田中耕一さんの研究内容。 |
ノーベル化学賞を取った田中さんフィーバー、 |
今回のノーベル化学賞は 『生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発』 に対して、3人の人に与えられました。 そのうちの一人、田中耕一さんの業績は 『生体高分子の質量分析法のための脱離イオン化法の開発』 だそうです。 なんか、難しい言葉が並んでいますね。 まずはそれを解きほぐしてみましょう。 前提知識として、2つの事を説明すれば良いと思います。 「質量分析法」と「(脱離)イオン化法」について、です。 順に説明してみます。
質量分析法とは、 様々な分子の重さ(質量)を測る方法です。 基本的な事からいきましょう。 化学においては、 原子が組み合わさって出来た『分子』を 基本として考えるんです。 だから、 色々な分子を、分けたり、分析したりする事が、 とても重要になるんです。 そのやり方を研究する事を『分析化学』と言います。 (だから、田中さんの研究は、 分野としてなら『分析化学』になります。) その中の一つの方法が、『質量分析法』なんですね。 原理は簡単。 重たいモノほど動かしにくい、という事です。 どうするか。 まず、 測りたい分子に電荷(普通はプラス)をつけてやります。 プラスの電気をつけた「プラスイオン」にするんですね。 そうやって飛ばしてやる、その時に、 横向きに電気の力をかけるんです。 そうすると、静電気力を受けて曲がるのですが、 重たいものほど曲がりにくい訳ですね。 かける電気の力を一定にすれば、 分子にかかる力は全て同じって事になりますので、 そうすると、どれくらい曲がるか、を測れば 分子の重さが分かるわけです。
この方法自体は、田中さんが開発したものではなく、 昔からある方法なんですよ。 長く使われてきて、改良が重ねられた結果、 本当に正確に、 分子の重さを測ることができるようになりました。 (これはつまり、例え話をすれば、 単に「50キログラム」と言うだけでなく、 「50.2736キログラム」みたいに 細かく分かるようになった、という意味です。) さて、それで 分子の重さが分かると、いったい何が分かるのでしょう? 先ほど、『分子』は 「原子が組み合わさってできたもの」と書きました。 この、原子一つ一つの重さは、 これまでの研究によって正確にわかっています。 だから、 ある分子の重さが正確に分かると、 その分子には、どういう原子がいくつずつ含まれているか、 が分かるわけです。 これは、 分子について調べる場合には非常に大きい情報ですね。 だって、そうでしょう? あるものについて調べたいときに、 それが何からできているか、 しかもそれらがそれぞれ どれくらいの割合で含まれるか、 が分かれば、 かなりの事が分かった事になりますから。 ブロック玩具のようなもので何かを作った場合を 想像して見て下さい。 どのブロックをいくつずつ使ったか、が分かれば、 あとはそれらをどのように組み合わせたか、 を決めるだけでしょう。 分子の場合も同じなんですよ。 しかも、分子の場合は 原子の組み合わせ方に実はかなり制約があるんですね。 だから、 含まれる原子の種類と数さえ決まれば、 その分子がどういうものなのか、って事は、 想像以上に可能性が絞られちゃう訳です。 という事で、 分子の質量を測る「質量分析法」というのは、 かなり強力な実験方法なのだ、という事が、 ご理解いただけたかな、と思います。 ただ。 話はこれでは終わらないんです。 実は「質量分析法」は、 分子に含まれる原子の種類と数を 決めてくれるだけでなく、 原子がどのように組み合わさっているか、についても 情報を与えてくれるんです。 ・・・という事で、次の話になります。
さて、はじめに 「測りたい分子に電荷をつけてやります。」 と書きました。 分子に電荷をつける事を「イオン化」と言いますが、 この「分子に電荷をつける方法」が問題なんですね。 もっとも原始的な方法は、 「その分子に電子をぶつけてやる」という方法です。 分子に電子をぶつけてやると、その勢いによって、 分子から電子が一つ、飛び出していってしまうんです。 ぶつける電子の勢いや量をうまく調節してやったなら、 こんな単純な事で、 かなり効率よくイオン化する事ができるみたいです。 でも。 これって結構、乱暴な方法なんですね。 ちょっと想像してもらいたいのですが、 そんな乱暴なことをして、 無傷で単にイオン化するだけで終わると思います? そんな事は、ないですよね。 ものによっては壊れてしまうものもあるでしょう。 (というか、すべて無傷ってのは珍しいです。) 困った事ですよね。 だから、電子のぶつけ方の調節は、 この方法でイオン化を行う際には重要な事なんですね。 