柳瀬 |
このたび、「ほぼ日」で、
1日だけの臨時編集長を勤めることになりまして。
「ぜひ、柳瀬さんの偏った人脈でやってください」
とイトイさんに命じられまして(笑)、
すでに
山形浩生さんにお話を伺ったのですけれども、
今日は、永野さんにお話を伺いに来ました。
永野さんは、
わたくしの仕事の上での大先輩でもあります。
緊張します。コホン。
では、よろしくお願いします。 |
永野 |
わかりました。よろしく! |
柳瀬 |
では、まずはほぼ日の読者のために、
「経済新聞」のイロハから聞いていきたい、
と思っております。
そこで、実際に「日経MJ」という
経済新聞で編集長をされている
永野さんにおたずねするスタイルで行きたい、と。 |
永野 |
そういうスタイルね。 |
柳瀬 |
いま、日経新聞以外のいわゆる「一般紙」でも、
経済だとか、企業だとか、ハイテクだとか、
ITだとかの記事が増えています。
言ってみれば、あらゆる新聞の「経済新聞化」が
進んでるような気がするのですが、
そんな潮流の中で、
改めて基本に立ち返って、
経済新聞ってなんなのかを伺いたいんです。
ぼくが学生の頃――
20年近く前の話ですが、
日経って、
「おやじが会社で読むもの」というイメージでした。
たとえ家で日経をとっていても、
だいたい朝日だの読売だの毎日だのと
併読してるっていうのが、
スタンダードな
日経の読まれ方だったような気がします。
けれど、最近では、
日経新聞だけとってる、ってお家が結構ある。
とりわけ比較的若い世代で。
併読してるのも、
日経産業新聞だったり
日経MJ(日経流通新聞)だったり、
っていうケースも珍しくない。
新聞だけじゃなく、テレビも雑誌も、
いわゆる「経済モノ」があきらかに増えている。
「経済ニュース」を、ふつうの家庭で
みんなが当たり前に吸収するようになった――。
そんな、流れなんだろうと思うのですが、
このあたりの変化って、いつから起きましたか? |
永野 |
ぼくは日本経済新聞に入って
30年以上経つわけですが‥‥。
たしかに30年前といまでは
経済ニュースに関する世間の感度は
すごく違う。
そもそも、アダム・スミスの時代には、
政治経済学といって、政治と経済が一緒になってた。
それが、20世紀に入って専門化して、
政治と分かれたものになったんですよね。
そこからいまの経済が始まります。
じつは、日本の戦後というのは、
ある意味で政治的なパワーを捨てて、
経済でやってきた。
ですから、戦後日本においては
経済というものが、
同時代の他の国に比べて、
非常に重要な地位を占めていた。
その意味では、日本において
「経済」に関する情報もまた
重要なものだった「はず」、なんです。
けれども、
日本人自身が、その重要性を
あまり明確に意識していなかった。
それが80年代後半あたりを境に、
日本人の大半が、
経済の重要性を明確に意識するようになった。
きっかけは二つあります。
ひとつは、
80年代後半のバブル経済。
みんなが「投機」や「消費」に目覚め、
すごく具体的に、わかりやすい形で、
カネと経済の重要性が、
あらゆる日本人に伝わった。
もうひとつは、冷戦の崩壊。
資本主義と共産主義という区分けがなくなって、
どういう尺度で国をはかるかというところで、
イデオロギーの代わりに
経済の力が持ちだされる時代になった。
ある意味で尺度が「経済」に移り、
経済を通していろいろなものを見る時代になった。
かくして、
経済に関する情報を、
個人も社会も重要視するようになり、
それに対応するように、
メディアが経済に関する情報やニュースを
増やしていったわけです。
だから経済新聞の需要が高まったのですね。
日本に限っていうならば、
90年代に入ってバブルが崩壊すると
戦後、経済によってうるおってきた国の、
その経済の仕組みが崩れてきた。
これから日本はどちらに進むのか。
会社はどうなるのか。
我々はどうすればいいのか。
それを考えるとき、
ますます、経済に関する知識と情報の
重要性が増してきている、
とぼくは思います。
かつては、もっぱら政治が
こうした話の軸にあった。
でも今は
青臭い政治論よりも、むしろ、こうした
ものごとのシステムがどうまわるのか
という経済のありさまを
