忘れないこと(5月10日)

・あの日があって、
 じぶんが「なにをしたらいいのか?」について、
 たくさんの人たちが悩んでいました。
 いや、いまでもそうかもしれない。
 ぼくは、とっさに、乱暴にまとめてしまえば、
 「なにもできると思うな。金を出せ」
 というようなことを言いました。
 じぶんも、そうしました。
 
 やがて、「なにをしたらいいのか?」が、
 わかってくるときがくる。
 次の時期には、そう言った覚えがあります。
 他の人や周囲をみて、あせることはないと思いました。 
 ほんとうに力を備えた人たちの活躍を、
 こころから応援することも、助けだと言えます。
 そのうち、「これができる」ということが、
 少しずつ見えてきたようでした。
 呼ばれる人は、そこに呼ばれていきました。

 いままでやってきた仕事を、
 いっそう身を入れてやることが大事だ、と。
 それを知った人は、じぶんのいる場所で働きました。
 
・しかし、「忘れない」ことが大事なんですね。
 それは、現地から、いちばん聞えてくる声です。

 被災地の人たちは、「忘れられない」ために、
 どうしたらいいかを真剣に考えているようです。
 でも、人は、自然に忘れていく生き物です。
 「忘れない」ことそのものを目的にするのではなく、
 現地と、手を差し出す側にいる人たちが、
 「いっしょにやること」をつくればいいのではないか?
 つまり「組んでやること」を考えるんです。

 定期的に「うまいもの」を買うなんてことも、
 企業の単位で、社員が順番に手伝いに行くことも、
 復興を目指す店や工場に出資することも
 みんな「組んでやること」ですよね。
 これって、つまり、忘れても続くことなんです。
 なんか、そういうことから生まれてくるものも、
 「想定」を超えてたくさんあるような予感があります。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
ときどき、半年後、一年後のことを思い浮かべています。

「今日のダーリン」より