あなたの、
『MOTHER』の気持ち。

こんにちは。
たくさんのメールをどうもありがとうございます。

そういえば、こんな方からも
『MOTHER』の気持ちが届いています。

 「3」が出るんですって? 
 ということで、まだずいぶん先の話だろうけれど、
 アドバンスSPを買ってしまいました。
 (吉田戦車)


昔、吉田戦車さんが連載されていたゲームマンガには
ちょっとニヒルなネスが登場して、
おもしろかったんですよねー。
(道をふさぐ大岩を簡単に吹き飛ばしたり、
 好物に「みそ」と入れたため
 毎日みそを食べさせられたり……)

さあ、今日も始めましょう。
昨日は短めにダダダッと掲載しましたから、
今日は長めのメールをじっくりと。



このニュースを知って、
歩いているだけなのに
「何があったの」と親に訊ねられるほど
浮かれてしまい、涙が出そうです。
自分でも少し奇妙だと思うのですが、
私はMOTHERを遊ぶ前から
「これはすごいゲームだ」と思っていました。
MOTHERを知ったきっかけは、
メロディと、映像、
コピーを今も覚えているテレビコマーシャル、
そして「毎日小学生新聞」に掲載された
糸井さんのインタビューでした。
(こちらは内容は忘れてしまいました)
ファミコンを持っていなかったのに、
なんだかすごく気になってしまい
レンタルCD屋さんで
サントラを見つけると迷わず借りました。
そのときダビングしたテープは、
大学生になってCDを買うまで
ずーっと大切に聴きこんでいました。
今もとってあります。
すごいゲームと思い続けていたのは、
音楽の力が大きかったと思います。
新聞を読んだのはたしか4年生のときですが、
ゲーム自体をしたのは6年生のとき、
転校した先の友人が貸してくれました。
プレイしてみたら、
すごいゲームは大切なゲームになりました。
やさしくかわいらしく、ユーモアに富んでいるのに、
時に「おそろしい」という感覚を
まざまざと呼び覚ます。
工場のただっぴろさや、地下の暗闇が、
山中で唐突に発見する人間の詰められたカプセルが、
本当に恐かった。そして、「かなしみ」。
クイーンマリー。ギーグ。
わすれられた男も忘れられません。
また私が気に入っていたのは、
1の「世界のスケール」です。
本当に、子どもの行ける範囲での冒険だったこと。
町から町がスクロールなしで、道が続いている。
人気のない所を歩くと敵が襲いかかってくる。
当時はこのようにはっきりと
言葉にして認識していなかったのですが、なんとなく
「とてもしっくり」きていたのを覚えています。
冒険の楽しさの裏にひっついてる
「遠くにきちゃった」というさみしさが、
強く感じられて。
2はスケールもおたのしみもボリュームアップして、
かなしみやさみしさは
少しうすらいだような気がします。
エンディングもにぎやかで、
楽しいエピソードの思い出が
たくさんあるのだけど、ちくりと思い出すのは、
見るかげもなくなってしまった哀れなギーグ。
現実のポーキーは最後までいやなやつだったのに、
ネスの心が作り出したマジカントでは、
彼は仲直りを望んでいたこと。
つづきが気になっていたんです。
3、楽しみにしています。
明日はものすごく元気に仕事ができそうです。
とりとめない内容でごめんなさい。
(オリバー)

