糸井 |
いま思ったけど、爆笑問題って、
ふたりの落語家なんだね。 |
太田 |
あああー。 |
糸井 |
漫才っていうかたちかと思ってたけど、
体質の違う落語家をふたり舞台に置くと、
ああなるんじゃないかっていうふうに思う。
これ、いま思いついたんだから、
無理のある話なのかもしれないんだけど、
ひとりづつ落語家ですよね。
ひとり喋りしている人たちが、
いっしょにたまたまいて、
「やじさんきたさん」やってるみたいな。
田中さんって、じつは
ひとり喋りできるんだよね。 |
太田 |
ええ……ん?
いや、そうっすか?
ええっ、どーですかねえ? |
── |
(笑) |
糸井 |
だって、やってるじゃないですか、実際(笑)。 |
太田 |
ま、そうですね(笑)。 |
糸井 |
あの、毒蝮三太夫さんと立川談志さんが、
一時期、組んでたというか、
ふたりで連れだって同じテレビに出たり
ラジオに出たりってしてた時代があって。
あれに近いような感じがするなあ。 |
太田 |
うん、まあ、でも、我々は、
そういう意味では、なんていうか、
ふつうの漫才じゃないかもしれないですね。
っていうのは、僕ら、
誰に習ったわけでもないんですよ、漫才って。
だから、「漫才なのかな?」って
思いつつやってる(笑)。
たぶん、伝統的な漫才ではないんですよね。
やすしさんときよしさんの漫才なんか観てると、
「ああ!」って思いますもんね。
ほんっとにうまくできてるし、
バッチリはまってるんですよ、
ふたりの役割っていうのが。
そういう意味で言うと、ぼくらのは
ちゃんとした漫才じゃないんですよね。
近代漫才っていわれているものを観ると、
それこそボケとツッコミっていうのが
ちゃんとかみ合ってるんですよね。
台本もうまーくできてて。
ぼくらのは、ただ単に、
ネタをしゃべってるだけですから(笑)。
その意味では、やっぱり、
漫才師じゃない部分はあると思いますよ。 |
糸井 |
ホン(台本)は、やるまえに
できてるんですよね、基本的に。 |
太田 |
そうですね。 |
糸井 |
田中さんの役割っていうのは、
僕はプレーヤー型の漫才師、
落語家だと思うんだけど。
つまり、アドリブとは関係ない次元で、
古典落語って、最初に
ぜんぶおぼえるわけじゃないですか。
おぼえて、それの自分の味つけをやるのが
落語家の仕事ですよね。
田中さんはそれをやってると思うんです。
そういう意味で、
田中さんは落語家に見えるんですよね。
一方、太田さんも、
やってることは落語ですよね。
あの、多事争論のマネするじゃないですか。
あれなんて、完全に落語ですよね。
談志さんがやろうとしたことの
謙虚版ですよね? |
太田 |
あははははは。 |
糸井 |
たとえば談志さんは、
社会風刺っていうものの扱いが
あの人の個性として
定着していったと思うんですけど。
爆笑問題がおもしろいのは、
時事ネタを入れてるフリをして、
もうひとつ引いたところで、
じつは笑いをつくっている。
時事ネタっぽい単語を
入れてるだけなんですよ、意識的に。
ほんとうにやっているのは、
風刺じゃなく、笑いで。
あれ、古い価値観を持った人が見ると、
「なんにも風刺をしてない」って
怒ると思うんですけど、
そりゃそうだと思う(笑)。
そこが、じつはものすごく大事なことで、
爆笑問題をぼくが信用している
いちばんの核もそこなんですよ。
つまり、「ほんとはオレはわかってない」
っていう構図をとっているんです。
あれはね、できないんですよ。
ある時期できたとしても、
それを守り続けることがむつかしいんです。
だって、「フセイン」って言葉を入れても
あれ、入れてるだけだからね。 |
太田 |
(笑) |
糸井 |
最初はそれができるかもしれない。
ところが、偉くなっちゃうと、
妙に現実とジョイントさせるように
なっちゃうんですよ。
「正しいことを言うオレ」
みたいなことになっちゃうんですよ。
そうするとね、たいてい、
たんなるコメンテーターになっちゃう。
それを太田さんは絶対やらないですよね。
「オレは何もわかってないのに言ってる」
ってかたちで必ずまとめてあるんですよ。 |
── |
だからこそ、逆に知性を感じるという。 |
糸井 |
そうなんですよ。要するに、
「つまんないことは言わない」ってことを、
絶対に守ってるんですよ。
でも──これ、太田さんに言わせちゃ
いけないことかもしれないけど──
あれ、苦労するんですよね、じつは。 |
太田 |
うん、そうですね。 |
糸井 |
ねえ。へたすると、
もっと教えてくださいとか
いうことにもなるしね。 |
太田 |
あの、それは、ほんとに、
自分で言いたくなっちゃうときがある(笑)。 |
糸井 |
(笑) |
太田 |
それはやっぱりね、
気をつけようと思いつつやってますよね。 |
── |
太田さん、文章をお書きになるときは、
そっちにちょっと振れたりしますよね? |
太田 |
そうですね。だから、なるべくほんとに、
「目的は笑い」っていうだけにしとけば、
そこになにもね、
メッセージを込める必要はないので。
っていうか、
メッセージはジャマになりますからね。
だけど、なんか、たまに、
その、自分の気分によっては、
メッセージを伝えたく
なっちゃってるときがあったり(笑)。
そうすると、「あー、いかんな」って思ったり、
っていうことは、ありますね。 |
糸井 |
だから、端から見てると、
わかる範囲で、
メッセージが入っちゃうのは
構わないと思うんですよね。
「タマちゃんをどう扱うのか」くらいの
どっちに転んでもなんにもなんないことは(笑)。
それは、たぶん、入れられるし、
入れても問題ないんですよね。
だけど、たぶん太田さんは、
書くものも含めて、
危ないことを絶対にしてないんですよ。
ギリギリでメッセージにはしてないですよ。
タマちゃん的なことも、白装束のことも。
「ここまで!」とか、
絶対大丈夫な範囲のところは、
やっちゃってますよね。 |
太田 |
そうですね。 |
糸井 |
そのへんはすごく共感するんです。
ぼくもそれは、ものすごく気をつけてる。
「わかんないことは言わない」
っていうだけでも、守り続けるのは
人間としてむつかしいんです。 |
太田 |
はい。 |
── |
おふたりが共通して、
そういうメッセージを出口のところで
キュッと締めるのって、
リスクヘッジじゃなくて、
クオリティーを高めるためですよね。 |
糸井 |
そう。わかんないこと言うと、
自分がへんなとこ連れてかれるし、
間違った人になるってわかるから。
それ、苦労いるよね、正直言ってね。 |
太田 |
そうですね。 |
糸井 |
あんだけ単語でちりばめてるとね。 |
── |
スリリングな話ですねえ。 |
糸井 |
あれが逆に「田中角栄」くらいの人だと
扱うときにありがたいんだよ。
どっちに転んでも、
よくわかんないっていうことが遊べるんです。
ところが、いまって、
政治家にしても原寸大すぎるんですよ。
だから、つい、触りたくなくなっちゃう。
「鈴木宗男」とかは遊べたけど、
あれは顔で助かってたよねー。
あれで顔が「亀井静香」だったら
かなりきつかったでしょ(笑)。 |
太田 |
そうですね(笑)。
|