そうやって、なるべく多くの分子が壊れないようにする。 それでも壊れてしまうものは出てきてしまいますけど、 ある程度残っていてくれれば、良いんです。 というのは、 壊れてしまったものは、元のものよりは小さいでしょう。 だから、出てきた中で 最大のものが「無傷の分子」なので その重さが「分子の重さ」になるんです。 もちろんこれは、 「無傷の分子」がちゃんと残っている場合に限られます。 けれども、 残ってさえいれば、多少壊れたものがあっても、 実際の質量の測定には支障がない訳です。 しかも。 「どうしても、多少は出てくる壊れたもの」が、 より有益な情報を与えてくれるんです。 「壊れたもの」の中には、 電荷を持ったものもあるんです。 全てではありませんが、かなりそういうものも含まれる。 それらを「フラグメント・イオン」と言います。 (「フラグメント」とは断片という意味なので、 「断片化したイオン」という意味になります。) フラグメント・イオンは電荷を持っていますから、 電場の中を通るときに力を受けて、 「電荷を持った(無傷の)分子」と同様、曲がります。 そして、どれくらい曲がるか、は やっぱり重さによって決まるんですね。 だから、 フラグメント・イオンだって、 「電荷を持った(無傷の)分子」と一緒に検出され、 その質量も測定できるんですよ。 という事は、 質量分析法では、その分子の質量だけでなく、 電子をぶつける事で出てくる「フラグメント・イオン」 も測定できるんです。 つまり、 「分子に含まれる電子の種類と数」だけでなく、 電子をぶつけることで、どれくらいの分子が壊れるか、 とか、 壊れた結果、どんな重さのものがどれくらいできるか、 (しかも、それらについても正確な重さが分かるので、 「含まれる原子の種類と数」が決まる) なども、教えてくれるんです。 そうなるとですねぇ。 先ほど、 「含まれる原子の種類と数さえ決まれば、 その分子がどういうものなのか、って事は、 想像以上に可能性が絞られちゃう」 と書きました。 で、その「可能性のある分子」の一つ一つは、 原子の組み合わさり方が違っているので、 一つ一つ性質が異なります。 だから、 電子をぶつけた時の壊れやすさ、とか、 どういうフラグメント・イオンが出てくるか、とかが、 それぞれ違う訳ですね。 それを考えて、 実際に検出できたフラグメント・イオンと比較すれば、 測定した分子の組成(含まれる原子の種類と数) だけでなく、それらの組み合わさり方も、 上手くいけば決めてやる事ができるんです。 現在では、 個々の装置について、様々な分子について測定したデータ (どういうフラグメント・イオンが どれくらいずつ出てくるか) が保存されているんですね。 そして、何かを測定すれば、 コンピュータが保存されているデータと照会してくれて、 (ある範囲なら)その分子が何であるか、が 誰でも簡単に分かるようになっています。 便利になったもんですね。 という事で、 質量分析法は、比較的低分子のものについての 強力な分析法として定着していました。 ここまで、田中さんの話が全く出てこないまま、 長々と書いてしまいました。 スミマセン。ここまでは、前提知識。 田中さんの話をより良く理解して頂くための話でした。
ここからが、田中さんの業績の話になります。 今まで説明してきたとおり、 質量分析法は、非常に強力な分析法です。 ただ。 それは、ある程度小さな、簡単な分子に対して の話だったのです。 (過去形になっているのがミソですよ!) それは何故か? さっき説明した「イオン化の方法」に原因がありました。 というのは、 大きくて複雑な分子になると、 うまくイオン化ができなかったり、 殆どが壊れてしまって元の大きさのが残ってくれなかったり フラグメント・イオンがいっぱいありすぎて、 何がなんだかわからなくなってしまったり、するんですよ。 何か割れ物を割った時の事を想像して欲しいんですが。 壊れた時の欠片がみんな大きいものだったなら、 復元して元の形にするのは、難しくはないですよね? (ま、ひっつくかどうかは別の問題として、です。) だけど、 こなごなになってしまったなら、 元の形にするのは無理ってものでしょう。 分子の場合でも、これに近いと思ってください。 だから、大きな分子を調べてやるには、 この方法でイオン化するのではダメなんです。 もっとマイルドな方法で分子があまり壊れないようにして、 フラグメント・イオンを減らしてやらないと、 測定の意味がなくなっちまうんです。 そこで出てくるのが、 今回の田中さんの発明なんです! 実は、田中さんの発明自体は、解説が難しいんですよ。 田中さん自身がインタビューで どうしてこの方法で上手くいくのか、 ちゃんとした事はわかっていない、と答えていましたし。 