感激。とにかくこの表現しかできません。
ほろり、と涙がこぼれ、そのあとに
ふつふつと沸いてくる「うれしい!」という感情。
ゲームショップに勤めている私は、
職場で今回のニュースを知り、
いきなり涙を流しはじめた私を
同僚が心配していました。
はじめて「MOTHER」に出会ったのは、
小学生の頃。
弟が買ってきた「MOTHER2」でした。
最初は所有者である弟からゲームスタート、
しかし横で画面を見ているうちに
早く自分の手でプレイがしたくなり、
結局泣き喚く弟をなだめながら
私がずっとプレイしてしまいました。
その後、高校生になった頃でしょうか、
出先でふらりと立ち寄った本屋で
「MOTHER2」のノベライズを発見、即購入。
小説でさらに広がる「MOTHER」の世界に、
どっぷり浸かってしまったのでした。大人になって
「MOTHER」シリーズをプレイしていると、
「ああ、子供っていいなぁ」
という想いが強くなっていきます。
自分が子供だった頃、
まわりには冒険が沢山ありました。
今では車で10分とかからず着いてしまう、
大きな池のある公園も、
子供の歩幅からすればちょっとした旅です。
家の台所から一掴みの煮干しと、裁縫箱から木綿糸。
それを手に持ちながら、
友達とザリガニ取りへ向かう公園までの道のり。
これから起こるであろう冒険の数々に
胸がワクワクしていたのを覚えています。
就職をして社会人になり、
やっと大人と認められ始めた今、
改めてプレイする「MOTHER」は、
きっとまた違う楽しさを与えてくれると思います。
長文、雑文失礼いたしました。
本当に楽しみに待っています。
(純)

僕にとって「MOTHER」とは、
「マザー2」を指します。
「1」は、兄が遊んでいるのを後ろから、
眺めているだけだったので、
子供心に「ファミコンにしては暗い」などと
思ってはいたものの、
ぼんやりとした印象しか残っていません。
「2」が出たころ、僕は中学生でした。
糸井さんは雑誌で、「マザー2」のコピーだった
“おとなも こどもも おねーさんも”について、
「大人っぽいおにいさんは”大人”で、
 子供っぽいおにいさんは”子供”なんですよ。
 でも、おねーさんはどっちでもないんだよ」
というようなことを語っていて
(言い回しはうろ覚えなんですが……)、
中学生心に「僕はどっちだ」と
悩んだのを憶えています。
そして、当時はまだ自分の事を
「僕」といってた事も、
ついでに思い出しました。いま。
そして、まだ中学生で、
一人称が「僕」だった、当時の自分は、
あろうことか、まだ兄がプレイするのを
後ろで眺めているだけでした。
コントローラーに触るのは
「レベルあげ」と「ダンジョン偵察」の時だけ、
あとはたまに、兄が面倒なときなんかに、
僕が街中の人全員に話し掛けてまわるのを、
兄がうしろで読む、ということもありました。
あまり早くセリフを飛ばすと、
「まだ読んでない!」と怒られたものです
(これ、今考えるとひどいですね)。
そうやって、兄の補助的な役割で
ゲームに触れているうちに、
だんだん、「このゲームはひょっとして、
他のゲームとは違うんじゃないか」とか、
「というか、これは自分のためのゲームだと思う」
などと、あらためて書くと嘘っぽい、
でも実際にはこんな言葉じゃ足りないくらいの
盛り上がりが自分の中に湧いてきました。
「これは出来れば、自分でやりたい」と
初めて思ったのですが、
自分だけのデータなんか作ったら怒られる、
と勝手に思い込んでいたので、悩んだあげく、
僕が帰る時間と兄が帰ってくる時間のはざま、
兄のデータで勝手に進み、
それをセーブせずに終わらせる。
という、何だかよくない行為を繰り返し、
冒険のよろこびを、自分のものにしていました。
ようやく自分だけのデータを作り、
はじめから通して遊んだのは、
それから何年もたってのことでした。
僕にとって「MOTHER」とは、
「マザー2」のことです。
では、僕にとって「マザー2」とは何なんだろう、
と考えると、もはや整理しようがないくらい、
自分のものにしてしまっているので、
とても、ちょうどいい答えが出てきません。
それよりは、
「どせいさんの村、タダで回復してくれるけど
 なんとなく、わざわざ温泉に浸かりに行くよね」
とか、
「『スパイダー!』の色違いキャラの名前が、
 『スパイダー!!!!!』だなんて本当にもう」
など、
数えきれないくらいのいろんなことを、
とりとめもなく、語っていたい気持ちです。
本当にもう、
あの時「マザー2」に出会っていなかったとしたら、
僕は、今着てるTシャツひとつ取っても
変わっていたでしょう。
最後に。
糸井さんのおっしゃるとおり、
これで部屋の片隅にある
スーパーファミコンを処分できます。
本気で、自分の息子の代まで
取っとくつもりだったのです。
(伊藤隆浩)

