糸井 |
ソシュールが、
大事なところを見たから
頭がおかしくなった、というのは、
おもしろいですね。 |
吉本 |
いや、でもほんとに
そうなんですよ。
えーっと・・・。
「正常だから狂った」と言いますか。
あ、それじゃ、言い方、おかしいですが。 |
糸井 |
(笑)いや、意味は伝わります。 |
吉本 |
文芸評論なんかをやっていた
ぼくらは、そこのところをごまかして、
言葉を文字で表すようになってからの
言葉のふるまいを見ていけば、
それでいいじゃないかと思ったわけですが、
それは、途中からの中途半端なもので。 |
糸井 |
ええ。横入りなわけですね。 |
吉本 |
そうです。
だから、もっと、
記号的なあらわしかたが何もない時の
音声だけを使ったような、
そういう時代を見るということが大事で・・・。
どうして「姉」のことを「姉」って言ったのか。
また、これになっちゃいますが・・・。 |
糸井 |
確かにもう、いま聞いてるだけで、
「姉って、何で姉なんだよう!」
って、ちょっとクラクラしてきますね(笑)。 |
吉本 |
いま言ったようなことを思って、ぼくは
「すごい言語学者っていうのは
やっぱりすごいんだよなぁ」と思いました。
ソシュールはやはり大家で
言語学というものの主流を形成したわけで。
つまり、
「そこまで考えなきゃウソだよ」
っていうことを、やっているんですよ。
そこをもって考えますと、
ぼくのやっていることなんか、
割と、ほんの部分的なもんですねぇ。 |
糸井 |
言葉が記号として
定着してから以降のことで言うと、
「書籍」っていうかたちが、
一部の階級の人たちにだけ
流通されていた歴史もありましたよね。 |
吉本 |
ええ。 |
糸井 |
ちょうど、時計がめずらしい時代には、
時報として、「お昼の午砲」を鳴らしてた、
みたいな印象があります。
言葉というものも、
以前は、武器の流通のように、
特に書き言葉は、
「誰かのものだった」という時代が
意外に、長かったと思うんですけど。 |
吉本 |
そうでしょうね。
それがいまは割と変わってきたというか。
誰のものでもない時期に、
どうしてそうなっているかを考えると、
それこそ、また、
さっきのソシュールのように、
ほんとうに優れた言語学者がやったような
「なんで姉は姉なんだ」とかみたいなのを
言えないと、こりゃあ、
原因にたどりついたことには
ならねえぞ、っていうことになるでしょうけど。 |
糸井 |
(笑)うわあ、また姉に!
ただ、吉本さんは、
その言語学に、ご自分でも
まるで深海に潜水艦でもぐるようなことは
以前になさっていますよね? |
吉本 |
ええ。 |
糸井 |
言語学から一貫して離れていなくて、
一度は近づいているわけで・・・。
どのへんから、
「もう、そういう『姉』的なものは、
考えないほうがいいんだ」
って、決めたんですか? |
吉本 |
・・・うーん。
日本の文芸批評で言いますと、
ぼくや、亡くなった江藤淳さんが
言葉じたいのふるまいから、
文芸作品を批評するというやりかたを、
やってみようと考えていたわけです。
その場合は、文芸批評ということで、
文学に限定してやれば、いいはずだった・・・。
だけど、そう割り切って、
文学に限定してはいるものの、
だんだんと、だいじなところでの
言語学にも目を向けはじめて、
心は、やっぱり冷めていったと言いますか。 |
糸井 |
吉本さん、そんなにまで
「姉」について
執拗におっしゃるというのは、実は、
「そういうもんは、もう、いいんだ」
と言ってみたものの、頭の奥では、
そうとう気になってるでしょう?(笑) |
吉本 |
いやあ・・・はい、そうです(笑)。 |
糸井 |
(笑) |
吉本 |
ほんとうは、気になっていたんです。
ソシュールの言語学という、
ひとつの系があるわけですけど、
昔、ぼくはそれに対抗意識を燃やしてまして、
自分だけの分野というふうに
思ったりしたんですけども・・・。
やってみると、それは、とんでもない話でして。
向こうのほうが、もうギリギリで
頭がおかしくなるぐらいにやりつくしてて。 |
糸井 |
(笑)ワハハハ。
頭がおかしいということを、
これだけまじめに話しているのがいいですね。 |
吉本 |
(笑)まあ、そうですね。
だけど、向こうは向こうだから、
ぼくの考えるのは、この範囲でいいんじゃないか、
ということを限定して済ましてきちゃったんです。 |
糸井 |
・・・そうとう、
気になってるんだなぁ(笑)。 |
吉本 |
いやぁ、気になってるんですよ。 |
糸井 |
フフフ。 |