糸井 |
吉本さんが、
まじめなことをしようとすると、
テレちゃうっていうのは、
なぜなんでしょうねぇ? |
吉本 |
小学生のころから、
なんか、授業時間のまじめさを、
「ありゃあ、ニセのまじめさだ」
と思ってきたわけですよ。
授業中に真剣に聞いてるほうがいて、
真剣にしゃべっている先生とがいるけど、
その雰囲気がどうも、
「なんだこりゃ、ニセモノじゃないか」
と思っていて。 |
糸井 |
「みんなで芝居してるんじゃないか」
っていうような? |
吉本 |
そうそう。 |
糸井 |
今日は「ほぼ日ブックス」の
記者会見があるということで、
ぼくもスーツを着てきたのですが、
今日、このイベントをはじめた時に、
「あ、しまった」と思ったんですよ・・・。
ネクタイをしてしまう時の、
この居心地の悪さみたいなものを、
覚えてなきゃ、だめですねぇ。 |
吉本 |
そうなんですよね。
ぼくは小学生の時から、授業中は、
「こんなの、ニセだニセだ、イヤだなぁ」
と思っていたから、ものすごく
不機嫌な顔をしていたと思うんです。
先生からは、
「あの野郎!変な野郎だ」
と思われていたんでしょうね。その時に、
「こんなイヤな雰囲気はねえなあ」
と、思っていたものが、いまも
テレくささみたいなもので残っている、
ということなんでしょうねぇ、きっと。 |
糸井 |
オフィシャルなものって、
ぜんぶ、「テレくささのかたまり」ですものね。 |
吉本 |
そうなんですよ。 |
糸井 |
仮に、吉本さんが総理大臣とかになって、
このテレのままでいったら、
テレビ見てて、おもしろいでしょうね。 |
吉本 |
ああ、おもしろいですよ? |
糸井 |
(笑) |
吉本 |
総理大臣とか、政治家とか、
政治運動家になる人っていうのは、
オフィシャルな雰囲気を快く感じてないと、
とてもじゃないけど、なれないでしょうから。
ぼくらは、
オフィシャルさがイヤだから、
時には適当なことを言ったり、
勝手な方便をしたりするわけですけど、
ちょっとでも政治家になろうなんて
思っている人だったら・・・。 |
糸井 |
それは、しちゃいけませんよね。
票が出ないですから。 |
吉本 |
そうなんですよね。
だから、もう、
オフィシャルな感じは捨ててるから。 |
糸井 |
ええ。 |
吉本 |
だからもう、やけっぱちだぁ。 |
糸井 |
(笑)わはははは! |
吉本 |
だからこそ、
言いてぇことを言ってやれとか、
書きてぇことを書いてやれとか、
そういうことで、多少なりとも、
自分を開放できるなあと思うんです。 |
糸井 |
そういうときに、ペンっていうか、
書き文字の力っていうのは、すごくありますね。 |
吉本 |
あると思います。
ほんとうに根本的なものですからね。
いま、気になっているのは「間」です。
猿の祖先と人間の祖先とがわかれた時間は、
100万年単位だろうと言われていますが、
人間が民族に分かれたのはもう、
1万年単位とか10万年単位とされてますよね?
・・・ほんとかどうか、わかりませんけど。
ただ、そうだとしたら、
100万年単位の間あいと
10万年の単位の間あいとの差は、
どういうことになってくるの?
という話になるじゃないですか。
その間のところで、
エルダーシスターだとか、
姉だとか、言うようになってきて、
流行ってきているわけでしょうから。
そういう「間」に興味があります。 |
糸井 |
なるほど。 |
吉本 |
言語学者がいう「分節された言葉」というものは
どうして人間だけがもっているのか・・・。
これも、興味がありますよね。
「異性に好かれるように、
キャーって、気をひきたいというのが
最初の動機になって、言葉が分節化した」
って言う人もいますし、
「暴動の掛け声からそういうふうになった」
と言う人もいます。
そういう、分節化の「間」にも興味があるし。 |
糸井 |
それも「間」ですね。 |
吉本 |
あと、呼吸の「間」にも興味があります。
何かを集中して考えている時や、
人の言うことを聞こうと思ったりする時には、
みんな、息を詰めてるんですよ。
さきほどの三木成夫さん流で言えば、
どうやら、息をつめるというのは、
人間の健康に反するものらしいんです。
できるもんなら、自然呼吸したまんま、
考えを集中することができたらいちばんだけど、
人間はそれができなくって、
何かを必要以上に考えようとしている時には、
かならず、息を詰めているんですよ・・・。
つまり、ものを考えて息を詰めている時と、
自然に呼吸をしている場合との落差が、
人間は、大きくなったというわけで・・・。
息を詰めてるということを
概念で表そうとすると、
やはりそこも「分節化」という言葉になる。
猿だってサルだって、
ものを考えてはいるのですが、
分節化まではいかないんですね。 |
糸井 |
息を詰めてないんだ? |
吉本 |
つまり、言葉って
「キャー」とか「アー」とかいう
区別だけしかないようなんです。
人も昔はそうだったけど、だんだん
考えてる度合いが猿より多くなって、
そこで息を詰めない時と詰める時の
分節さを表現できるようになったというか。
まぁ、これは三木さんの考えですが、
ぼくはそういうのが正しいかどうかを別にして、
こういう考えかたが、好きですよね。 |
糸井 |
なるほどなあ。
いつまでも話していたいし、
時間が4時間ぐらいあったら
よかったのですが、どうやら、
かなり時間を過ぎてしまったようです。
急に終わりにしちゃうしか、ないんですけど。 |
吉本 |
(笑)どうぞどうぞ。 |
糸井 |
吉本隆明さんがナマで話す姿を、
はじめて見たというかたが多いと思います。
こうやって実際に聞くと、
それこそ、吉本さんが息を詰めて
考えたことを発しているのが、伝わりますよね。
吉本隆明さんと、
「私、勉強嫌いだったもーん」
っていう人たちの間はつながりますよね?
今日の話を聞いている限りでは。
そういう、間をつなげるという可能性を
吉本さんの話のおもしろさで、
今日、見せていただけたことは、
すごくよかったなあと思うんです。
・・・妙にまとめて言いますと、
そういう、いろいろなものごとをつなぐ
実験場のような場所に、ぼくたちがこれからやる
「ほぼ日ブックス」の出版の方針が
進んでいくといいなあと思いました。
吉本さん、ほんとうにありがとうございました。 |