糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

05月15日の「今日のダーリン」

・冬が来る前には、衣替えとか暖房器具を出すとか、
 それなりの準備をし始めますよね。
 夏が来る前にも、厚めの服を仕舞ったりするし、
 半袖のシャツだとかを出したりします。
 やがて、その季節が来るという前には、
 そういうつもりになる時期があるんですけど、
 みんな、梅雨の用意とかしてる?

 梅雨、うかうかしていると、もう来ちゃうんじゃないの? 
 雨の多い季節なりの靴だとかさ、傘だとかコートだとか、
 あと、なによりも「心づもり」が要るんじゃないの? 
 ついでに言うと、ぼくは梅雨が大嫌いなんだけどね。
 雨の多い季節の緑っていうのが、いちばん好きなんだ。
 長雨の鬱陶しさを跳ね返すように樹木が輝いてるときです。
 あのとりどりの緑は、見てるだけで薬になるくらいだよ。
 ああ、その季節の京都にしばらく行ってないなぁ。
 山の緑と、里の緑と、どっちもいいんだよね。
 そして、それはやっぱり雨の日のほうがきれいだよな。
 夏が来る前に、梅雨が来るって思い出した。
 けっこういやだけど、ちょっとたのしみ。
 桜を見るとか紅葉を見る旅ってあるけれど、
 新緑を見るための旅もいいよなぁ。

 とかなんとか書いているのは、やっぱり俳句のせいかなぁ。
 季語季語って、意識しているからね。
 季節が変化していることそのものを、
 じぶんの日々の感覚に取り入れたいと思うと、
 空でも緑でも花でも、色は感じやすくなるよね。
 あと都会のなかにいて目に入る灰色のゾーンから、
 ちょっとでも出ようとするしね。
 これは、わるいことじゃないなぁと思っています。

 ついつい、俳句に関わる本を読みたくなっちゃうんだけど、
 いまは『俳句のつくりよう(高浜虚子)』が
 とにかくとんでもなくおもしろい。
 引用していたらキリがないくらいすごいことばの数々。
 しかも、『20週俳句入門』の藤田湘子さんも、
 夏井いつきさんもそうなんだけど、
 限りなく「話体」に近い文体が、よく響いてくるんだ。
 そのうちまた、このことを書くかもしれません。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あなたの身の回り、いま見える自然の色はなんでしょうか。