社会の理系化が進行中?
コンピューター専門記者に訊く。

ぼくたちの社会は、
いつのまにか「理系社会」になっている。

ほんの十年前まで、銀縁眼鏡の
「理系なひと」たちのおもちゃだったコンピュータを
はるかに上回る性能のパソコンを、
小学生からおじいちゃんおばあちゃんまでが使いこなし、
しかもそのほとんどがインターネットにつながってる。

女子高生は何の苦もなく、ハイテク機器の
デジカメ機能つきの携帯電話で、会話はもちろん、
映像は飛ばしちゃう、買い物はしちゃう。
そんな「ドラえもん」的未来が現実になった。

でも、あまりに急激に世界が理系化したせいだろうか、
ぼくらはまだ、散々利用しているくせに、
理系化した社会のいまを実感できていない。

その結果、さまざまな齟齬が、
いろんなところで起きている。
とりわけ、そんな齟齬が目立つのが、
「理系化」した社会の状態に追いつけない人々が
トップに立っている大企業だの役所だの政府だのといった
「エスタブリッシュ」なおじさん(おじいさん?)たちが
牛耳る「業界」だ。
その結果の典型例が、銀行のシステム障害だの、
深い考えもなしの住基ネットの施行だの、である。

これはひとつ、
いま、社会の「理系化」がどの程度進んでるのか?
なにをいまみんなが知らなきゃいけないのか?
‥‥そのへんを、お勉強する必要があるだろう。

そこで、この企業の「理系」周りの専門家、
日経BP社のコンピューター系編集委員の
谷島宣之さんに、いろいろ教えてもらっちゃおう!
(※ちなみに、日経BPの中で谷島さんが書いているサイトはこちら

システムトラブルは、なぜ起きるのか? 

柳瀬

「理系本」が売れてますね。
中でも谷島さんが編集・執筆された

『システム障害はなぜ起きたか?』

『動かないコンピュータ』

この2冊は、理系的スタンスが
いかに日本の企業のマネジメントに足りないかを
検証した本でかなり売れたと聞きました。
どんなひとが買ってるんでしょう?
‥‥あ、それからそれぞれの本の解説と、
谷島さんが特に問題として
とりあげたかった点も教えてくださいますか。

谷島 あのう、今、12月30日なんですけど。
「ほぼ日刊イトイ新聞」って、
一体いつまで取材しているんですか。
ほぼ日 ほぼ日刊というくらいですから、
取材は、まぁ、ほぼ毎日ということで‥‥。
このインタビューは1月2日と3日に
編集して、1月4日に公開する予定です。
谷島 年末年始なんて関係ないわけですか。
まあ、こちらも12月30日の夜11時ごろに、
自分のWebページを更新して
仕事納めをしたつもりになっていたところ
だから、
似たようなものですね。

ぼくでよければ何でも答えますが、
コンピューターとか情報システムとか、
大事ではあるものの、堅い話を
正月に公開して受けるのかなあ。
ほぼ日 1月4日は特別番組で、
「ほぼ日刊イトイ経済新聞」に変身するんですよ。
だから、大丈夫です。
谷島 新年早々、経済ですか。一応納得しました。
ご質問にお答えする前に、
ちょっと分からない点があるのですけれど。
「理系」という言葉づかいです。
理系本とか、理系的スタンスとか、
要するにハイテクを理解して使いこなせる人を、
理系と言っているわけですか。
あ、それでいいのですね。

ただ、ハイテク製品を作っている人たちには
理系が多いけれど、
ハイテクの使いこなしについては
理系も文系もあまり関係ありませんね。
日本の会社の多くは文系出身のトップが
牛耳っていますが、
ちゃんとコンピューターを使いなしている
経営者もいますよ。

逆に理系出身のばりばりのエンジニアなのに、
コンピューターとかそれを使ったシステムの
本質があまり分かっていない人もいますから。

『システム障害はなぜ起きたか?』と
『動かないコンピュータ』のテーマは、
どちらも同じです。

理系というかハイテクの象徴である
コンピューターという異物を、
会社や社会に持ち込んだときに、
時として適応異常が起きます。

適応異常って言葉が堅いですが、
要はコンピューターを使ったがゆえに、
かえって経営がうまくいかなくなったり、
お客さんに迷惑をかけるトラブルを
起こしてしまうこと
を指しています。

