娯楽はもっと後ではないか(3月17日)
・こういう状況にあるときに、
人は、なんとかして「いいこと」をしようとします。
でも、「いや待てよ」と思うこともあります。
例えば、人には「楽しみ」というものが
必要なことはわかっていますが、
娯楽が届けられて、よろこばれる時期は、
もっと後なのでないかと、考えるわけです。
ただ、それは、定規で計ったようには決められない。
水が必要、食べ物が必要、毛布が必要、ガソリンが必要。
そういう時期には、たいていのものごとは、
考えることさえ遠慮したほうがよいものなのです。
世の中では「年長さん」のぼくは、だから、
なにかしたいという人たちに「呼ばれるまで行くな」と、
近くにいたら言うんだろうと思います。
「歌」も「笑い」も、「化粧品」も「玩具」も、
救援物資の箱のなかに入るのは、
まだなのだと、ぼくは考えたがっています。
でも、ちょっと別の場所では、
想像以上に早く必要としてるかもしれない。
「ものごと」には、距離感というようなものがあって、
あの人この人、あの場所この場所では、
まったくちがった感覚でとらえられるんですよね。
だからここでも、全員が納得する規則はつくれない。
‥‥つくれないんです、正解はわからないんです。
なにかを、当然の常識のように叫べるものじゃない。
・ぼくが、言えないままでいることのひとつが、
ペットの救助や、保護のことです。
災害があると、ペットもいっしょに巻き込まれます。
ペットというのは「人間」でないものです。
緊急の場面では、人間とペットの間には
一線が引かれることになります。
正直言って、この問題については、
ぼくはじぶんのことばを持っていないままです。
まだ正解を出そうとして足掻いているのかもしれません。
でも、幸い、このことをずっとやり続けてる人もいます。
ぼくは、そういう場合は、ただただ、
ひとりの愛犬家として、彼らに協力するのみです。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
真剣にしたあらゆる判断は、尊い。そう思って、今日も。
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