友達からたくさんのメールが来ました!
今夜は寝られないよ。とのこと!
ほんとうでした。
連絡を受けてから、3時間が経ってます。
寝てられません!!
2のEDで、図書館のおねーさんに
「地図は2001年にでも返しにきてね」
と言われ、
じゃあ3は5年後、2001年に出るんだ!
と思ってずぅっと待っていました。
ついに、会えるんですね、ああ
ほんとに感無量です。
マザー2発売当時ネスと同い年だった私、
どこを見てもハイセンスなせりふを
ぜ〜んぶ写したり、
(学校のノートより
ずっとみっちり書いてあります。)
スーファミのマリオペイントで
ドットスタンプを作ったり
smiles&tearsを作って動かしてアニメにしたり、
色々やったなぁ。
思えばスチャダラパー、ゴンチチ、
しりあがり寿さん等、
好きになったきっかけは
み〜んなマザーのガイドブックです。
単純ですね(笑)
皆さんの、ほんとに皆マザーが大好きなんだ、と
愛あふれる書き込みを読んでたら
私までも嬉しくなってしまいました。
こんなにたくさんのひとが共感し
感動をわかっているなんて
マザーは本当にかけがえのないゲームですね。
私もマザーが大好きです。
こんな場があって、Wでしあわせ。
急いでアドバンス買ってきます。
それでは!
(中村直子)

思い起こせば私が10歳の時、
初めてやったRPGがMOTHERでした。
あの頃は、週1時間しかファミコンしてはいけない
鉄の掟が我が家にあり、
RPGは進めるのがとても大変でした。
それでもMOTHERが面白くて、
当時はこればかりずーっとやり続け
一生懸命進めました。
ファミコンできない時間には攻略本を読み耽り、
まだ出来もしないPKの効果と名前等
一心不乱に覚えたものでした。
結局MOTHERはハロウィンまで行ったのですが、
オバケ屋敷が怖くて進められないまま
(ゾンビのところは決死の覚悟で、
 友達を何人も呼んで布団かぶって
 クリアしたのです)、
弟の友達のモロオカ君がファミコンの隣で
相撲を取った為苦労の結晶のデータがふっ飛び、
そしてハードのツインファミコンも同時期に壊れ、
クリアする事無く昇天してしまいました。
このモロオカ事件は今や社会人と大学生になった
姉弟の間でもしばしば話題に出ます。
それほどまでに根深く恨みを残しています。
ときは流れてMOTHER2が
中3の時に発売されました。
2は夏発売で、
丁度私の誕生日が近かったものですから、
母からのプレゼントとして
買って貰える事になっていました。
前作を無念の内にクリアする事無く
お別れしてしまったのが、
その時も悔恨として残っていたので、
今度こそ大人になった私の力を見せてやる! と
あの真っ赤なCMを見る度に息巻いて
発売を待ち構えておりました。
しかしそんな私の前にまた鉄の掟が。
我が家では誕生日を迎える前に、
プレゼントを開けてはならない
という決まりがあったのです。
2の発売日と私の誕生日の間には
1〜2週間のひらきがありました。
5年。5年も私はこの時を待っていたのだ!
と母に主張しても聞き入れて貰えませんでした。
涙まみれの大喧嘩にも発展し、あやうく2自体
貰えなくなりそうなところまで何度もいきました。
しかし私ももう大人でした。
弟と秘密裡に調べをすすめ、
2の隠し場所を探しあて、
両親のいぬまにこっそり、その頃持っていた
「聖剣伝説2」と交換しておいたのです。
ちゃんとパッケージしておけば
聖剣伝説「2」とMOTHER「2」で
「2」があっているから
お母さんは判らないだろう、
と踏んでの強行でした。1週間後、誕生日に
私は「聖剣伝説2」を母から貰いました。
私と弟以上に母もぬけていたので
全然ばれませんでした。
ちなみにその頃には既に2を全クリしていました。
1との出会いから数えて14年、
姉弟揃ってそれでも大ファンです。
ゲーム自体の思い出も多分にあるのですが、
それ以外の思い出を、紆余曲折も含めて
沢山我々の間に作ってくれた大事な作品です。
二人の仲がいいのはこれのお陰でもあります。
MOTHER1,2,3をとうとうプレイできるのは
めちゃんこ楽しみです。
待っていた甲斐がありました。
そして今は大学の為に、
地方で一人暮らしをしている
弟にも贈ってやろうと思います。
家は離れていますし、
もう二人ともいい大人ですが、
同じゲームの話を出来る事がまた嬉しいです。
(ばな)