そうした適応異常の症例報告をまとめたのが、
二冊の本です。
『システム障害はなぜ起きたか?』は、
2002年の年頭や春に
世間を騒がせた大手銀行各行の
コンピューター・トラブルについて
詳しく書いたものです。

この本は
コンピューターの専門家の方だけではなく、
あの事件に関心がある人たちが買ってくれました。

読者からの葉書を見ていると、
コンピューターの担当ではない
金融業界関係者の方から、大学の先生や学生まで、
実に様々な方々に読んでいただきました。
ありがたいことに、
20冊くらいまとめ買いをして、
自分の会社の役員全員に配った
という話なんかも聞きました。

もう一つの
『動かないコンピュータ』というのは
奇妙なタイトルですけれども、
これはぼくが長年いた日経コンピュータという雑誌で
20年近く連載しているコラムの名前です。
せっかく大金をはたいて
コンピューターを買ったのに、
うまく使えなかったという実話を集めたものです。
こっちはもともとの連載をご存じの理系の方が
まず買ってくれたようですが、それ以外の
普通の文系読者も読んでくれています。

おっしゃるように、
理系のトラブルに世間の関心が
集まってきたということでしょう。
柳瀬 あの、コンピューターが
動かないなんてことがあるのですか。
谷島 電源を入れれば、
コンピューターの機械そのものは動きますよ。
ここで言っている、「動かない」とは、
所定の計画通りのシステムができなかった、
という意味です。
企業がコンピューターを使うときには、
その企業の仕事に必要な情報が
うまく出てくるように、企業ごとに
コンピューター・プログラムを作ります。

このプログラムが
コンピューターの上で動いて、
企業に役立つ情報を作ってくれるわけです。
コンピューターとプログラム全体をまとめて
企業情報システムと呼んでいます。
ところが、思ったようなプログラムが
期限通りになかなかできあがらない。
なんとか作り上げて使い出してみると、
うまく動かなかったりする。
これが「動かないコンピュータ」です。

こういう意味での動かない話は
いたるところにありまして、
騒がれた銀行の一件は氷山の一角に過ぎません。
柳瀬 そんなに多いんですか。

システム制作時に、経営者がやるべきこと

柳瀬 トラブルの理由として、
『システム障害はなぜ起きたか?』では、
いわゆる「理系素養」のない経営トップたちの
問題が指摘されていました。

谷島さんの記者ならではの実体験で、
いまのオジサンたちの
「理系度」ってどの程度なのか、
どのあたりに根本的な問題があるのか、
教えてくださいますでしょうか?
谷島 年末年始に
人様のことをあげつらっていると
天罰が下りそうな気がしますが‥‥。

あの本で経営者を批判したのは、
「ああしたトラブルが起きてしまった
 会社のトップだから、責任がある」
という意味ではありません。
日本って、なにか問題が起きると
すぐメディアが、
「社長は辞めろ」と大合唱するでしょう。
こうした風潮こそ、もっとも
理系の発想から遠いところにありますね。

いや、こういうと心ある文系の人に失礼かな。
とにかく論理的に考えないで、
表面的かつ感情的に批判しがちなのは
日本の一番よくないところです。
柳瀬 なんだか急に気合いが入ってませんか。
谷島 メディアはだれも批判しないですからね。
記者をずっとやってますから、
ほかのどの仕事よりも実情に通じてますし。
よその会社の文系経営者を批判するよりも、
メディアの批判をやらせてもらったほうが、
おもしろい話ができますよ。
柳瀬 ‥‥それはまたの機会にして、
文系経営者のどこが問題なんですか。
谷島 言いたいことはすごく簡単なんです。
「経営者は
 もっと情報システムのことに
 関心を持って対処してください」

これだけ。簡単でしょう。
ところが経営者が
「コンピューターのことはよく分からない」
といって現場の専門家に任せきりにして、
そのくせ無理難題をいろいろと
現場に押しつけることが結構多いのです。
だから、ああいうトラブルが起きたわけです。
 
去年始めにシステムで
トラブルを起こした銀行なんて
本当に気の毒でした。
二つの銀行の情報システムを一本化する
プロジェクトの途中で、お偉いさんから
「3カ月早く終わらせてくれ」
と言われてしまい、必死で徹夜仕事をした。
プロジェクトを99%成功させて、
最後の最後にちょっとつまづいただけなのに、
責任者は首ですから。

