いや、説教したいわけじゃなくて、
こういうふうに考えてるヤツもいる、
ぐらいに思って気軽に読んでくれたら
うれしいっす。
成人とは、フルチンになることなんだ

僕は今年の2月で25才になります。
だから、成人式を迎えたのも、ついこの前っちゃこのまえ。
予想はしてたけど、お酒もたばこもやらない僕としては、
ハタチの誕生日を迎えてピキっと外れるリミッターなんて
なにも無かったわけで、「成人パス」を押し付けられても、
で? っていうぐらい、ありがたみのないものでした。

でも、いざ自分がハタチになってみて、わかったことは、
「成人っていうのは、
 早くはなれるけど、遅くはなれない」
っていうこと。

中学や高校を卒業してすぐに、ちゃんと働いてたり、
プロフェッショナルな意識を持ってやっている人は、
成人式とか全然関係なく、たとえハタチ前であっても、
もう立派な大人だし、早く成人している人だなーと思うし。
そう思うのはたぶん、僕自身も、
ハタチ前から仕事してたせいもあって、
いっつも、「もう大人なんだからさ」っていう、
責任を負わされる雰囲気の中にいたからだろうけど。
だから、ハタチになったら、よけいに、
「もう、つかまり立ちは許されない年齢なんだ」って。
そんな風に思ってました。

自分が、まだ10代の頃って、ハタチの女性といったら、
「わー、カンペキ大人な存在」っていうイメージがあって、
まあ、そのイメージは、今もあんまり変わんないんだけど、
いざ、実際に、今の社会を見渡してみると、男女を問わず、
ハタチになっても、ひとりで立っていられないっていう、
「未成人」が多いのも確かだよね。

キレる若者が増えたとか、メディアはヒステリックだけど、
月並みに言ってしまえば、原因は「未成人」な大人たちが、
楽してる反動だと思うんです。
たとえばいま、大人と子供が同じように、深夜遅くまで
起きてるっていう家が増えてるみたいだけど、
そんなの僕的にはあり得ない。
どうしてゲームを止めさせて、
子供先に寝かさないんだろうって。
子供の好きなようにさせる主義って、実は本心じゃなくて、
いうことを聞かせるのが面倒だから、
親が背を向けてるだけだと思うんだよね。

身の回りにある「自由」とか「ゆとり」は、
子供自身が選んだものではなく、大人が面倒なので、
バラまいた「あめ玉」みたいなものだと思うんです。
いくらあめ玉(自由)でポケットをふくらませても、
それだけでは成人になる栄養が足りないと思うのです。
だからって、すべてを大人のせいにしてたら
なにも変わらないことはわかってるけど。

要は、そんな風に若者に与えられた自由ってあめ玉を、
ホントにそのあめ玉は甘いのか、
それがなければ生きていけないのか、
自分の感覚で、確かめなきゃいけないんだよね。
あめ玉をポケットにしまいこんだ、
着慣れた服を脱ぎ捨てる勇気が、
成人への第一歩だと思うんです。

もうすぐ成人式を迎える君たちも、
成人っちゅーのは、
大人のスーツを身につけることじゃなくて、
むしろ子供の服を脱ぎ捨てて、
「フルチンになった状態」だと思ってほしい。
成人はみなフルチンなんだと気がつけば、
「無責任」って風邪をひかないような
大人になれると思うし。


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