しっかりとらえたほうが、
世の中の本質が見える。
時代を見る窓として、
政治ジャーナリスト的な視点よりも、
経済の情報を見据えることのほうが
より有効な時代、
ともいえるのかもしれません。
「情報」と「ジャーナリズム」の
垣根がなくなってきた、ともいえる。 |
柳瀬 |
なるほど。
そこで経済、というものを見るときのポイントを
もうちょっと具体的に教えてもらえますか。 |
永野 |
まず、バブル崩壊以後は、
マーケティングとマネジメントとブランドと
その3つのことをちゃんと意識していないと
企業は生きていけない時代になった。
その点を頭に入れておくべきでしょう。
いまの「日経MJ」の編集長をやる数年前、
ぼくは95年から97年にかけて
雑誌「日経ビジネス」の編集長を務めていました。
その日経ビジネスで95年、
「もう国には頼まない」
という特集を組んだことがあります。
「これからは個人が波乗りをする時代ですよ」
「制度に乗っかって生きていくことはできませんよ」
というメッセージをこめたつもりです。
それから7年、
今は完全に現実になっています。
国とか会社とかのシステムに乗るのではなく、
ひとりひとりが、自分が何をできるのかが、
自営をしていても、会社に在籍していても、
問われてくる時代が、明らかにきてるんですね。
表面的には、ものすごい豊かさを
若い人たちが感受しているように見えて、
ブランドものが売れまくっているけれど、
もう一方で、
「もう信用恐慌だよ」と言われるほどの
経済の厳しい現状が併存しているわけでして、
きわめて奇妙な状態なんです、今は。 |
柳瀬 |
いま、
マーケティングとマネジメントとブランドと
その3つがキーになるとおっしゃったのですが、
その理由を、簡単に説明していただけますか? |
永野 |
そうですね。
マーケティングというのは、
広告代理店やコンサルティング会社の言う
「いわゆるマーケティング」
というのがすぐに頭に浮かぶ。 |
柳瀬 |
だからいきなり
「マーケティング」という言葉が飛び出すと
ちょっと胡散臭く聞こえちゃう(笑)。 |
永野 |
そうなんだよ(笑)
でも、マーケティングって
いわゆる専門家の集団が専門用語を使って
企業から
お金をひっぱりだすときに使う以上の
意味を持った、重要な言葉なんです。
単純に言うと、
まず、マーケティングというのは、
そもそも
「市場から、どうお金を引きだしますか?」
ということなんです。
まさにビジネスの前提といっていい。
そして、
90年代には、
インターネットの登場や物流サービスの発達などで、
企業が個人と直接向き合う
1対1のマーケティング‥‥
ワン・トウ・ワン・マーケティングが
現実のものになった。
それでどうなったかというと、
既存の流通の秩序が現実に変わってきた。
これまでの資本主義的な売買の仕組みが、
変わってきた、ともいえます。 |
柳瀬 |
たしかに、
かつての流通というのは、
大量仕入れ大量販売、という
企業同士の大きな枠組みが前提にありました。
そこが崩れつつある、と。
そういえば、ダイエーやマイカルといった
日本を代表する大型スーパーの
経営が崩れていったのも90年代ですものね。 |
永野 |
そう。
実は、ダイエーに関しては、
ぼくは、いろいろな思いがあるんです。
創業者の中内功さんは非常に尊敬しています。
戦後日本の高度成長した資本主義における、
最も大胆な革新者が、彼だった。
メーカー優位、企業優位だった産業構造を
消費者にもっとも近い小売の立場から
引っくり返し、
未曾有の消費大国日本をつくった。
しかし
その革新者が、90年代の半ばに、
事実上、その役割を終えたんですね。
それと平行してインターネット革命が進んだ‥‥。
やっぱり、何かが変わっていますよね。
ポイントは
どうやら、顧客のニーズをつかまえることに関して、
従来と違う仕組みが、出てきたんじゃないかと。
ぼく自身、
30年間の記者生活の最初の20年間ほどは、
兜町に通ういわゆる証券記者でした。
消費マーケットならぬ、株式マーケットの記者でした。
でも、20年前は
「マーケットと会計がわからないと、
経営者とは言えませんよ」と言っても、
経団連の会長でさえ、
「株価なんて企業業績に関係ないよ! わはははは」
