八百屋さんでトマトが売られていたりして。
あの石を投げてた人が、どこにもいないんです。
地元の人に聞いたら、
「そこの角を左に曲がって、ずーっと行くと、
2時以降だったら石投げてる人います」って(笑)。
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糸井 |
ははははは。
ぼくも、知っていることと現実が違ったということは、
たくさん経験してます。
あと、いまよりずっと若いころ、
自分が石を投げてる人だったこともちょっとあるんで、
そういう報道のされ方も知ってます(笑)。
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ヨリス |
(笑)
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糸井 |
たぶん、
石を投げてる人がいたときに、
とても珍しいと思わせたいか、
それとも、よくあることだと思わせたいか、
ということだけで決まっていくんでしょうね。
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ヨリス |
そう、そうなんです。
ジャーナリストは結局、
読者や視聴者にウケるものに目を向けて、
伝えなければいけないという制約が、
構造的にあると思います。
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糸井 |
ああー。
そういう構造のなかでは、
必ず伝えられないことだらけになるだろうな、と
いつも感じています。
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ヨリス |
その通りです。
そして、事実としてはなんでもない日だったけど、
「パレスチナのラマラで投石してる人がいました」と書くと、
「いや、中国ではこんなすごいことがあった」
「インドではこんなすごいことがあった」って、
結局ジャーナリスト同士で競争していることに‥‥。
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糸井 |
そうなっていくんだよね(笑)。
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ヨリス |
なので、私がなにかを語るときには、
自分のストーリーを出して
表現することにしているんです。
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糸井 |
ぼくもそのことについては、
たぶんずーっと考えてるんじゃないかなあ。
自分のストーリーで語ると、
それがごく一部にすぎないとしても、
全体像を反映することになるんですよね。
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ヨリス |
例えば、中東のあらゆる死亡事故のなかで
一番多いのは、実は交通事故なんです。
そういう意味では、さっきお話しした
アンマンからラマラに向かう
8時間のタクシーの中が
最も危険度が高かったんです。
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糸井 |
もうここで、知っていることと違う(笑)。
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ヨリス |
そう(笑)。
ヨーロッパにいる家族とかも
「もう、中東なんて危ないとこに行くなんて」
と言うんですが、
「そうそう、交通事故が危ないんだよね」
と私はよく言ってました。
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糸井 |
それを言うと不思議な人に思われるだろうね(笑)。
やっぱり、先入観があるというか、
例えば人が何かを選ぶときって、
自分の意志で選んでるようだけれども、
実は自分の意志以外の大きなイメージから
選んでることがとっても多いですよね。
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ヨリス |
そうなんです。
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糸井 |
ぼくにパレスチナ人の友達がいて、
そいつと散々遊んだあとで
「イスラエルは悪いんだよ」と言われたら、
「そうか」と思うと思うんです。
いくら本を読んで知識を得ても、
その「そうか」と思うシンパシーみたいなものは、
動かないんですよね。
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ヨリス |
そこで、イスラエルが政策的にやってるのは、
高校生を世界各国に留学させるんです。
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糸井 |
なるほど、各国でお友達をつくらせるんですね。
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ヨリス |
自分自身についても、
弟が日本で日本語を勉強していた時期があって、
日本の話を身近に聞いてたものですから、
今回の津波については、
もう本当に気持ちが大きく動きました。
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糸井 |
そういうふうに、人が理屈や知識で
これが正しいとか間違ってるとか言う前に、
変わらない何か不確かで素敵なもの、
不確かなんだけれども
信じてるものがあるってことを
わかっているだけでも、
だいぶ報道は変わりますよね。
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ヨリス |
ええ、そうですね。
(つづきます) |