「むちゃくちゃな命令を出しておいて、
 そのあげくに現場の責任者を処罰するくらいなら、
 おまえが先に辞めろ」という感じですね。
あ、「トップは辞めろ」と言ってしまったなあ。
柳瀬 質問はまだまだあるので、
あまり興奮しないでくださいね。

コンピューターとかシステムに
関心を持つだけでいいんですか。
それなら確かに文系も理系もないわけですが。
谷島 さっきお話したように、
多くの経営者にとってコンピューターは
やはり異物なんですよ。

なんだかよく分からないし、
金はすごくかかるし、
そのくせ役に立っているのかそうでないか、
よく見えない。

でも分からないといって、
現場に任せきりにしてはいけません。
会社の最高責任者なんだから、
基本的なことが分かるまで、現場に聞くなり、
外部の専門家にしつこく聞いてほしいですね。
現場の専門家が経営者に
分かりやすく説明できなければ、
それをなんとかするのが経営者の務めでしょう。

基本的なことというのは、
コンピューターの技術的な話ではありません。
会社でコンピューターを使っていくときに、
だれがどんな役割を担うべきか、
経営者として判断したり介入すべき点はどこか、
といったあたりです。

「経営者たるもの
 コンピューターのことに関心を持て」
というと、
「パソコンを使って
 電子メールを打てればいいのだな」
と受け止める人がいます。
これ、まったく違うんですよ。
乱暴なことを言えば、
社長さんは電子メールと格闘している暇があったら、
お客さんのいる所や
コンピューターを担当している現場に行って
直接、話をしたほうがよっぽどいいです。
電子メールを使うなとまでは言いませんけれど。

さっき企業情報システムといいましたが、
これは会社の仕事のやり方をそのまま
コンピューターに反映したものなんです。
ですから、どういうプログラムを作るかを
最終的に決めるのは、社長さんです。
自分の会社が、どういうふうに
仕事をしていくかを決めるわけだから。


もちろん、細かいことまで
口を出す必要はないけれど、
「君に任せた」というわけにはいかない。
会社の経営の方針作りとか仕事の進め方を
現場に全部任せきりにしていたら、
社長じゃないでしょう。
柳瀬 実はそういう社長が多いんじゃないですか。
御神輿に乗っているだけってよく言いますよ。
谷島 ぼくはコンピューターのほうからしか
企業を見ていないからよくわからないけれど、
ひょっとしたらそうなのかなあ。
いや、そこまでひどくないと思いますが。
ただしコンピューターの世界は
そういうことが多いのは間違いない。

さっき理系素養という話が出ましたが、
それに近いことをいうと、
コンピューターに仕事のやり方を反映するときに、
曖昧さを残すことは許されません。
コンピューターは論理的に演算するだけだから、
曖昧なことは受け付けられないのです。
自分の会社の仕事の流れがどうなっていて、
どこでいつどんな情報が必要になるかを
分析して整理しておくことが重要です。


あんまり複雑な場合、
仕事のやり方を簡単にしていかないと、
コンピューターにはうまく反映できない。

仕事を分析して整理することを
インフォメーション・エンジニアリング
と言いまして、その技法はもう確立しています。
こういう技法を使って会社の構造を
論理的に把握しておかないと、
なかなかコンピューターをうまく使えません。

でもこういう作業を面倒がって、
いきなりシステムを作ったりするから、
後で動かないコンピュータが登場するわけです。

 
技術者たちの「仕事への動機」がカギ 

 
柳瀬 これだけパソコンだのインターネットだの
携帯だのが普及し、企業から社会から個人までが
「必須のシステム」として
それらを採用しているのを見ると、
好むと好まざるとに関わらず、本当に
「理系化社会」になっちゃったんだなあ、と思います。

そもそも、社会の理系化は
いつからどのように進んできたのですか?

とりわけここ数年の急激な進歩は
どんな具合で起きたんでしょう?