その辺は、さすがに最先端! ですから、 以下は、私が理解できている範囲での解説になります。 イオン化を行うには、 分子に何か、エネルギー・衝撃を与える必要があります。 で、 電子をぶつける、という形でエネルギーを与えると、 衝撃が大きすぎる、という事でしたね。 では、他の方法でエネルギー・衝撃を与えないといけない。 ・・・レーザーを使おう、というのは、 割と思いつきやすい発想でしょう。 といっても、そんな単純な話では当然なくて、 レーザーを使えば、すぐにうまくイオン化ができる訳じゃ ないんですね。 それで、 レーザーの波長や強さを色々変えたり、など きっと色々な試行錯誤がなされたんだと思います。 田中さんのチームは、 試料(調べたい分子)に混ぜる物を工夫していたそうです。 すると、 金属とグリセロール(ドロッとした液体)を混ぜてやると、 ちょうど良い具合にイオン化ができる事がわかったんです。 実は、 この発見は、失敗から産まれたモノなんだそうですね。 元々は、別々の実験で使おうと用意していた 金属とグリセロール、 間違ってグリセロールを試料に落としてしまい、 混ざってしまったものを、 もったいないから試しに測ってみたら上手くいった、 という話です。
どうして、 こういう物を混ぜると上手くイオン化できるんでしょう? それが良く分かっていないんですが、 だいたいこういう事ではないか、と推測されているのが 次のような話のようです。 金属とグリセロール、のような試料に混ぜてやる物を マトリックスと呼ぶそうです。 レーザーを当てると、 マトリックスがその光を吸収して熱を発生します。 これが当たった部分でだけ急速に起こり、 その部分の試料が蒸発し、 そのエネルギーでイオン化が起こる。 マトリックスは、レーザー光を吸収する事で、 レーザーの衝撃を和らげると同時に レーザーを熱に変換して、マイルドなイオン化を実現する。 ・・・私が理解しているのはこんな所です。 この田中さんの発明は、今ではさらに改良されて 「MALDI」と呼ばれています。 マトリックス支援レーザー脱離イオン化法 (Matrix-assisted Laser Desorption Ionization) の略だそうです。 マトリックスと混ぜた試料をガラスの表面で乾燥させる。 そこにレーザーを当てるとその部分が蒸発して イオン化した分子が飛び出す。 それを質量分析法で検出する、という装置です。 実は、 今回ノーベル賞をもらった別の一人は、 田中さんとは全く別の考え方によるイオン化の方法を 開発した人なんですね。 (そちらは「ESI」と呼ばれています。) その方法も、マイルドなイオン化を実現したそうです。 この2つの方法の開発によって、 今まで小さい分子を分析する方法だった質量分析法が、 大きな分子を分析するのにも使えるようになったんです。 大きな分子・・・ 生き物の体の中で働く分子は、 大きなモノが多いんです。 つまり、 生き物の研究に使えるようになった、 それが、この発明が注目されている原因なんですね。 って話は、次の項目になります。
それでは、 どうして田中さんの研究が今、脚光を浴びているのか、 という話に移ります。 といっても、 この項はやっぱり、その「前提知識」でして、 本番は次の項目です。 まず、 「ゲノム配列の決定」がその背景にあります。 という事で、 ここではゲノム配列を決定しようと言うプロジェクト 「ゲノム・プロジェクト」の話をします。 2年ちょっと前に、 「ヒトのゲノム配列が解明された」というニュースが 流れたのを覚えておられますでしょうか? アメリカのクリントン大統領とイギリスのブレア首相が 「これは人類の偉大な発見だ」みたいな メッセージを発したり、と、 マスコミでも大きく取り上げられたんですよね。 「ゲノム」というのは、ある生き物の全ての遺伝情報 と言っていいでしょう。 ヒトについて、それが全て(だいたい全部)読まれたんだ、 という話だった訳です。 それは、いったいどういう事なのでしょう? ここではそれを解説したいと思います。 生き物の遺伝情報は、基本的に全て、 DNAという分子の塩基配列という形で存在しています。 DNAって、名前くらいは知っていますよね。 このDNAが、とっても大事なんだよ、くらいの話は、 きっと聞いたことがある人が多いでしょう。 まあ、この辺りの話は、分子生物学の教科書的な話でして、 説明しだすと長くなってしまうので (それでなくても、長いよね? スミマセン。) 興味のある方は勉強してみてください。 とにかく、ここでは、『遺伝』と言われる現象は、 DNAの中にある情報によって決まっている、という事を 前提とさせてください。 