と豪快なことを言っていたほどでしたからね。 |
柳瀬 |
いまだと、ギャグにしか聞こえない話(笑)。 |
永野 |
もちろん、
いまだったらとても考えられない話。
まあ、どっちにしろ、
大きな変化が来ているんですよね。
話がちょっと飛びました。
次にマネジメントです。
「マネジメント」という言葉については、
経営学者ピーター・ドラッカーが
いちばん正確に言い表しています。
1950年代の段階で、経営っていうのを、
「イノベーションとマーケティングを
コントロールすることなんだ」
と言いきった。
これは、見事だと思いますな。
ドラッカーが偉いのは、
「マネジメントというのは、決して、
株式会社だけに言えることじゃないんだ」
と指摘したところですよね。
病院の経営でも学校の経営でも、
あらゆるものがマネジメントなのであって、
効率的に組織を運営すること、
それがマネジメントなんだと考えていた。
マネジメントを問われない組織では、
あらゆるものが腐敗していきますよ、
という彼の言葉は、今の社会のありさまを
見事に予言していた。
このマネジメントに対する考えは
これからの経営には、
さらに重要になっていくでしょうね。
具体例をあげると、
日産自動車を再建した
カルロス・ゴーンさんのマネジメントが
すごいなぁと思うのは、まさしくそこなんです。
ゴーンさんは
「数字に還元できないものは、経営にならない」
と言い切っている。
それが彼のすごさです。
といっても
単純に数字至上主義なのではないんだよね。
さまざまな議論を社内でしたうえで、
集約するひとつの目標としての数字を掲げ、
その目標達成を掲げた。
共同体で、共通した意識を持ちましょう、
そのとき一番確実な意識につながるのが
「数字で表せる目標」と言っているわけです。 |
柳瀬 |
社員たちに共通の目的を持たせるための具体性、
それが「数字」というわけですね。 |
永野 |
「がんばれよ」と言いまわっているだけでは
まわらない。その意味で、ゴーンさんは、
あらゆる企業の中における業務を
数字化していった‥‥。
これこそがまさに
マネジメントなんですね。
3つめの「ブランド」というのは、
割とはっきりしていることなんですよ。
資本主義の均衡論が成り立つとすると、
基本的に企業活動というのは
「収穫逓減」の宿命を負っている。
競争が激しくなればなるほど、
利益は薄くなるというのが、株式会社の原則です。
こうした宿命を
乗り越えるときに必要なのが、
商品の細かな差異化であったり
あるいは
大胆な技術革新であったりします。
こうした付加価値をつけることで、
ひとつの商品が
単純な市場原理の競争に乗らない
過剰さを身に付ける。
そのいわばしるしとなるのが
「ブランド」です。
日本にもブランドという概念は
昔からあったんですよ。
いわゆる名店の「のれん」というやつです。
市場原理のルールにのっているように見せて、
市場原理の荒波の外側にいるというのが、
ブランド戦略なのだと言えます。
差異化によって、そのブランドは
あるマーケットにおいて
独占的なものになり、競争相手がいなくなるから。
たとえば
ソニーと二番手メーカーの
MDプレイヤーがあるとします。
双方のプレーヤーの機械としての性能が、
仮にまったく同じものだとわかっていても、
「SONY」の4文字を
消費者が積極的に欲しがるとしたら、
ソニーブランドは
同じモノをより高い値段をつけて
なおかつたくさん売ることができる。
ということは
「ソニー」というブランドであるかどうかで、
同じ水準の商品なのに
売り上げはもちろん、
利益率すら大きく変わってくる。 |
柳瀬 |
「ブランド」力が
そのままビジネスの数字に直結するわけですね。 |
永野 |
そうです。
ただ、
このブランドというのを
どう作ってどう維持するか。
それが、モノも消費も飽和状態で、
かつ不況に見舞われて
モノもサービスも売りにくい今の日本で
問われていることなんです。
というわけで、
マーケティング、マネジメント、ブランドという
3要素が重要なんだ、となります。
もっともこれは別に新しい考え方じゃない。
松下幸之助さんなんかは、
昭和のはじめの時点で、この三つについて、
見事に管理していたのですから。
