「ほぼ日」なりのリナックス研究。
リーナス・トーバルズの インタビューもできそう。 |
第3回 過渡期のテクノロジー。
[『JUST FOR FUN』の技術論] 風穴さんの 「技術は、『それそのもの』を 一般の人が楽しむものではない」 という見方は、リーナスのテクノロジー論とも 少し似たところがあるので、ここで紹介します。 今回の冒頭で引用したように、 リーナスは、ものごとが、 「生存→社会化→娯楽」 という進化を辿る、と主張しています。 ・性は、原初、生存をするためのものであったが、 求婚や婚姻など、それにまつわる社会的な現象を 生み出すことになった。最後は娯楽の面が大事になる。 ・文明は、もともと力を合わせて、 「生存を、より確実にする」ためのものだった。 しかし、生存が満たされると、人類の文明は、 例外なく「より大きい道路」などの コミュニケーション手段を作る方向に向く。 これは、社会性を保つためのものだった。 ローマを思い出してもわかるように、 最後に、文明は、娯楽に向かう。 道路施設や社会秩序で有名である以上に、 後期ローマの娯楽性は、非常に有名だ。 このような例を挙げたうえで、 リーナスは、テクノロジーの運命も、 この進化の例外ではない、と述べています。 「そう遠くない昔まで、 テクノロジーはもっぱら、 よりよい生存のために使われていた。 ----よりよい布を織ることだったり、 物資を速く輸送するわけだ。 それが、すべての起動力だった。 われわれは現代を情報時代と呼んでいる。 大転換が、あったわけ。 よりよい生活スタイルのためというよりは、 コミュニケーションや情報発信のために テクノロジーが使われている時代だ。 インターネットは、現代の大きな道路標識なのだ。 生存はもう当たり前のことになっていて、 突如として、テクノロジーの次の段階が、 わくわくするような 大きなものに成長してきたってことだ。 つまり、コミュニケーションテクノロジーの 社会的な面が前面に出てきて、 テクノロジーをよりよい生活のためではなく、 社会生活に絶対必要なものとして 使うようになってきた、ということだ。 もちろん、最終的なゴールは、 まだおぼろげに見えているだけだ。 情報社会の次には、娯楽社会が来るだろう。 (中略) 結局、ぼくの人生の意味論は、 読者のみなさんを導いて、 何をすべきかと教えることはできなかった。 せいぜい、 『抵抗したっていいけど、 人生の究極のゴールは楽しむことだよ』 って言ってるだけのことだ。 (『それがぼくには楽しかったから』より)」 現在の情報テクノロジー(IT)を 過渡期と捉えているところは多くの識者と同じです。 ただ、リーナスが他の人と違うのは、 「進化の一端」という考えがもとになっているところ。 そこが、おもしれぇなあ、と思って読めるんです。 (つづきます) |
2001-05-30-WED
戻る |