ありがとう!!!
いきなりごめんなさい。
でも、ずっとずっと伝えたかった言葉なんです。
糸井さんやMOTHERの制作者の方々に。
私という人間を作ったのはMOTHERで、
私の根本にあるのがMOTHERで、
私の記憶の一番奥のところにあるのがMOTHERで、
私の故郷は、MOTHERなんです。
なんだか深い話になってしまってゴメンなさい。
でも、大げさではなくて、
本当のことだと思ってます。
だって、もしMOTHERがなかったら、
私はもっと、とても嫌な人間に
なっていたと思います。
MOTHERという帰る場所があったから、
今の私が存在してるんだと思います。
私がMOTHERに出会ったのは、
多分5、6歳くらいの時でしょうか。
自分では出来なかったから、
お父さんがプレイするのを真剣に見てた。
ストーリーなんて
わかっていなかったんだと思います。
でも、MOTHERの世界が大好きで、何度も何度も
父に、MOTHERやってー!!ってせがみました。
私が風邪をひいた時、
父にずっとMOTHERをやってもらっていて、
私はふとんの中からそれを見ていて、
父がやめようとすると、
「やめちゃやだ!もっとー!」
って泣いて困らせたのを覚えています。
あ、あと、初めて自分でやった時に
アドベント砂漠から
どうしても抜け出せなかったことも。
一体何回やってもらって、何回やったんでしょう。
あの世界も、あのメロディも、赤い帽子の少年も、
全てが大好きです。
大事にしていたファミコンが壊れてしまった後も、
MOTHERの世界はいつでも私の中にあって、
苦しい時や心が汚れてしまったと感じた時は
いつでもそこに戻れた。
あのメロディだって、
いつでもはっきりと思い出すことが出来たんです。
もう実際にゲームをやることは出来ない。
そう思う度に悲しくて泣いたけれど、
もう諦めていたのに・・・。
MOTHER3が出ること、
そして1と2がゲームボーイアドバンスで
復活するということを知った時は、
知らない内に手が震えて
涙が溢れて何も見えなくなってしまいました。
どうかどうか夢じゃありませんように!!!
割愛しまくったのに
結局長くなってしまいましたが、
最後にもう一度言わせてください。
こんなに素敵なゲームを、本当に本当に、
どうもありがとう!!
(えみこ)

