ポケットに『MOTHER』。
〜『MOTHER1+2』プレイ日記〜

9月7日 『MOTHER1+2』を終えて


ゲームについて何か書くとき、
そこにあるすべてのものについて書くというのは
もう、完全に不可能である。
ずいぶん長々と書き散らかしてきたけれど、
僕が書いてきたのはやはり断片的なことにしかすぎない。

この日記は、しばしば大切なことを書き漏らす、
と僕は以前に書いた。
それは、『MOTHER1+2』にかぎらず、
ゲームについて何か書くときの
僕の総合的な感想である。

けれど、僕は無力感にばかりさいなまれるのではない。
「ほんとうに大切なものは、そのまわりにある」と
このゲームをつくった人が以前書いていたことがある。
僕がこの日記を81日間、飽きもせずに書いてこれたのは
やはりそうすることが楽しく、意義も感じたからで、
ことに「まわりのこと」に関しては、
このような形態をもってしか
書けないことも多かったとも思う。

つまり、総合的な感想としては、
あいかわらず僕は大切なことを
書き漏らしているのだと思うけれど、
「今日はちょっと肌寒いね」というような
ごくごく単純な感想を言わせてもらえば、
たくさんの「些細なこと」を書けたということが
81日間を終わってみての僕の感想であり、喜びである。

『MOTHER1+2』にかぎらず、
ゲームというものがもっともっと
多くの人に共有されていれば、
こういうものの書き散らかされかたも
変わってくるのだと思う。
けれど、ゲームはまだまだそのレベルにはない。
そしてそれを僕は、とくに残念なことだとも思わない。
すべての人がゲームをやる必要はないし、
いまゲームを取り巻くさまざま状況を
ほかに比べてことさらに不幸だとも思わない。

ところが、おもに電車のなかで
ゲームボーイアドバンスSPを開いて
『MOTHER1+2』をプレイするとき、
瞬間瞬間にしばしば僕を貫いてきたのは
それとはまったく正反対な感情だった。

冷静に考えるのなら
それはこういった場所に書いてはならないことで、
たしかにそういう感覚が生じたのだとしても
積極的に「書き漏らされるべきこと」として
個人のなかに抱え込まれるのがふつうだと思う。

けれども、とかくなんらかの連なりの最終回というのは
さまざまな反則めいたものが乱暴に提示され
受け手の厚意によって許容されることも珍しくないから、
無神経を装いながら厚かましく書いてみようと思う。
そもそもこの言い回しがすでに反則なのだと思うけど、
まあ、とにかく、最後だし、ね。

『MOTHER1+2』というゲームをプレイするとき。
多くの場面において。
それこそ、ここに書くことのできなかった、
個人的な場面において。
積極的に書き漏らしてきた大切な場面において。
僕は同じひとつのことを強く感じた。

雪の街をぼろぼろになって進んで教会にたどりついたとき、
ホーリーマウンテンの山小屋で過ごしたとき、
桃色の雲の世界で最後の告白を聞いたとき、
新興宗教のはびこる山間の村の外れで仲間に出会ったとき、
ムーンサイドであの人のことを感じ取ったとき、
パワースポットの緑色の光に包まれたとき、
恐竜の大きさに驚いたとき、
白金高輪の改札の前にある柱の陰に身を寄せていたとき、
最後の戦いが変質する瞬間を味わったとき、
僕は同じひとつのことを強く感じた。

このゲームを、多くの人がやればいいのに。
『MOTHER』というゲームを、
『MOTHER2』というゲームを、
少しでも多くの人がプレイすればいいのに。

ゲームなんてやったことがないという人や、
昔はよくやったもんだけどねという人や、
やるとハマるからやらないことにしてるんだという人や、
興味はあるんだけどとくにきっかけもなくてという人や、
子どもの遊びとまでは思ってないんだけど
やっぱりちょっとかっこわるいという人や、
とにかくもうほんとうに時間がないんだよという人や、
そうはいってもタダじゃないんだしという人や、
子どもに禁じてる手前、やるわけにいかないという人や、
ロールプレイングゲームはわけわかんないという人や、
ゲームをやる自分なんて思いもつかないという人たちが、
何かの弾みでもいいから、
このゲームをプレイすればいいのに。

わがままな子どものように、
感じたことを表すことが許されるならば、
僕が感じたのはつまりそういうことである。

もしも、あなたがこのゲームをプレイしたことがなくて、
何かの弾みのようなものを感じ取ったならば、
『MOTHER1+2』というゲームを
プレイしてみてください。
僕が日記の最後に書き殴ることは、
とどのつまり、それである。
単なる販売促進活動の一環ととられても
しかたがないことだと思う。
けれど、僕はほんとうにそう感じるのだし、
そんなふうに自分が感じられるものは
この世の中にそう多くはないのだと思う。

もしも、あなたがこのゲームをプレイしたことがなくて、
何かの弾みのようなものを感じ取ったならば、
どうか『MOTHER1+2』というゲームを
プレイしてみてください。
ゲーム機がないのなら、ゲームを売っている店に行って、
ゲームボーイアドバンスSPという
携帯ゲーム機を買ってください。
両方がそろったなら、ソフトを箱から取り出して、
ゲームボーイアドバンスSPに差し込んでください。
差し込むときにはギュッと終わりまで押し込んでください。
ちょっと力を入れるのが怖いと思うけど、
ソフトがゲーム機からはみ出さないくらいまで
押し込まないとダメです。
『MOTHER』と『MOTHER2』と
どっちをやっていいかぜんぜんわからないという人は
『MOTHER2』を選んでください。
主人公の名前や、すきな食べ物の名前は、
じっくり考えて決めてください。
ゲームが始まったら、そこにいる少年があなたです。
動かしながら、いろんなことをしてみてください。
外に出ると、カラスや犬がやってきて、
あなたに襲いかかります。襲いかかって戦闘になります。
戦闘になると画面が切り替わるので戸惑うと思います。
なぜ戦闘しなければいけないのかが、
最初はよくわからないと思います。
けれど、がんばって戦いに勝つと、
主人公がどんどん強くなって、
いろんな場所に行けるようになります。
ロールプレイングゲームというのは、
強くなっていろんな場所に進んでいくゲームです。
そのようにして、どんどん進んでいってください。
ゆっくりでかまいません。少しずつでかまいません。
成長しながら、世界を進んでいってください。

きっと、楽しいと思います。

さあ、これで僕が最後に書き殴る反則はおしまいです。
と同時に、長く綴ったこの日記もおしまいです。
読んでくださって、どうもありがとうございました。
たまたま今日だけ読んでくださった人も、
どうもありがとうございます。
たくさんのメールをいただきました。
ものぐさなもので、お返事できずにすいません。

大好きなゲームについて書くことができて、
とてもうれしかったです。
大好きなゲームについて書いたものを読んでもらって
とてもうれしかったです。
どうもありがとう。

あ、そうそう、最後につけ加えますけれど、
僕を探している美しい女性がいたら、
よろしく言っておいてくださいね。
でも、そんな人はいないと思いますけど。


2003年9月 永田泰大             .。

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2003-09-08-MON

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