まるで、NASAのようなメディアになりたい?

 第22回 もう、やけっぱちだぁ。




糸井 吉本さんが、
まじめなことをしようとすると、
テレちゃうっていうのは、
なぜなんでしょうねぇ?
吉本 小学生のころから、
なんか、授業時間のまじめさを、
「ありゃあ、ニセのまじめさだ」
と思ってきたわけですよ。
授業中に真剣に聞いてるほうがいて、
真剣にしゃべっている先生とがいるけど、
その雰囲気がどうも、
「なんだこりゃ、ニセモノじゃないか」
と思っていて。
糸井 「みんなで芝居してるんじゃないか」
っていうような?
吉本 そうそう。
糸井 今日は「ほぼ日ブックス」の
記者会見があるということで、
ぼくもスーツを着てきたのですが、
今日、このイベントをはじめた時に、
「あ、しまった」と思ったんですよ・・・。

ネクタイをしてしまう時の、
この居心地の悪さみたいなものを、
覚えてなきゃ、だめですねぇ。
吉本 そうなんですよね。
ぼくは小学生の時から、授業中は、
「こんなの、ニセだニセだ、イヤだなぁ」
と思っていたから、ものすごく
不機嫌な顔をしていたと思うんです。
先生からは、
「あの野郎!変な野郎だ」
と思われていたんでしょうね。その時に、
「こんなイヤな雰囲気はねえなあ」
と、思っていたものが、いまも
テレくささみたいなもので残っている、
ということなんでしょうねぇ、きっと。
糸井 オフィシャルなものって、
ぜんぶ、「テレくささのかたまり」ですものね。
吉本 そうなんですよ。
糸井 仮に、吉本さんが総理大臣とかになって、
このテレのままでいったら、
テレビ見てて、おもしろいでしょうね。
吉本 ああ、おもしろいですよ?
糸井 (笑)
吉本 総理大臣とか、政治家とか、
政治運動家になる人っていうのは、
オフィシャルな雰囲気を快く感じてないと、
とてもじゃないけど、なれないでしょうから。

ぼくらは、
オフィシャルさがイヤだから、
時には適当なことを言ったり、
勝手な方便をしたりするわけですけど、
ちょっとでも政治家になろうなんて
思っている人だったら・・・。
糸井 それは、しちゃいけませんよね。
票が出ないですから。
吉本 そうなんですよね。
だから、もう、
オフィシャルな感じは捨ててるから。
糸井 ええ。
吉本 だからもう、やけっぱちだぁ。
糸井 (笑)わはははは!
吉本 だからこそ、
言いてぇことを言ってやれとか、
書きてぇことを書いてやれとか、
そういうことで、多少なりとも、
自分を開放できるなあと思うんです。
糸井 そういうときに、ペンっていうか、
書き文字の力っていうのは、すごくありますね。
吉本 あると思います。
ほんとうに根本的なものですからね。

いま、気になっているのは「間」です。
猿の祖先と人間の祖先とがわかれた時間は、
100万年単位だろうと言われていますが、
人間が民族に分かれたのはもう、
1万年単位とか10万年単位とされてますよね?
・・・ほんとかどうか、わかりませんけど。

ただ、そうだとしたら、
100万年単位の間あいと
10万年の単位の間あいとの差は、
どういうことになってくるの?
という話になるじゃないですか。

その間のところで、
エルダーシスターだとか、
姉だとか、言うようになってきて、
流行ってきているわけでしょうから。

そういう「間」に興味があります。
糸井 なるほど。
吉本 言語学者がいう「分節された言葉」というものは
どうして人間だけがもっているのか・・・。
これも、興味がありますよね。

「異性に好かれるように、
 キャーって、気をひきたいというのが
 最初の動機になって、言葉が分節化した」
って言う人もいますし、
「暴動の掛け声からそういうふうになった」
と言う人もいます。
そういう、分節化の「間」にも興味があるし。
糸井 それも「間」ですね。
吉本 あと、呼吸の「間」にも興味があります。
何かを集中して考えている時や、
人の言うことを聞こうと思ったりする時には、
みんな、息を詰めてるんですよ。

さきほどの三木成夫さん流で言えば、
どうやら、息をつめるというのは、
人間の健康に反するものらしいんです。

できるもんなら、自然呼吸したまんま、
考えを集中することができたらいちばんだけど、
人間はそれができなくって、
何かを必要以上に考えようとしている時には、
かならず、息を詰めているんですよ・・・。

つまり、ものを考えて息を詰めている時と、
自然に呼吸をしている場合との落差が、
人間は、大きくなったというわけで・・・。

息を詰めてるということを
概念で表そうとすると、
やはりそこも「分節化」という言葉になる。
猿だってサルだって、
ものを考えてはいるのですが、
分節化まではいかないんですね。
糸井 息を詰めてないんだ?
吉本 つまり、言葉って
「キャー」とか「アー」とかいう
区別だけしかないようなんです。
人も昔はそうだったけど、だんだん
考えてる度合いが猿より多くなって、
そこで息を詰めない時と詰める時の
分節さを表現できるようになったというか。

まぁ、これは三木さんの考えですが、
ぼくはそういうのが正しいかどうかを別にして、
こういう考えかたが、好きですよね。
糸井 なるほどなあ。
いつまでも話していたいし、
時間が4時間ぐらいあったら
よかったのですが、どうやら、
かなり時間を過ぎてしまったようです。
急に終わりにしちゃうしか、ないんですけど。
吉本 (笑)どうぞどうぞ。
糸井 吉本隆明さんがナマで話す姿を、
はじめて見たというかたが多いと思います。
こうやって実際に聞くと、
それこそ、吉本さんが息を詰めて
考えたことを発しているのが、伝わりますよね。

吉本隆明さんと、
「私、勉強嫌いだったもーん」
っていう人たちの間はつながりますよね?
今日の話を聞いている限りでは。
そういう、間をつなげるという可能性を
吉本さんの話のおもしろさで、
今日、見せていただけたことは、
すごくよかったなあと思うんです。

・・・妙にまとめて言いますと、
そういう、いろいろなものごとをつなぐ
実験場のような場所に、ぼくたちがこれからやる
「ほぼ日ブックス」の出版の方針が
進んでいくといいなあと思いました。
吉本さん、ほんとうにありがとうございました。

(吉本隆明さんと糸井重里の対談は、ここでおわります。
 次回は、橋爪大三郎さんによる講演をお届けしますね)  


2001-12-03-MON


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