「ほぼ日」なりのリナックス研究。
リーナス・トーバルズの
インタビューもできそう。

第7回 余暇時間まで、縛られていた。


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この情報経済の時代、
会社の成功を左右するのは創造力のほうなのに、
それを刺激することはなおざりにされている。
たいていの経営者は
「働く目的は時間をかけることなのか、
 それとも何かをなし遂げることなのか」

という問いの根源的な重要性がわかっていない。
70年代前半、スタンフォード大学人工知能研究所の
レズ・アーネストは、この問いに対して
いかにもハッカーらしい回答を出している。
「どれだけ時間をむだにしたかは問題ではない。
 たとえば半年から1年という
 かなり長い時間を与えて、
 そのあいだにどんな業績をあげたのか
 によって、我々は人を判断しようとしている」

このことばは、純粋に実利的な意味にも、
また倫理的な意味にも解釈できる。
実利的に読めば、情報経済で
最も重要な生産性の源は創造力だが、
いつもせかされていたり、
9時5時の規則に縛られていたりしては、
おもしろいものは生み出せないという意味にとれる。
つまり、純粋に経済的な理由から見ても、
気楽さとか人それぞれの創造スタイルとかを
認めることのほうは重要だということだ。

 (ペッカ・ヒマネン『リナックスの革命』より) 

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(※今日は、
  ひとつの質問と回答だけをお届けです。
  ヒマネンさんが、執筆していて、
  どういうところに気づいて驚いたか、についてだよ)

----「仕事時間の長さ」ではなくて、
  「仕事の成果」こそが、
  ある人をはかるものになりつつあるんだ、
  と書いてあるところが、すごくおもしろかったです。
  「いい仕事とは、それ自体が驚きのあるものだ」
  と書かれているも、すごくいいなあと思いましたし。

  ぼくは読んでいる最中、いくつも驚いたし、
  たくさんのことを得たんですけど、
  ヒマネンさんご本人としては、
  自分で書いていて、どういう点が
  驚きだったのか、をうかがいたい
んですけど。

ヒマネン
「ああ、そりゃあいい質問ですね、ぼくにとっては。
 ・・・ってゆうのは、ぼくは哲学をやってるから。

 哲学というものを、ぼくは、
 人生そのものに
 常に驚きという目を持って観察をして、
 いろいろなことをいろいろな観点から見て
 問いかけて、ということの連続だ、

 と考えています。

 えーと、書いている最中は、
 だから実は驚くことがありすぎて、
 何が当時いちばん驚いたのかは
 忘れているんですけれども、
 ちょっと思い出して考えてみますね。

 ・・・今回の本で
 いちばん伝えたかったことは、
 『労働倫理』だったんです。
 プロテスタンティズムだとか
 資本主義といった今までつづいてきた倫理を、
 あらたに出現しつつある倫理と比較をして
 表現をしたいという欲求がありました。
 
 そうやって、今までの
 労働倫理を見ている中でわかったんですけど、
 『われわれのおかれている環境の中で、
  いかに仕事が中心になっているか』

 ということが、いま考えれば
 いちばん驚いたことなんじゃないかと思います。


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仕事人生が極限まで最適化されてしまうと、
今度はほかの活動も最適化せずにはいられなくなる。
オフの時間ですら、人はもう
単に何かで「ある」ことは許されない。
その何かをたくみに「やる」ことが必要
なのだ。
(中略)
プロテスタンティズムの倫理は、
規則的な仕事時間が生活の中心であるという
思想をもたらした。
人の自主性は、仕事をしたあとの
余り時間にしか発揮できなくなった。

つまり一日の余り時間としての夜、
一週間の余り時間としての週末、
そして定年後----人生の余り時間----である。
プロテスタンティズムの倫理においては、
規則的にくりかえされる仕事こそ人生の中心であり、
それがほかのすべての
時間の使いかたを組織化してしまうのだ。
 (ペッカ・ヒマネン『リナックスの革命』より)

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 以前の労働倫理においては、
 仕事をやるスタンスが、
 個人的な時間の使いかたにまで
 影響を及ぼしてしまっています。

 『余暇』に至っても、人は
 仕事における最適化のようなものを
 食いこませてしまう
んです。

 わたしは、
 『こんな風にしていて、
  人は、生きていけるのだろうか』
 と思いました。
 仕事やお金が、生活の中心でいいのだろうか、と。
 
 しょせん、人間は
 そういった生活に満足してはいないのに、
 そして多くの人が空虚な気持ちでいるのに、
 何でこんなことが続いていくのだろうか・・・?


 そのように思った点が、
 わたしが今回の本を執筆していて、
 もっとも驚いたところだったのだと思っています。
 
 おそらく結局のところ、
 人間が求めているのは、楽しくて興味があって、
 自分をほんとうに投じることのできるものなんだと
 考えていますけれどもね」

 
(つづく)

2001-07-24-TUE

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