ただ、現在のグローバル化とIT化が、
経済活動における
マーケティングとマネジメントとブランドとの
重要度を、更に加速させています。
元マイクロソフト日本社長の成毛眞さんの近著、
『成毛式・実践マーケティング塾』
(日本経済新聞社)
で記されているように、
いま成功しているブランドは、みんな、
仕切られたマーケットを作って、
その仕切られたマーケットの中では
独占をやっているわけです。
ルイ・ヴィトンであろうがエルメスであろうが
他のブランドであろうが、
「このくらいの欲望」
という細かく分かれた欲望の枠の中で
圧倒的な強さを誇ったから
ブランドとして成立している。
そう考えると、
ブランド戦略とは、つまり
「どのお客さんを相手に、
どこまで市場を独占できるか?」
を実行する戦略、といえるかもしれない。 |
柳瀬 |
もうひとつ
流通とマーケティングの専門紙、
日経MJの編集長として、
流通とマーケティングの変化を
ちょっと解説いただけます? |
永野 |
流通っていうのは、
要するに
情報と金融とロジスティクスです。
消費者が何をほしがっているのかを
いち早く察知し、ぴったりのモノを適量仕入れ、
スムーズに届けて、カネを儲ける。
これが流通ですから。
ところが、この流通がさっきもいったけど、
インターネットやパソコンの普及といった
いわゆる「IT革命」によって、
大激震が起きている。
インターネットで個人と企業あるいは
個人同士がつながることが簡単になった。
ということはこれまで
直接消費者とつながりにくかった業種でも、
簡単にアクセスできる。
もっと具体的にいえば、
これまで「流通業」じゃなかったひとが
簡単に「流通」に参入できる。
この「ほぼ日」でも
オリジナルのアパレルを製造して
販売したりしているでしょう。
当たり前のような気がするけど
ちょっと前ならば考えられないことですよ(笑) |
柳瀬 |
やっぱりIT革命って大きかったんだなあ。
失敗したひとも結構でましたが。 |
永野 |
第1期のネットバブルの成功者たちのことですね。
彼らが見誤ったのは、IT革命の最中で、
流通の三要素「情報」「金融」「ロジスティクス」
のうちの、
ITがもっとも直接からむ「情報」を、
過大評価しすぎたところなんですよね。
ほんとに大事なのは、
商品がきちんと行き渡るための
ロジスティクスだったり、
お金を引き落とすための安全性だったり
だったりしたわけですが、
そこを手を抜いたところや
気がつかなかったところは、おおむね失敗した。
90年代終わりの
ビットバレー・ブームが終わって
見えてきたのは、
IT革命が別に終わったわけじゃなく、
「情報と金融とロジスティックス」を
うまくまわさないと失敗するよ、
ということだったわけです。
では、この「情報と金融とロジスティクス」を
うまくまわすにはどうすればいいか。
当然、マーケティングやマネジメントやブランドを
きっちり考えて実行するころです‥‥と、
さきほどの話につながるわけです。 |
柳瀬 |
なるほど。
たしかに、この不況下において
「勝ち組」であり続ける企業って、
たとえば、
トヨタ、花王、キヤノン、
ヤマト運輸、セブンイレブン‥‥。
成功している会社って、
情報と金融とロジスティクスを
ちゃんと考えてまわしているところ
ばかりですものね。
そうだ。
大切なことをお聞きしなくちゃ。
さきほど、
「情報とジャーナリズムの垣根がなくなっていく」
とおっしゃったのですが、
そもそも
「情報」と「ジャーナリズム」
とはどこが違うのか、
比較していただけますか? |
永野 |
新聞って、
「新しく聞く」と書くように、
一義的には、情報のことなんですよね。
じゃあ、
その情報をどう評価するか、というところに、
ジャーナリズムが出てくるわけ。 |
柳瀬 |
大雑把に言うと
集めてきた情報を
いかに「編集するか」が、ジャーナリズムだと。 |
永野 |
ぼくは、自分のことを、
ずっと、ジャーナリストだと思っていました。
ジャーナリストとは、つまり、
「公共的な仕事であり、
ある種のモラルを、社会のために考えるもの」
である、と。そう思って今日まで仕事をしてきた。
ただ、今の時代では、
こうしたジャーナリズムに対する
価値観念が揺らいできている。
なぜか?
