「ほぼ日」なりのリナックス研究。
リーナス・トーバルズの
インタビューもできそう。

第3回 過渡期のテクノロジー。

(※リナックスという組織のプロジェクトを通して
  これからの仕事や情報を考えたい、という企画です。
  第3回になりました。
  コンピュータ系のジャーナリストの
  風穴江さんとのお話を、つづけています。
  今日は、リーナスさんの経営哲学と生き方を見ます)


リナックスを自分のパソコンに入れる人が
増えてきてます。これは風穴さんのパソコン
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1つめは、生き延びること。
2つめは、社会秩序を保つこと。
3つめは、楽しむこと。

人生は、なんであっても、
この順序で進んでいくんだ。

何かをしようっていう原動力は、
いつだって、
はじめは生存に関係していて、
それから社会的なものに移り、
最後は純粋な楽しみになる。


そして、楽しみのあとには、もう何もない。
だから、人生の意味は、
この第3ステージ(楽しみ)に
たどり着くことだと言える。


     『それがぼくには楽しかったから』より。
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木村 風穴さんは、
「リナックスは、この点でイイよ!」
とか、誰かに薦めたり、するのですか。
風穴 いや、リナックスって、実は、
しょせん、OSの話なんです。
木村 へぇ。
パソコン業界にいながら、
風穴さんはパソコンの話題を、
「しょせん」と思うんですか。
風穴 そうですよ〜。

パソコンのOSは、例えば、
家電の中に入ってるモーターとか、
ほとんど、そういうものに近いですから。

ビックカメラに行って、新婚夫婦が
ひととおり家電製品をそろえる時に、
定格出力何ワットのモーターだよ」
「こっちは直流ブラシレスモーターだ」
おお、それ、イイね!」とは・・・。
木村 言いません(笑)。
風穴 ふつうのユーザーは、
ワープロをしたいとか、
「したい」ことをすればいいので、
その下で動く「OS」のようなものに関しては、
「知らないこと」でいい
と思います。

だから、OSの話題になっているうちは、
まだ、市場が成熟していないと言うか。
木村 パソコン当事者の風穴さんが、
「リナックスをまじめに考える人が、
 もっと増えて欲しい」
とは、思っていない
ところが、
おもしろいですね。
風穴 ワープロを使いたいのなら、
用途にあったソフトを選べばいい、
というような考えでいいと思うんです。

最近、一時的にいろいろな要因で、
なくなりかけて、いますけれども、
「専用ワープロ機」ってありましたよね。
木村 あった、あった。
風穴 ぼくは、最終的には、
パソコンは、あちらに行くのでは?と
思っているんです。個人的な意見ですが。

用途は、そういうことですもん。
「書きたい」「インターネットをしたい」
というやりたい内容が先であるべきです。
何ができるかはわからないけど
「パソコンをしたい」
と思うのは、不自然じゃないですか。
木村 専門的にパソコンを見つづけている人が、
そう考えているんですか。なるほど・・・。
風穴 ぼくが編集長をしている
「リナックスジャパン」は、
リナックス関係の多くの雑誌の中でも、
かなり、技術寄りのものなんです。
ターゲットは、プログラマーです。

プログラミングの話ばかり
出てきてしまうところがありまして、
読まれる部数は少ないという・・・。
それで、いいと言うか。

リナックスは所詮OSですから、
「実は、技術者だけに
 関係があるものではないか」
と考えるところも、ある
んです。

例えば、
「車を運転している人のうち、
 どれぐらいの人が
 車の雑誌を読んでいるか」
ということを
考えてみるといいかもしれません。
わざわざ雑誌を買ってまで
車のことを知りたいと思うのは、
ある種のマニアですよね。

あるいは、
「月刊自動車工学」みたいな
プロのための技術専門誌か。
Linux Japanは、言うなれば、
「月刊 自動車工学」
みたいなものです(笑)。

パソコンに関しても、過渡的には、
いろいろな雑誌が出るでしょうが、
市場が成熟すれば、
パソコン雑誌は、技術誌しか
残らないような気がしています。


だって、家電の(ユーザーの)ための
雑誌って、ないですよね?
木村 なるほど。
風穴 ただ、日本は、人口比なら、
アメリカと2倍くらいしか違わないのに、
パソコンの技術者の市場では、
5倍から10倍くらいは、
差をつけられている
、と言われています。

