ポケットに『MOTHER』。 〜『MOTHER1+2』プレイ日記〜 |
たいていロールプレイングゲームのなかにも 現実の世界と同じように経済があり、 流通する貨幣を多く持っていたほうが旅は楽になる。 武器や防具を買いそろえるにもお金は必要だし、 体力回復のアイテムを多く持っておいたほうが 旅の途中で全滅する可能性が低くなる。 つまり、たくさんお金を蓄えて、 どんどん消費したほうが ゲームの進行はスムーズになるわけだが、 個人の性質を正直に告白すると 僕というプレイヤーはかなりケチである。 ケチというと言葉が悪いので本人からの要望により ここは貧乏性であると訂正させていただく。 ちなみに現実世界でどうなのかということについては 大きなお世話であると思うので書かない。 例を挙げると『MOTHER2』では 街のあちこちに電話があり、 それを使ってゲームのセーブや 荷物の受け渡しなどができるわけであるが、 電話には黒電話と公衆電話の2種類がある。 グラフィック以外にその差が何かというと 黒電話は無料だが公衆電話は1ドルお金がかかるのである。 1ドルというのはゲームのなかでの最小金額であり、 有り体にいえばそれはほとんどタダみたいなもんである。 ところが僕は所用あって電話をかけるとき わざわざ黒電話を求めて遠くまで移動するのである。 遠くといっても同じ街のなかにあるから 何分もかかるというほどではないが、 1ドルという金額がその手間に見合うほど 大金であるとはとても思えない。 わかっちゃいるが、僕は概ね黒電話を使う。 街にはホテルがあって、 数十ドルを払えばそこに泊まって 体力やサイパワーを回復することができるのだけれど、 僕はそこでもなかなか貨幣を費やそうとしない。 できるかぎりライフアップという能力で体力回復し、 サイパワーはマジックバタフライという蝶々を 見つけて回復しようとする。 ちなみにこの蝶々はフィールドの 決まった場所にランダムで現れ、 ひらひら舞うそれにキャラクターを重ねると 数十のサイパワーを回復することができる。 だからフィールドにその魔法蝶々を見つけたときは 寸前でピタリと停止し、 たとえ体力の減りがわずかであっても ライフアップを使って全回復し、 そののちに魔法蝶々によってサイパワーを満たす。 店で売っている回復アイテムもなかなか買わない。 武器や防具さえすぐには買うことをためらう。 ダンジョンのなかなどで手に入ったりしないかしら、 と思いながら売られているものを ショーケース内のトランペットよろしく 物欲しげに眺めていたりする。 僕のこういったチープを求めるプアーな性質は、 何も『MOTHER』をプレイするときに限らない。 たいていのゲームをプレイするときにおいて、 概ね僕は貧乏性である。蓄えたその金額が 現実世界のそれに換金されるわけでもないのに、 勝手に僕は爪に灯をともしながら旅をする。 くり返すが現実世界でどうなのかということについては 大きなお世話であると思うので書かない。 自己満足にすぎないとしても、 お金に頼らず体力を回復することや、 お店で買うという以外の手段で 武器や防具を強化することを僕は喜ぶ。 そこに自分なりの工夫を見出して ひとりで勝手ににやにやする。 オレはお金に頼らず旅を進めていくぜ、と、 独りよがりな節制をおもしろがる。 多くのロールプレイングゲームにおいて僕はそうであり、 そんなふうにケチケチやってて楽しいのかと問われたら 「楽しい!」と胸を張って答える。 ところが、『MOTHER2』では 話が少々変わってくるのである。 たいていのゲームにおいては お金を使うことの意味がわかりやすく、 要するにそれは前述したように 旅を進めることを助けるということになる。 逆にいえば、旅を進めさえすれば、 お金を使わずともよいということになる。 だからこそ、僕はお金を使わずに 旅を進めることが楽しめるのだ。 もちろんそういった面は 『MOTHER2』にもあるのだが、 このゲームがほかのゲームと違うのは 消費すること自体が非常に楽しそうに見えるという 構造を持っていることだ。 たとえば街のなかにはヒント屋という商売があって、 お金を払えば旅のヒントを教えてくれたりする。 いまのところ僕はゲームの進行に 悩んだりしていないのだけれど、 どうにもこのいかがわしいあきんどの言葉を 聞いてみたい誘惑に駆られる。 街の中央の広場では蚤の市が行われていて、 なんの役に立つんだかわからないものが たくさん売られている。 これがたんなる体力回復アイテムと予想できるなら 買わずにがんばって旅するということができるのだけれど、 なんだかわからないものだからついつい買って その効力を試したくなってしまう。 話の流れからいって徒労に終わるのだろうなあと わかっていても一度バスに乗ってみたくなる。 店のカウンターに立つ店員がいちいち個性的だから 必要ないのに買い物して反応をみたくなる。 ほかのゲームなら、消費は機能に特化される。 ところが『MOTHER』シリーズは、 機能以外の部分にとことん意味を持たせたり、 機能であるべきだということを 逆手にとって遊んでみせたり、 機能であるべきだということを 逆手にとって遊んでみせるふりをして じつはそこにきちんと機能を隠してみたりする。 そういった工夫や遊びが幾重にも張り巡らされているから、 『MOTHER2』ではお金を使うことがとても魅力的で、 実際、お金を使うことがとても楽しいのだ。 貧乏性の僕としては、これは非常にジレンマである。 もちろん、うれしい意味で。 そういった「消費が楽しそうに思える感じ」は、 2番目の街で顕著になる。 ちょうどお金が貯まってきたあたりだ。 溜まってはきたけれど十分な蓄えではないから 湯水のようには消費できない、というあたりだ。 この街がもっと後半に出てきたら、述べてきたような 「消費が楽しそうに思える感じ」は薄れるのだと思う。 蓄えが十分ではないそのタイミングだからこそ、 売られているものがいちいち魅力的に見えるし、 お金を使うことが楽しそうに思える。 この感覚が妙に懐かしいなあと思っていたら、 なんのことはない、子どものときのありふれた憧憬だった。 「大人は自由にお金が使えていいなあ」 ゲームのなかの主人公と同じように、 子どもはみんなそう感じているに決まっているのだ。 2Dのドット絵で描かれたこのロールプレイングゲームは ときどきびっくりするほどリアルである。 |
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2003-07-27-SUN
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