情報とジャーナリズムの垣根が見えない理由は、
今は、「正義」だとか「社会の方向」というものが
とても見えにくくなっている時だからなんです。
そんな時に、従来どおりのことをして
ジャーナリスト然とした活動をしているのであれば、
何も有益なことはないでしょう。
社会の土台が
変わるとき、くずれるとき、
はっきりしていないときには、
明らかに従来型のジャーナリズムではないものが、
あちこちに出てくる。
とりわけ今はインターネットがあるから、
その傾向は著しい。
さまざまな個人が
「情報」を発信できるわけですから。
そして、そんな「情報」発信の中から
もしかしたら、
新しいジャーナリズム的なものが
生まれはじめているのかもしれない。
「ほぼ日」もまさに
そうした「新しい動き」のひとつ、
とぼくはとらえています。
新聞っていうのも、もともと、
ジャーナリズムだとか公共だとか言う前に、
19世紀以来の歴史を見てもわかるように、
「商業新聞」ですよね。
ビジネスの観点からみれば、
消費者に情報を商品として提供する――。
これが新聞の原型です。
新聞にしろテレビにしろ雑誌にしろ、
ジャーナリズムをみんな、
ボランティアでやっているわけではなく、
商業ベースで行っている。
これはいまも同じ。
ですから、ぼくも含め
企業に属する職業ジャーナリストは、
「商売」としてのメディアと
正義――ジャーナリズムとしてのメディアの
両義性を持って仕事をしている、
という自覚をしなければならないでしょう。
ですから、
正義のジャーナリズムを
ただただ振り回し、
現実から離反してしまうのも、
あるいは、商業主義に突っ走り
批評性の欠ける情報を
垂れ流すだけになってしまうのも
どちらもダメです。
情報とジャーナリズムの両義性は、
ほんとはいつでも、
とても大切なんだと思うんです。
このあたり、ぼくの言っていることは、
矛盾に満ちていますけれど、
中庸と言いますか、商業と正義の
その両側を渡るバランスが大事でしょうね。 |
柳瀬 |
もともと、商売をやりながらの
ジャーナリズムだということを、
メディアに携わる側が、しばしば
自覚しなくなってしまうことがある。
無論、自戒を込めてですが。 |
永野 |
それは、まちがいないです。
ただ、まさに矛盾にみちたことではあるから、
この両義性のうえで
「ジャーナリズム」をやるのは
たいへんですが(笑) |
柳瀬 |
最近、日経MJで取りあげた記事 、
これから取り上げる記事のなかで、
永野さんがとりわけ興味があるのはなんですか? |
永野 |
最近、日経MJで
「風を読む」というタイトルで
連載をやっているんです。
そんなに有名でもない、反資本主義的でもない、
けっこう商売もうまくやっている、
だけど新しい生き方を体現している人を、
取りあげたいと思ってやっているコーナーです。
これは、次の時代を生きていく上で、
「あぁ、こういう生き方があったんだ」と
ひとつのモデルになるものを示せればいいなぁと。
ただ、まかりまちがっても、
よくある「一寸の虫にも五分の魂」的な
人物は出しちゃダメ、と
編集部には伝えてあるんですが‥‥
これがけっこうむずかしい。
というのも、
たとえば現場の記者に、自分の趣味で人選させると、
すぐに「五分の魂」みたいな
「いいひと」「おもしろいひと」
を探し出してきてしまう。
だけど、ぼくが狙っているのは
そうしたひとたちを取り上げることではない。
そのひとたちが、
この日本という国の
メジャーな構成員となったとき、
日本がうまくまわるか?
うまくまわるぞ、きっと!
