あなたの、
『MOTHER』の気持ち。

こんにちは。
たくさんのメールをどうもありがとうございます。

掲載するメールの数より
届くメールの数のほうが断然多いので
なかなかみなさんの声を紹介しきれません。
あらためて、『MOTHER』というゲームの
豊かさを痛感しています。

さまざまな方の、さまざまな気持ち。
あふれだすようにつづられたメールを
今日もたっぷり掲載いたします。
読むだけで暖かい気持ちになりますよ!



また、マザーがプレイできるとCMで知ったときは、
心臓が本当にばくばくしました。
どきどきどころの騒ぎではありませんでした。
やっとまた、マザーに会えるんだと思うと
本当に嬉しいです。
「嬉しい」っていう言葉じゃ
とてもじゃないけど足りないです。
でも嬉しいんです。
私はマザー2しかやったことがないんですけど、
マザー2をやったのは小学生の頃でした。
当時は隣町にいっただけで
ホームシックにかかるネスに
「そんなに遠くじゃないのに
 ホームシックになるものなの?」と
思っていました。
そんな私も今年で大学2年生です。
一人暮らしも2年目です。
住んでいるところは実家からは
高速を使えば2時間半で来れます。
電車でも3〜4時間の距離です。
いってしまえば「隣町」に来ただけなんですけど、
一人暮らしを始めたばかりの頃は
ホームシックになりました。
何の用事も無いのに親に電話をかけたり、
独りでテレビを見ながら
寂しくなって泣いたりしていました。
今思うと、私なんかよりネスの方が
ずっと強かったんですね。
私はこんないい年して、泣き虫でした。
またマザーに逢わせてくれて、
ありがとうございます。
(みさこ)

MOTHERが出たとき、ぼくは小6で、
あの4人のメンバーと同じぐらいの年ごろでした。
ぼくは彼らに、片思いの仲間意識を持った、
非公認の、5人目のメンバーでした。
心のなかでは勝手に、レインディアあたりで、
仲間に入ったつもりでいました。
車の排気ガスを吸うと、いまでもたまに、
赤い野球帽の男の子を思い出します。
雪が降ると、教会の女の子を思い出します。
彼らとまた冒険の旅に出られるなんて。
こんな喜びって、ないです。
糸井さん、関係者の方々、ありがとう。
(ユウキ)

今年31才になる、主婦です。
いろんな人の“『MOTHER』の気持ち”を読んで、
“私の気持ち”も
誰かに打ち明けたくなってきました!
私が小学生4年生の頃『ファミコン』が発売され、
毎日、毎日、友達や兄弟と
『ファミコン』で遊んでいましが、
あたり前のように、女の子は中学生ぐらいになると、
なぜか自然と『ファミコン』を卒業していきます。
私もそうでした。
『ドラクエ』などのRPGが人気が出た頃は、
私は少女漫画に夢中でしたし、
『スーパーファミコン』が発売された高校生の頃は、
私は音楽に夢中でした。
そんな普通のおねーさんだった私は、
ひょんなことからゲーム制作会社に就職し、
いい大人のおにーさんやおじさんが、
「今だにゲームに夢中」な光景に
嫌悪感を抱いていました。
そんなある日、
「RPGなんて、オタクの男の子がするもんだ!」
的な発言をした私に、上司がスーファミの
『ゼルダの伝説』と『MOTHER2』を
貸してくれました。
「RPGなんて面倒くさくてできない」
と思っていた私でしたが、
『ゼルダの伝説』も『MOTHER2』も
夢中になってクリアしました。
感動の余韻を味わいたくて、クリアした直後、
もう一度最初からやり直したりしました。
それからの私は坂道を転がるように、
ゲーマーの道を突き進み、
ゲームプログラマの彼氏に、
念願のファミコン版『MOTHER』を借りて、
何度もクリアしました。こんなに楽しくて、
気持ちが揺さぶられるゲーム達があったのに、
リアルタイムでプレイできなかったことを、
少し後悔したりもしました。
その後、その彼氏と結婚し、
仕事も辞め、只今妊娠中の私は、
『MOTHER1+2』が発売され、
ゲームをクリアする(であろう)9月頃には、
私も本当の『MOTHER』に
なっていることでしょう。
(はらぼて)

私はMOTHER2が大好きです。
でも、「あれ」が大嫌いです。
正式名称を口にすることすらできない「こきふり」。
うっかり殺虫剤のCMを見てしまった日の晩には
必ず悪夢を見てしまいます。
そりゃあもう、もしかしたら愛しているのかも?
と思うほど、ヤツらはよく私の夢に出てきます。
そんな私ですから、ゲーム中
地下通路で「あれ」に出会ったときばかりは
糸井さんを恨みました。
当然直視できず、戦闘モード音がしなくなるまで
目をつぶってひたすらAボタンを
押し続けるしかありません。
なので、いまだに「あれ」が
どういう性質でどういう戦い方をするのか
知りません。
「3」の開発再開のニュースが嬉しくてたまらず、
数日前から「2」のプレイを始めました。
ついさっき、「あれ」をやり過ごして、
「どせいさん」と再会したところです。
やっぱりいいわーどせいさん。
「あれ」の恐怖の後に、どせいさんの癒やし。
天使に見えます。というわけで、
「3」には「あれ」が出てこないことを祈りつつ、
発売を楽しみに待っています。
(まゆみ)