良く誤解されている事ですが、 遺伝によって(遺伝子によって)全てが決まってしまう、 訳ではありません。 いわゆる「先天的なもの」が遺伝なのであって、 「後天的」なもの、例えば環境や努力で変えられることは、 いくらでもあります。 だけど、 先天的に決まっていることも、やっぱり沢山ある訳ですね。 例えば、 人間からは、人間が生まれてくる。 しかも、 日本人のような黄色人種からは黄色人種しか生まれない。 こういうのは、「先天的」ですよね? いや、当たり前の話ですけど、 でも、こういう「人間からは必ず人間だ」みたいな話って、 良く考えたら凄く大変な事でしょう? そういった事を決めているのが、DNAの情報なんですね。 20世紀になって、 そうですね、だいたい1960年代くらいに、 こういう事が分かってきたんですね。 結構、最近の話でしょ? それとも、思っていたより昔でしたか? さて、こういう事が分かると、 それならDNAの情報を全て読んでしまおう、 と考える人がいるのは、不自然なことではないでしょう。 DNAの情報は、親から子へ伝えられる全ての情報 と、だいたい言える訳ですね。 そして、 生物はこの情報を元に自分自身の体を作り上げるのです。 という事は、 DNAの情報全てがあれば、そこには 生き物の体を作り出すために必要な情報が全てある、 そうなります。 だから、これが分かれば、 生き物の仕組みが解明できるんじゃないか、 ・・・そんなふうに考えられるのですから。 それで、1980年代に、 世界中の科学者で分担して、 ヒトのDNAの情報を全て読んでしまおう、という計画が 提案されました。 全ての遺伝情報・ゲノム配列を読むプロジェクトなので、 「ゲノムプロジェクト」と呼ばれました。 でも。 この計画が提案された時は、 あまり現実味のある話として扱われなかったようです。 というのは、 上のように書いちゃうと簡単そうですけども、 実際には、DNAの情報ってのは膨大な量があるんですよ。 ヒトだと、約30億。 それだけの数の塩基の並べ方を決めないといけないんです。 だから、そんな簡単な話じゃ、ないんです。 具体的にどう、簡単じゃないかってのは、 1)そんなにたくさん、いくら世界中で分担したとしても、 ちょっとやそっとで読み終わらないですよ ってのと 2)仮に全て読み終わったとしても、 そんなにたくさんの情報を解析するのも大変じゃん ってのがあるんです。 でもまあ、 とにもかくにも始まった「ゲノムプロジェクト」ですが、 始めは、もっと時間がかかると予想されていたんですよね。 しかし、技術の進歩ってのは恐ろしいもので、 予想よりずっとずっと速く、 読み進める事ができたそうです。 その辺を少し説明しましょう。 先ほど書いた「簡単じゃない事」が、どう改善されたのか、 それを順に見てみましょう。 まず1つ目。 昔は、DNAの情報を読む、というのは、 一つ一つ手作業の大変な実験だったんです。 しかしそれが、オートシークエンサーという 自動的に情報を読んでくれる機械が開発され、 しかもそれがどんどん改良される事によって、 少ない人手で多くの情報を読むことができるようになって、 それほど大変でもなくなったんです。 2つ目は、やはりコンピュータの進歩が大きいですね。 実はこちらの方はまだまだ問題は残っていて、 これから改良していかないといけないんですけどね。 ・・・って話は、次の項目でも出てくる事になるんですが。 でも、 沢山の情報を一度に参照できるようになったり、なんかは、 コンピュータの進歩なしには考えられなかったでしょう。 そういう訳で、 当初予想されていたのと比べれば、ですが、 それこそ「あっという間」に「ほぼ全ての情報」が 読み終わってしまったのです。
宴の後ーポストゲノム研究の話の導入 って事で、 ゲノム配列はだいたい読み終わったんですけど、 でも、だから何なの? って話でもあるんですよ。 ってのは。 DNAの情報は、塩基配列という形で存在しているって、 前に書きましたね。 それを、もう少しちゃんと書きます。 (「分子生物学の教科書的話」Part IIってトコですか。) DNAは、もの凄く大きな分子なんです。 「二重らせん」って聞いたことあるかもしれませんが、 まあとにかく、とても長細い分子なんですよ。 その中に、塩基(というカテゴリーの部品)が ずらって並んでいる。 この「塩基」には、A、T、G、C4種類あるんです。 だから、DNAの情報というのは、「A、T、G、C」が 一列に並んだ形になっています。 この4つがどういう順番で並んでいるか、 というのが「DNAの情報」なんです。 だから、例えば、
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