「今年、感心したこと」
田口ランディ

(特別寄稿)

去年の12月からリクガメを飼っている。
名前をテリーという。

テリーはアフガニスタンホルスフィールドという
リクガメで、もともとアフガニスタンの
砂漠に住んでいたようだ。
購入したときは幼体で年は1歳くらいとのことだった。
1年間、我が家で暮らしたが、本当に何もしない。
食事は一日一回で、キャベツとかインゲンとか
ブロッコリーを食べる。いっしょうけんめいに食べる。

食べた後はひたすら寝ている。
じーっとしている。何もしないことに命がけである。
ときどき日光浴をさせるために庭に出すのだけれど、
草むらのなかを歩いて庭のすみっこに行って、
そこでじーっとしている。

ほんの少しの段差も越えることができないカメは、
歩き回るように出来ていない。
硬い甲羅をもつゆえに動き回るには不便だが、
彼のモットーは低燃費であり、
いかに消費しないかを信条としている。

しかし、生きて生活しているという点において、
私もテリーもこの地球の一員なのであり、
生命活動において優劣はない。

イメージ映像

私はめっちゃんこ燃費の悪い生活をしている。
しかしテリーは違う
私はテリーと暮らすようになってから、
彼の低燃費ぶりに驚嘆し、
ひたすら感心しているのであった。
そして、自分はテリーに比べて
なんと貪欲でおこがましく傍若無人なのだろうと
恥ずかしくなるのだった。

今年は水槽にイソギンチャクとナマコも飼い始めた。

家の前が海で、そこで子供たちと
いっしょに採取してきたものだ。
イソギンチャクは口と肛門がいっしょである。
食べるとこから吐きだす。
これもまたなんともシンプルである。
エサが流れて来るとびらびらを出して必死でつかまえる。
それ以外のときはじっとしている。

ナマコもそうである。
ただひたすらにごろごろとしている。
そして気が向くと触手を出して
砂の中の微生物を食べている。
ナマコの場合は入るところと出るところは別なので、
より人間に近い。
私はナマコに手足と頭がくっついたような
存在なのだなあと思う。
頭と手と足があるので、
こんなに忙しく燃費が悪いわけだ。

ある日、イソギンチャクの子供が生まれていた。

石の上に0.5ミリ程度の
小さなイソギンチャクがちょこんと乗っていたのである。
びっくりした。イソギンチャクの赤ちゃんは、
小さいけれど完璧にイソギンチャクだった。
しかし、この赤ちゃんはいつまでたっても成長しない。
はや半年が経過しても、小さいままである。
ということはイソギンチャクの成長は
かなり遅いということなのか。
私が採取してきたイソギンチャクの大きさになるまでに
3年くらいかかりそうだ。

私の3年とイソギンチャクの3年。
そのことを思う。

私は私の時間の感覚で生きているが、
イソギンチャクにとっての3年とはど
んな時間なのだろうか。

テリーは30年くらい生きるという。

私が70歳になってもテリーは生きているのかもしれない。
そして30年間、テリーはひたすら何もしない。
ローインパクトに存在しつづける。

私は30年でどれくらいの食物と燃料を消費して、
ゴミを捨てるのだろうか。

いろんな生き物と暮らすと、感心することばかりだ。

2002-12-30-MON

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