社会の理系化の経緯を教えてください。
また、こうした社会の理系化の過程を、
谷島さんはどう思いますか。
谷島 理系化社会ですか。ものすごい言葉だなあ。
これもハイテク製品がはびこっている社会、
という意味でいいんですよね。
こうなった経緯としては、おっしゃったように
パソコン・インターネット・携帯の出現は
大きいでしょう。
企業や研究所の奥の院に鎮座していた
コンピューターを一気に世の中の人々に普及させ、
しかもお互いで通信できるようにしたわけですから。
月並みな言い方ですが、
コンピューターの小型軽量技術が
ものすごい勢いで進化したということです。

とはいえ社会そのものは
まだそれほど変わっていないと
ぼくは思っているんです。

もっと正確にいうと、
人間はそんなに変わっていないということです。
ハイテク製品がいくら出回っても、
ひとはそう簡単に変わりません。
携帯の出現で、
「新人類がさらに進化した」
みたいなことをいう方がおられますが、
まったく信じられません。
電車の中で一生懸命、携帯を使って
電子メールを書いている女子学生なんか見ると、
多少退化しているのかという気はしますが。

「動かないコンピュータ」の本の
前書きに書いたことを繰り返しますと、
人間はあんまり進化していないのに対し、
コンピューターだけはものすごく進化している。
このギャップが表面に出てくると、
動かないコンピュータにつながるわけです。
このギャップは永遠に残ると思います。

だから、パソコンも携帯も使えない
文系おじさんがいたとしても、
それ自体は別にあせることはありません。
むしろ、人間とコンピューターの間に
ギャップがあることは大前提として、
それにどう対処していくかを
よく考えるほうがいいのではないでしょうか。
対処にはいろいろやり方があって、
パソコンや携帯を拒否する手もあるでしょう。

ただし、しつこいですが、
経営者のひとはシステムに関する
意志決定だけは拒否しちゃ困ります。
柳瀬 「社会の理系化」が進む過程で、
具体的にさまざまな問題が起きてます。
それがまさに御著書でお書きになったような
事例だと思うのですが‥‥。

こうした急激な理系化の過程で、
企業や個人に求められる資質や知識などに
どんな変化が起きてるのか?
またそうした変化に追いつけないひとだの

集団だのが出てきたときには
どんな問題が起きるのか?

‥‥さらにはそういった問題は、
社会、個人、企業それぞれで、
今後どうやって克服すればいいのかを
教えてくださいますか?
谷島 実のところ、
理系化は大昔から進行していました。
さまざまな家電製品や
それらに電気を供給する仕組みは、
まさに理系の世界です。
新幹線や飛行機はハイテクの固まりですし、
話題になった銀行の情報システムも
その原型は20年以上からあるわけです。

ただし、こうした理系の世界は、
世の中のインフラストラクチャになっていて、
一般の人はその仕組みを
あんまり意識しないで使っていました。
これに対し、携帯とかパソコンは
普通の人がハイテク機械を
自分で持つようになった点が大きく違います。

何がいいたいかというと、
理系化は昔からあるわけで、それに備えて
企業や個人に求められる知識や資質もまた、
大昔から変わらないということです。
さっきは経営者の悪口を言ってしまったので、
ついでに普通の人への悪口というか
お願いを言うと、
「理系の世界の人たちがたいへんな苦労をして
 インフラを作っている、支えている」
ということを理解してほしいですね。

経営者の話と一緒で、
理系の世界といっても、数学とか物理を
理解しろというわけではないのです。
どういう人たちがどんな仕事をして、
何が難しいのかを知っておいてほしい、
ということです。

新年の話題として
あまり適切ではないかもしれませんが、
原子力発電を巡る電力会社の不祥事とやらも、
なぜ現場の理系のひとたちが
ああいうことをしなければならなかったのかを
考えてみる必要があります。
背景や現場の担当者の苦労をよく知らないのに、
ただ声高に批判するのは止めませんか。
「社長は辞めろ」
「企業の隠蔽体質がいかん」
というだけなら、小学生にだってやれます。
一番この点でダメなのがマスメディアですが。

繰り返しますが理系時代を乗り切るには、
まず理系の仕事を理解することです。

そうすれば、おそれることもないし、
理系の人に無茶な要求をすることもなくなる。

もう一つ理系時代に必要なのは、
理詰めで考える力です。

また原子力発電を例にとると、
ぼくは原子力の専門記者ではないので、
原発がいいかわるいかは言えません。
ただ、「原発はけしからん」というなら、
日本の電力をどうまかなうのか、
すべて火力と水力発電に戻すことが
できるのかどうか、といったように、
本質までさかのぼって
考えるべきではないでしょうか。