どうしても何かを糸井さんに伝えたくなって、
勝手ですがメールを書いています。
とてもうれしいです。
1と2にもう一度出会えることにも、
3が作られつつあると言うことにも。
きっとマザーのファンの多くは
「早く」ということを求めてはいないと思います。
ただのんびりと、どせいさんの優しさや
ハッピーハッピー村のあとを
つけてくる女の人の怖さや、
最後にヨーゼフ(犬の名前です)がかけてくれる
言葉を思い出しながら、
次のマザーをまっているのだと思います。
糸井さんのお話の中に
トニーとどせいさんのことがありました。
マザーの中には野菜スープの話を
一方的にしてくるおばさんや、
靴下の長さを気にするピッピや、
ゲームの中で唯一「死」のあるトンチキさん、
いろいろな人が出てきますね。
砂漠で日焼けしながら「死体じゃないぞ」と
怒ってる人もいました。
誰もが「主人公のために置かれている」
のではなくて、
勝手に生きていました。
世界を豊かにするものは、
勇者でも強い武器でもレベルの高さでもなくて、
そういう人々なんだと思いました。
きっと豊かさは
「きみのめがねのくもりをふいてあげたい」
という言葉の切なさや(笑)、
「くわがたむし」や、夢を追って都会に出ていく
ビーナスさんの中にあるんだなあと僕は思います。
マザーはいかしてます。
時間を経て、もう一度マザーに
取り組もうとしてくださることに感謝と敬意を。
ワクワクしながら、のんびりまっています。
(mole)

みんなのメールを見ていたら、中坊だった自分が
のめり込んだマザー2の思い出が
ふつふつと沸き上がってきました。
ラストで涙したこと、
ゲーム中ぶらぶらと街を歩き回ったり、
どせいさんのマネを弟としたり。
以来ほんと1をやってみたくて、
中古ショップを見付けては、
今でも必ずマザー1の
アノ赤色のファミコンソフトを探してました。
ワゴンセールの中を漁っていると、
あった!と思うとキャプテン翼や筋肉マンのソフト。
(いずれも赤色のパッケージ)
結局手に入れることは出来ずにいました。
数十件ものショップを探し、半分諦めていたところ、
1+2でリメイク!の報を知ったときは
本当嬉しかったです。現在は大学生ですが、
電車通学の合間にやろうかと思ってます。
みなさん電車でマザーをやってる人を見かけたら
アイコンタクトお願いします。
(makotop)

私が始めてMOTHERに出会ったのは
小学生の中学年の時。
最初は、お金がどうやったら
手に入るのかわからなくて困惑したり、
墓場の音楽が怖くてそこだけ消音にしたりと、
色々ありました(笑)。
エイトメロディーズが
音楽の教科書に載っているのを見て、
狂喜したこともあります。
でもすっごく、心に響いてくるゲームで、
ファミコンが壊れてしまっていてできない分、
当時の公式攻略本を
今でも大事にとっておいてあります。
たまに寂しい気分の時とか、
つい本棚から手にとってしまう一冊なんです。
今はもう、私は大人で、
子ども心なんて……って思うけど、
MOTHERに触れることで
懐かしさを感じると同時に、
素敵な心を取り戻すことができるような気がします。
ゲームで感動するってことは、
なかなかないと思うんですけど、
MOTHERだけは違うと断言しちゃいます。
21世紀の子どもたちに、
是非伝わって欲しいなぁ、この感動。
今でもマジカント国の切なさと癒しを、
忘れることができません。
そういえば、このゲームをすると、
現実でもつい親が恋しくなっちゃうのは
私だけですかね(苦笑)?
(masako)

はじめて「MOTHER」に出会ったのは
今から9年前のあたしが18歳のころでした。
その頃、あたしはゲーム屋でバイトを始めたばかりで、
今何のゲームが楽しいのか、人気があるのかなどが
全く把握できていない舐めた店員でした。
なんせあたしのゲーム道は
「スーパーマリオブラザーズ3」で、止まっており。
で、その時一緒にバイトに入った女の子に相談すると
「それならこれが楽しいよ」と
すすめてくれたゲームが「MOTHER2」でした。
「絶対おもしろいから!
 そのゲームをまだやってなくて
 これから初めて出来るなんて羨ましい」と言われて
「そうなのか」と素直にやってみました。
始まった途端すでにかわいくて、
雰囲気が大好きで音楽も大好きで、
「どうしよう・・・・・やられた」と思いました。
とにもかくにも、はまってしまい次の日その友達に
ありがとうな気持ちでいっぱいで
うきうきしてました。
どせいさんが出てきたときの衝撃。
あれも忘れません。ふふふ。そんな思い出なんて
語れるゲームも今までこれ一本です。
(佳子)