わたしは子供の頃
家にゲーム機があるのに
ほとんどゲームをしない子供でした。
弟が夢中になってるマリオもドラクエも
とろくさーいわたしにはむつかしすぎて
「新しいゲームあるよ!」って弟に誘われても
ほんの少しだけつき合う程度でした。
(マリオならステージ1こだけ、とか)
ある日、弟が
「これ、姉ちゃん絶対好きだから」って
MOTHER2をすすめてくれました。
わたしは社会には出ていなくても
もう、100%子供、という年齢ではなかったし
弟もそうでした。
「騙されたと思ってやってみて!」
その言葉にしぶしぶと(失礼)
MOTHER2で遊び始めたわたし。
弟の言葉どおり、初めて熱中し、
初めて最後までクリアしたゲームでした。
写真を全部撮ったら何枚になるだろう
聞き逃した言葉はないか
・・・都合10回は繰り返して遊んだと思います。
そして、繰り返して遊んでいく分だけ
弟との会話が広がりました。
どこまでやった?
あそこから進まないんだけど、どうやった?
なんていう会話の間に
弟の彼女の話や大学でしている研究の話、等々。
MOTHER2をプレイしている弟の
となりでいろんなことをおしゃべりしました。
そして、コントローラーを持つ
弟の手の爪が、いつの頃からか
どんどん短く、深爪になっているのに気がつき、
心配になりながらも面と向かってなにがあったのか
きくこともできないうちに
弟はMOTHER2を置き土産にして
大学の側で下宿を始めました。
そして半年後、彼は自分で自分の命を絶ちました。
明るくて、優しくて、頭も良くて、気さくで
姉のわたしが言うのもなんですが
素晴らしい弟でした。
特別に仲の良かったきょうだいでは
なかったと思います。
ふつうに仲が良く、
ふつうに仲の悪いきょうだいでした。
でも、弟は小さい頃からゲームが好きで
いつもわたしとゲームをしたがりました。
どうして弟が死を選んだのか
今でもわたしには判りません。
傍からみれば、勉強も私生活も順調そのものでした。
何に悩んでいるのか聞けなかったけれど
爪がどんどん噛み切られて短くなっていくことが
心配になりながら
何度も何度もふたりでMOTHER2をはさんで
おしゃべりしたことが
後悔と救われる思いの入り混じった
思い出として胸にしまわれていました。
エンディングの「つづく」をみて
3が楽しみだね〜ってふたりで何度もいってました。
弟は待ちきれずに先に旅立ってしまいましたが
ふたり分の待ち遠しさで
MOTHER3に逢える日を楽しみにしてます。
あ〜!ほんっとうっに、うれしいです。
(あこ)

言いたいことがいっぱい有りすぎて。
なんて言ったら良いか、
よくわからないのですけれども。今、心の中には
「うれしい」「ありがとうございます」
という気持ちでいっぱいです。
その気持ちをやっぱり言いたくて、
姉妹でメールします。
-----------------------------------------
私は1と2、二作とも
リアルタイムで遊んだわけじゃなく、
きれいなグラフィックが入っているゲームが、
いっぱい発売されているここ数年にあそびました。
だけれども、とっても、とっても楽しかったのです。
とくに1なんか、ファミコンの画像で
色数も少ないのですけれど
わざと色数を制限したんじゃないかと思うほど。
素直に、「キレイだなぁ」と思いました。
BGMだって、ピコピコ音なのに、胸の奥底から 
何かが湧き出てくるような感じがしました。
「キレイで、リアルな画像だから面白いゲーム」
ってわけじゃないんだな。
と、あらためて思いました。
ゲームなのに実際に地面を
とことこ歩いてるような感覚。
体を包み込んでくれるようなBGM。
気持ちのいい効果音。
わははと笑ったり、ポロリと来る、
胸の奥底に染み込んでいくような人々のセリフ。
絶対に忘れることのできないストーリー。
RPG苦手なのですが、このゲームは違いました。
初めてゲームで大泣きしました。
最後はいっしょに歌いました。祈りました。
MOTHER、大好きです。
3が帰ってきてくれて、
体がうれしさでいっぱいです。
糸井重里様。関係者の皆様。
月並みな言葉ですが、ほんとうに、
ほんとうにありがとうございました。
(炎と緑の愛)
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私は、初めてMOTHER2をやってから
変わりました。
そのころの私はゲームはぜんぜんできず、
ちょこっとやってはやめ、
またちょこっとやってはやめの繰り返しでした。
そのとき、MOTHER2に合いました。
噂に聞いていたMOTHER2、
友達と一緒に電源を入れてみました。
でもやっぱり挫折してしまいました。
だけど、続きが気になりました。
「1つ目のぼくのばしょってどんな所?」
「2人目の友達に会ってみたい!」
そんな気持ちから、また電源を入れ、
どんなにきぜつしても、叫んでも
私はコントローラーを握りつづけました。
いつのまにか、私は4人のために
いのっていました。
4人はギーグに勝ち、
私は ざせつ に勝ちました。
このゲームのおかげで、
私は少しおとなになったと思います。
MOTHER2は、私のゲームでの
おかあさんです。
今度、3が出ると聞いて嬉しいです。
また、あのワクワクを3で体験したいと思います。
(緑と炎の妹)

2003-04-22-TUE

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