と思えるようなひと、
そんなひとびとを掘り起こしたいんです。
社会っていうのはいろんなひとがいる。
そのなかで
いまはまだ無名かもしれないけれど
将来、社会をまわしていくだけの
可能性を持ったひとに
しっかり光を当てていきたい。
それがぼくの狙いなんです。
ところが「一寸の虫も‥‥」的ひとを集めると、
下手するとただのサブカルチャーの話で終わる。
ぼくはそうしたサブカルチャー論が嫌いなんです。
別にサブカルチャーが嫌いなわけじゃない。
サブカルチャー的に生きることは、
ぜんぜん悪いことだとは思いません。
気をつけなければいけないのは、
サブカルチャーは、その時点では
あくまで「サブ」カルチャーである
という事実です。
そしてしばしば、
あるサブカルチャーが受けているのは、
「カルチャー」であるからではなく、
「サブ」であるから、マイナーであるから、
ということが多い。
ところが、
これを取り違えてしまうケースがままある。
そんな「サブ」のひとを
「メイン」の舞台に引っ張り出すと
往々にして
世間が誤った情報の受け取り方をしたり、
あるいは当人が勘違いしたりしてしまう。
そういうのが嫌いなんです。
サブであるものを、
無判断に「メイン」に持ってくるのはまずい。
と、思うんですね。
あ、勘違いしないでください。
サブカルチャーそのものは、
いまも昔も非常に重要です。
いきなりメインになるものなんてない。
最初はみんなサブなんですから。
とりわけ、
産業のソフト化や
経済のサービス化というのは、
従来のサブカルチャーが
メインストリームに来ることでもあります。
だから繰り返しになるけれど
サブカルチャーそのものは
注視しているし、重要だと思ってる。
ただし、
サブからメインに来る以上は、
責任も出てくるし、
ある意味で官僚的にもなる部分もある……
そういった物を飲み込んだうえで
メインになれるもの、なろうとするもの、
逆にいうとそういう動きには
ぼくは非常に興味があります。 |
柳瀬 |
近頃、旗色の悪い大企業のほうはどうですか?
なにか面白い見方があるんでしょうか? |
永野 |
いま、ぼくの経済記者、経済紙編集者としての
大きな興味のひとつに、
改めて、
「大組織の中でしっかり生きている人」
というのがあります。
既存の大企業のなかで、
「個」としての自分を発揮しながら
きちんとサラリーマンとしての折り目をつけていく。
そんなひとたちの話を、
しっかり取りあげていきたいと思ってます。
大企業の中で部長になったり、
いやおうなく頑張っている連中を
取りあげなければいけない。
そう感じているんですよ。
企業を辞めるのはかんたんです。
しかし、辞めないで生きていて、
組織もまわるようにしている人を見つめたい。
考えてみてください。
今後の日本の企業社会が
大企業がつぶれ
ベンチャーだらけになると思いますか。
まずないでしょう。
大半の人間というのは
ぼくもそうですが、
会社で禄を食んで生きるものです。
だからこそ、
「組織の中でしっかり生きる」というのを
あらためてきちんと報じたい。
「これからメジャーになろう」としているひとたち、
「大組織のなかで生き抜こう」としているひとたち、
双方にどれだけ
有用なメッセージと情報を報じられるか――。
これはぼくたちがつくっている
新聞という媒体にとっても、重要なことなんです。
彼らに役立つ媒体であるかどうかが、
われわれの媒体が生き抜くかどうかの
瀬戸際だと思いますから。 |
柳瀬 |
経済新聞の編集長として、
今年2003年に注目すべき現象はなんですか? |
永野 |
新年号の特集記事というのは、
いつも、緊張するんです。
日経ビジネスの編集長の時も、
2年間、正月を迎えましたが、
96年と97年に、脳本主義、技術革新を
それぞれ取り上げました。
それからしばらく経って、
まぁまぁよく当たったなぁと思うんです。
‥‥あ、やっぱり編集長というのは
正月の紙面に賭けるものなんですよ。
だから今、思い出したわけだけど。
日経MJの去年は、
