まるで、NASAのようなメディアになりたい?

 第21回 テレくさいんですよ。




吉本 人がどう思うかは別にして、
自分で唯一、言葉への考えかたで
ちょっと進歩したなあと思えるのは、
解剖学者の三木成夫さんの本を
読んだ以降なんですね。
あれを読んだ時には、
「おっ、これだ」って思いました。
糸井 「内臓感覚」について
書いてある本ですね?
吉本 そうなんです。
三木さんの言いかただと、
内臓というのは、大脳の次に
第2の言語を発する場所だと言うんです。

内臓の動きでもって、
概念に到達する言葉になりうる、というか、
「内臓言語」と言いましょうか。
内臓のはたらきを、言葉のうえでも
重視するという考えかたには、
読んでいて「そうだ」と思ったんです。

人間の生理だとか身体だとか、
そういうことと
言語論も、つなげることができるな、
と考えはじめたんです。そのあとから。
糸井 今日、ちょうど、
八木亜希子さんがいらしていて、
吉本さんがここにいらっしゃるちょっと前に、
「声は人なり」とおっしゃっていて・・・。
ちょっと、通じていますね。
吉本 へぇー。
糸井 「声は人なり」ということこそ、
内臓言語っていうことですよね?
吉本 そうですね。

ぼくは、三木さんの本を
4〜5年前に人に言われてはじめて読んで、
それで「あ、これだよ」っていう感じでした。
・・・もっと前に読んでたら、
ちょっとやれたんだけどなぁ・・・。
糸井 (笑)未練が!
吉本 ええ。
糸井 でも、そしたら、
あちらにイっちゃってたかもしれない(笑)。
吉本 (笑)いやあ、
イってるぐらいでちょうどいいんですよ。
どうせ、もとから、おかしいんだから(笑)。
糸井 (笑)わはははは。
吉本 この考えがあれば、
俺もやれたな、もっとやれたな、
とは思うんだけど、時すでに遅しで。
糸井 人生、そういうものなんですよねぇ(笑)。
吉本 (笑)そうそう。
「もうぼくら、遅ぇんだよ」
っていうことですよ。
糸井 (笑)すごいキッパリと。
わはははは。
会場、ものすごく受けてますねぇ。

・・・ほぼ日ブックス創刊にあたって、
「クチで書き、耳で読む」
という言葉を、ぼくは敢えて使っているんです。

本というカタチを取っていますから、
もちろん、活字というお皿の上に
のせるものではあるのですけれども、
「耳から伝わってきた時の感じ、
 というのはどう再現できるか?」とか、
「耳から聞いたように読むからこそ、
 伝わるものも、あるのではないだろうか?」
とか、そういうことを
考えて、使っている言葉なんですけど。

たとえば、いま
吉本さんのおっしゃってることは、
実はけっこうむつかしいことを
話されているはずですけども、
ところどころ、笑いが起こるわけですよね?
吉本 ええ。
糸井 「思想界の巨人だ」と身がまえて来た人たちが、
はじめて実際の吉本さんを見ると、
おもしれえ、と思うわけです。

それはきっと、
声だとか、センテンスの切りかたとか、
スパッと言い放つ感じだとか、
あとは急にくだける江戸弁だとか・・・。
そういう、耳からの情報に
反応しているように思うんです。

そういう、話すような
ものごとの受け渡しこそが、
これからのコミュニケーションでは、
非常に重要になるんじゃないかと思うんです。
吉本 ああ、そりゃ、そうでしょう。
・・・そうなんですか。
糸井 (笑)
吉本 いやあ、ぼくがなんで、
そういうふうにくだけた言葉に
なっちゃったりするかと言いますと、
これ・・・テレくさいんです。
糸井 いいわぁ(笑)。
吉本 どうにも、テレくさいんですよ。

まじめな話をまじめに語ることだとか、
まじめに研究するとかいうような場面って、
どっかで、テレくさってなぁ・・・って。
だから「こういうのイヤだな」と思って、
くだけちゃうんですよね?
糸井 そっちのまじめな人じゃないよ、
って気分があるんですか。
吉本 ええ、そうなんですよ。
だからついつい、
そういう言葉を使っちゃうわけですよ。
糸井 「それはねぇじゃねぇか」みたいに(笑)。
吉本 そうそう。

ほんとうは、
まじめにちゃんと勉強して、
研究しないといけないんでしょうけど、
まじめになろうとすると、すぐに
テレくさくなっちゃって・・・。
ワーッていって、
自分で壊してみたくなっちゃうっていうか。
糸井 (笑)
吉本 それだからまぁ、
学者にもなれねえかなぁ、とか、
いまだに学者にもなれねえんだな、とか、
って言うことは、
一生なれねぇんだな、とか。
糸井 あははは(笑)。
吉本 そんな風に思ったり
しゃべったりしてしまうのは、
すべて、テレみたいなものが
あるからなんですけどね。

(つづきます)   

2001-11-30-FRI


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