どうも日本の人は、
ぎりぎり詰めて本質を考え抜くことを、
野暮ったいと見る傾向があります。
理系態度とは、野暮でもいいから
理詰めでとことん考えることでしょう。

理系の変化に追いつけない人が出たら
どうすべきか、というのは、
パソコンを使えないと
情報入手の点で格差が出て困る、
といった議論からきた質問でしょうか。

この点については、すでにお答えしたと思います。
パソコンやメールや携帯が使えなくても、
どうってことありません。
小学校でパソコンを教えるなんて
馬鹿なことを本気でやろうとしているのは
日本だけです。
柳瀬 じつはかくいう私が「文系」です。
とりあえず、社会の理系化に追いつくために、
何をすればいいんでしょう?
それから、どんな本を読んだら
ある程度勉強になるんでしょう?
対策とオススメ参考図書を教えてくださいますか。
谷島

いやいやご謙遜でしょう。
なにかに追いつこうとか、
あせる必要はまったくないです。
必要なら、理系の産物を使えばいいし、
いやなら止めればいいわけですから。

そういえばぼくは携帯を持っていません。
「それで記者がやれますか」
とよく驚かれますけれど、
なんとかなっています。
ただ、ぼくに連絡がすぐとれないから、
迷惑を被っている人もおられまして、
あんまり胸を張って言えませんが。

「これをやらなきゃ理系時代に乗り遅れる」
といった趣旨の記事を読んだら、
まず疑ってかかるというのが、
正しい理科系態度です。
ただし、耳を閉ざしていては、まずい。
常に理科系の話を読み、耳を傾け、考え、
その上でおかしいものはおかしいと言えばいい。

オススメ参考図書ですか。
日経の本を紹介すると身内誉めになってなんですが、
IBMの会長だったルイス・ガースナー氏の

『巨象も踊る』は、おもしろいです。
ガースナー氏は確かもともとは理系の人ですが、
コンサルティング会社を経て、
クレジットカード会社や
食品会社の経営をしてから、
IBMのトップになったので、
文系経営者といってよいでしょう。
IBMの会長に就任したとき、
「クッキー屋にハイテク会社を経営できるのか」
とマスメディアは懐疑的でした。

「巨象も踊る」には、
文系経営者が理系企業に入って
何をやったかが書いてあります。
多くは、IBMをどう立て直したか
という成功談ですが、本筋以外の
理系経営者批判が特におもしろいです。


笑っちゃうのは、
マイクロソフトとかオラクルとか、
ハイテクの象徴のような理系会社の経営者たちを、
「ハーメルンの笛吹」と酷評していることです。
これだけすさまじい批判は
ちょっとほかにないでしょう。
ついでにいっておくと、
この本はこれまで出た経営書の中で、
もっとも手厳しいマスコミ批判が展開されています。

柳瀬 年明け一発企画なので、
谷島さんにお聞きします。
昨年は社会の理系化に追いつけない問題として
「銀行統合の際のシステム障害」
という大事件が起きました。

今年、注目すべきこうした問題になりそうな話、
あるいはドラスティックに社会の理系化を
おし進めるような話題、
ぜひトレンドとトピックを挙げてください。
谷島 これは難問ですね。
ぼくは記者でして、予言者じゃないから。
なんか大事件を予想して
社会不安をあおるようなことはしてはいけないし。

あえて妙なキーワードを使うと、
「理系の暴動」があるかもしれませんね。
「理系の崩壊」といったほうがいいかな。
ずっとお話してきたように、理系の人たちは、
難しいシステムを黙々と支えてきた。
システムには、コンピューターだけではなくて、
鉄道とか、電力とか全部含みます。

しかし、必死にやっているのに、
ちょっとトラブルがあると悪者扱いされるし、
仕事への理解がなかなか得られない。

また興奮してきたので、言いますと、
日本が技術立国というのは嘘っぱちですね。
技術者がこれほど評価されていない国は
先進国で珍しいです。


幸いというかなんというか、理系の人の間には、
「文系の経営者や利用者には
 俺たちの仕事なんか理解できない。
 だからこそ現場の我々ががんばるんだ」
という美しい根性がありました。
しかし、もはや限界にきています。


理系の暴動といっても、
彼らが自分からトラブルを起こすわけではなくて、
現場の孤軍奮闘の限界が来るのではないか、
という意味です。
あるいは彼らが諦めて、
現場から離脱してしまうかもしれない。

2002年に起きた銀行や原発の問題が
単なる偶発的なことで終わり、
ぼくの予想が杞憂であることを祈ります。


(おわり)

柳瀬さんへの激励や感想などは、
メールの表題に「柳瀬さんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ろう。

2003-01-04-SAT

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