「消費大国中国」という特集でした。
「世界の工場中国」という言葉が
やっと定着しかけたところに、
消費大国は早すぎるんじゃないかとも
内部で話しあいましたけれど、
これは当たりました。
現実がすぐに追いついて
いまや中国の話抜きで経済記事は
つくれなくなりましたからね。
それから、
去年の1月4日号ではデパート地下食品売り場、
いわゆるデパ地下を取りあげた。
ほかの媒体に先駆けて
早く取りあげたわけではないけど、
まあまあよくやった、と思っているんです。
そこで、今年の元旦は、
「生活都心・東京」を特集しました。
東京特集なんです。
東京の丸の内の「丸ビル」ブーム以降、
汐留、それから六本木って
あたらしい高層ビルがどんどん出てくるけど、
ここでポイントは
都心部にこれまでにないほどの数の
住居が生まれ続けているということなんです。
ということは、
住民構成が都心部で大変化するわけで、
するとどうなるだろうか、と考えた。
実はいままさに
生活空間としての東京に
変わっているんじゃないかなぁと‥‥。
そこで、「生活都心」という言葉は
悪くないんじゃないかなぁと思いまして、
この特集を組みました。
これは、
「たぶん、場としての東京論が
かなりコアになっていくんじゃないか」
という予測のもとに、組んだものです。
エンパイアステートビルができたのは、
1929年、世界大恐慌のさなかですよね。
丸ビルができて森ビルができるわけだから
2003年問題なんて言われていますけれど、
結果的には、もし恐慌が来たらそれも含めて、
新しい場が東京にできるのではないか、
というのが、その特集の内容です。
東京問題としてだけではなくて、
人間のネットワークが問われる時代を、
探りたいと考えました。
ネットワークというと
すぐにインターネットを考えてしまうけど、
ひととひととが直接触れ合うことによって
生まれるネットワークからは
よりいろいろな磁場が生まれる。
東京都心部に生活する
ひとびとが増えれば、
当然いろいろな磁場が生まれるでしょう。
それから
もうひとつの組み合わせとして、
今年の1月4日号では、
「おみやげ」というのを特集するんです。
じつは
おみやげマーケットが堅調なんですよ。 |
柳瀬 |
それ、おもしろいですねぇ。 |
永野 |
地方発ブランドに興味があるし、
正月号で東京を特集しているから、
ということもあるのですが、
地方の中に、新しいブランド志向が
出てきているんですよ。
いまや
大企業が地域限定の商品を出したりしてますよ。
一方で、たとえば、
京都の赤福という有名なおみやげは、
京都駅にはあるけど、東京では売らない。
赤福の地方マーケティングなわけですよね。
地域にしぼりきるか、ナショナルブランドか、
ほんとうのローカルなのか、そのあたりを
きっちり見据えて展開する
マーケティング時代になりましたね。
こうした動きを
「おみやげ」という視点で切るわけです。 |
柳瀬 |
でも、ただ、
「おみやげが面白い」というだけの
話じゃないでしょう。
その裏にあるのは、どんなお話ですか。 |
永野 |
「おみやげ」ってすべて「地方」のものですよね。
東京のおみやげも含めて。
いわば地方発のブランドの象徴、
それが「おみやげ」なんです。
この「おみやげ」も含め、
ぼくはMJの紙面で
地方発のブランド、という切り口で、
地方問題を取り上げていこう、
と決めているんです。
もうすでに昨年からスタートしています。
なぜそう思ったか。
最大の理由は、田中角栄以来の、
地方に施設は作るけど、その後は何もしない
そんな地方の「箱もの行政」からの脱却、
そのためにはどうすればいいだろう、
という観点があったからです。
そのアンサーのひとつが
ほんとうに地方の経済を改善していくためには、
それこそ
「おみやげ」になるような
ソフトを、商品を、
いかに作っていくことではないか、と。
具体的には
その地方でしかつくれないもの、とれないもの。
そういったものを
「ブランド化」していくことではないか、と。 |
柳瀬 |
なるほど!