もちろん、単純比較はできませんが、
例えば、プログラマー必読書の
売れ行きにしても、雲泥の差でして・・・
技術者の裾野が、日本では、まだ狭いです。

能力的には、
できないわけではないと思うんだけど、
日本の技術者は、どうしても
企業の中に埋もれてしまう、
という問題が、ひとつ、ありますよね。

アメリカだったら、
ちょっとプログラミングを書ければ、
すぐに自分で会社を作るみたいな話が、
日本では、通りにくい
ですよね。

言葉が悪いのですけれども、
日本だと、
「あまり大勢に影響のない仕事」が、
能力的にはすごい高いはずの人に
割り振られています
から。

そういう人たちがもっと出てくると、
それによって
技術者の市場が活性化して、
若い人たちの中にも、
「技術者になるんだ」
という思いを持つ人が
出てくるとは、感じるんですが。

・・・まあ、コンピュータに限らず、
ものを技術的に作る人というのは、なかなか
クローズアップされないところもありますが。


[『JUST FOR FUN』の技術論]

風穴さんの
「技術は、『それそのもの』を
 一般の人が楽しむものではない」

という見方は、リーナスのテクノロジー論とも
少し似たところがあるので、ここで紹介します。

今回の冒頭で引用したように、
リーナスは、ものごとが、
「生存→社会化→娯楽」
という進化を辿る、と主張しています。

・性は、原初、生存をするためのものであったが、
 求婚や婚姻など、それにまつわる社会的な現象を
 生み出すことになった。最後は娯楽の面が大事になる。

・文明は、もともと力を合わせて、
 「生存を、より確実にする」ためのものだった。
 しかし、生存が満たされると、人類の文明は、
 例外なく「より大きい道路」などの
 コミュニケーション手段を作る方向に向く。
 これは、社会性を保つためのものだった。
 ローマを思い出してもわかるように、
 最後に、文明は、娯楽に向かう。
 道路施設や社会秩序で有名である以上に、
 後期ローマの娯楽性は、非常に有名だ。


このような例を挙げたうえで、
リーナスは、テクノロジーの運命も、
この進化の例外ではない、と述べています。

「そう遠くない昔まで、
 テクノロジーはもっぱら、
 よりよい生存のために使われていた。
 ----よりよい布を織ることだったり、
 物資を速く輸送するわけだ。
 それが、すべての起動力だった。

 われわれは現代を情報時代と呼んでいる。
 大転換が、あったわけ。
 
 よりよい生活スタイルのためというよりは、
 コミュニケーションや情報発信のために
 テクノロジーが使われている時代だ。
 インターネットは、現代の大きな道路標識なのだ。

 生存はもう当たり前のことになっていて、
 突如として、テクノロジーの次の段階が、
 わくわくするような
 大きなものに成長してきたってことだ。
 つまり、コミュニケーションテクノロジーの
 社会的な面が前面に出てきて、
 テクノロジーをよりよい生活のためではなく、
 社会生活に絶対必要なものとして
 使うようになってきた、ということだ。

 もちろん、最終的なゴールは、
 まだおぼろげに見えているだけだ。
 情報社会の次には、娯楽社会が来るだろう。

 (中略)

 結局、ぼくの人生の意味論は、
 読者のみなさんを導いて、
 何をすべきかと教えることはできなかった。

 せいぜい、
 『抵抗したっていいけど、
  人生の究極のゴールは楽しむことだよ』
 って言ってるだけのことだ。
  (『それがぼくには楽しかったから』より)」


現在の情報テクノロジー(IT)を
過渡期と捉えているところは多くの識者と同じです。
ただ、リーナスが他の人と違うのは、
「進化の一端」という考えがもとになっているところ。
そこが、おもしれぇなあ、と思って読めるんです。

(つづきます)

2001-05-30-WED

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