生活空間としての東京、
おみやげを通した地方のブランド化‥‥。
正月に、東京と地方、両方を特集するんですね。 |
永野 |
大きく見れば、たぶん2003年というのは、
景気はいちだんと悪くなる。
銀行、ゼネコンなどの経営問題や
債務の問題なども山積みのまま、
事態はいっこうに改善していない。
おそらく
上半期からまんなかにかけて、
マクロに見れば経済の状況は、
今までで最も悪くなるかもしれないぐらい
厳しくなっていく。
けれども、その厳しさの中に、
変化の芽が出る、かもしれない。
そこに希望を見ています。
ブランドも、
表層的なブランドバブルみたいなものは、
そろそろ、はじける時なのかもしれません。
だけど、ほんとうに地に足をつけたブランドが、
見えてくる時期なのかもしれない、
と思っています。
さきほどの「地方発ブランド」のように。
そうそう、
消費の主役が高齢者になってくるでしょうし‥‥。 |
柳瀬 |
ほんとにそうですね。
労働力としての高齢者も、
すごく大きなテーマになるでしょうし。 |
永野 |
たとえばこれはずいぶん前からやってることですが、
年金プラス300万円の年収で
暮らせるような仕組みを作った
東急ハンズの試みは、おもしろいと思います。 |
柳瀬 |
東急ハンズって、前から、
流通と全然関係ない
メーカーのバリバリの技術者だったひとが
セミ・リタイアしたあとに
再就職して店頭に立ってらっしゃったりするんですよね。
そのひとの「プロフェッショナル」な知識を
ちゃんと生かして、
たとえば、工機メーカーの元技術屋さんが、
東急ハンズの「工具売り場」を仕切っている。
商品知識はもちろん
お客さんのかなり細かな質問にも
びしびし答えられちゃうんでしたっけ。
そう考えると、
「ちゃんと仕事をしていたひとの智恵とノウハウ」
は、別のどこかで必ず生かせる、
というふうに思います。
高齢化を前提とした社会では
積極的に進めるべき話のひとつでしょうね。
さて‥‥「ほぼ日」って、
20代後半から30代前半の女性が、
たくさん読んでいる。そうですよね? |
ほぼ日 |
はい。 |
永野 |
そうなんですか。
日経MJを、いちばん読んでもらいたい層です(笑)。 |
柳瀬 |
そういったほぼ日読者の方々に向けて、
年始のオススメ本として、
「これを読んでおくといいですよ」
というものを、いくつか、挙げていただけますか? |
永野 |
ひとつは、さきほど出てきましたけれど、
『成毛式・実践マーケティング塾』
(成毛眞/日本経済新聞)ですね。
ぼくも編集にかかわったので宣伝しちゃいますけど、
ほんとうに経済を現実から知るうえでは、
すごくいい入門書になっている、
と胸を張っていえます。
成毛さんという方は、
マイクロソフト日本社長だった折に
きちんと独占の強さも知り、
商売も知り、という上では、
マーケティングを語る適任者なんです。
あの本を読むと、
マーケティングというものはどういうもので、
日本の経済というものがどういうものなのかを
わかると思いますね。
あとは、どういう本がいいかなぁ。 |
柳瀬 |
ぜんぜん畑違いのもので、ありますか? |
永野 |
それだと‥‥今西錦司さんの
『生物の世界』(中公クラシックス)ですね。
あれは、ほんとにすごいよ!
今西さんの本の中でも、断然すばらしいです。
独自の進化論を展開し、
日本の生態学の礎ともなった
今西錦司さんのほんとうのデビュー作で、
本来、とても古いんですけれど、
ぼくは最近、はじめて読んだんですよね。
戦前には、けっこうすばらしい人がいた、
という再評価が大事だと、最近思っていますが、
その中でも、今西錦司さんというのは、
もう‥‥すごい男だなぁ。知のバケモノです。
『生物の世界』というのは、日本が戦争に入って
もう、遺書のつもりで書いているものでした。
「文章にしておかなければいけないな」
という動機で書かれているから、ものすごいです。
年末年始につくづく思うんですけど、
再読っていうのは、いいよなぁ。
だって‥‥もう一度読み直してみると、
前のこと、何にも覚えていないって気づくもん(笑)。
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柳瀬 |
ハハハ。そういうものですよね。
どうもありがとうございました。 |