私の印象に残っているのはMOTHER2の
中盤をちょっと過ぎた辺りだったでしょうか、
多分5〜7番目の場所だと思うのですが、
そこで出てくる
「小さい頃に自分に
 見つめられているような気がした」
というメッセージです。
その一言がやけに心に焼き付いて、
クリアしてから何年もたった今でも
時々思い出したりします。
なんだかとても柔らかくて優しくなれるような、
不思議な感覚になるんですよね。
家電量販店でSFC版「MOTHER2」を見かけるたびに
買おうか悩んでいたので、
GBAで出てくれるのは嬉しいかぎり。
6月まで少し貯金して
GBASPと一緒に買おうと思っています。
少し年をとった今遊んだら、
あの頃とは違う何かを
感じられるんじゃないかな、と思います。
多分ゲームしながら泣くんだろうなあ・・・なんて。
(小太郎)

MOTHER発売を知ってから、嬉しさや、
諸々の感情が後から後からあふれてきて、
しばらくどうしたらいいか分からなかったけれど、
やっとこうして文章に表せるようになりました。
糸井さん、本当に、本当に、ありがとうございます。
MOTHERが発売になったのは、
私が小学校6年生の時でした。
一番私の心をとらえて放さないところは、
ちりばめられた遊び心は勿論ですが、
優しさや勇気と一緒に、
人生の痛いような所も、柔らかく、でもしっかりと
織り込まれているところなのかと思います。
借りたのに壊してしまった戦車や、
最後にメロディを残してくれたイヴ、
ホーリーローリーマウンテンに捕らえられた大人たち。
無視すると言わなければならなかった、忘れられた男。
マジカントに詰まったマリアの思い。
ゲームをクリアしていっているはずのに、
いろんな、切ない思いを抱えていった気がします。
でも、一番辛かったのは、
2でギーグと戦った時でした。
どうしてこんなふうになってしまったんだろう?
ギーグが、「チガウチガウチガウチガウ…」と
繰り返した時、彼が求めていることが、
こんな戦いではないはずなのに、
どうして良いか分からなくて、
ただ彼を痛めつけることしかできなくて、
辛くてどうしようもありませんでした。
心の中で、本気でギーグに「ごめんね、ごめんね」
と謝っていた気がします。
ガイドブックも、サントラも素敵で、
どちらも今でも当然のように読んだり、
聴いたりしています。
ソフトも今でも大事にとってありますが、
本体が壊れてしまって、遊べなくなっていました。
もう一度、MOTHERに会えると思うと、
そして3も発売になると言うこと、
ただただ、嬉しいです。
その日を楽しみに、また、心おきなく迎えられるよう、
自分の仕事をがんばりたいと思います。
(うずら)

ある日テレビを見ていた。
部屋には母親とイトコがいて
イトコと私はあるCMを見て顔を見合わせた。
「今の見た!?」と。そこには『どせいさん』がいて
ホント一瞬の出来事だったんだけど
私達は顔を見合わせた。特別仲良いワケじゃないし、
普段あんましゃべんないし、
それまでそのことを語ったことなんて
まぁ、あたりまえになかったし、
ガキンチョのころお互いどんな遊びしてたかなんて
知らないし、それよりその存在自体、
ここしばらくは、まぁ、忘れてたし。
そんで何が言いたいのかって、兎に角、ウチらは、
何の気なしに流れたテレビCMを見て、
同時に頭ン中が「!?!?!?」ってなって、
顔を上げると、ふたり同じ反応してて、
お互い同じこと思ってんのが感じ取れて、
急に血の巡り良くなったみたいな感覚で
ふたりで声上げてて・・・。
忘れてるようで、忘れられない存在。
それが『MOTHER』なんだな。  
(TOMOKO)

思えば、私が「MOTHER」と出会ったのは、
小学校低学年の時でした。
その当時、よく一緒に遊んでいた男の子の家で、
「MOTHER」を見せてもらったのが始まりで、
その後、親に無理言って(というか駄々をこねて)
買ってもらいました。
おんなのこには自分の名前を付けて、
2人のおともだちには、
その時仲の良かったクラスの男の子の名前を、
そしておとこのこには、
好きだった男の子の名前を付けてPLAYしたのも、
今となっては(ちょっと恥ずかしい気もするけれど)
良い思い出です。「MOTHER」って私にとっては
すごく「身近に感じるゲーム」
だったように思います。
設定が、RPGにありがちな、
「どこかこことは違う世界の、遠い国の物語」
ではなくて、現実にとても近いものだったから、
マザーズデイやサンクスギビングといった街だって、
当時の私は本当にあるんだって思っていました。
「大きくなったら、いつか行ってみるんだ!」
って思っていたんですよ(笑)主人公たちにしても、
ほんの少しだけ不思議な力を持った、
(当時にして見れば)
自分とそんなに年が違わないような、
普通の男の子や女の子だったから、
自分や友達の名前を付けても、
全然違和感みたいなものを感じなくて、
本当に自分が、
そこで一緒に冒険しているみたいに
感じられたんです。
昔の私がそうだったように、
これから初めて「MOTHER」を
PLAYする子どもたちも、
そんな風に感じたりするのかな?
なんて思ってみたりしつつ、
「MOTHER1+2」の発売日を
楽しみに待っております♪
(sachi)

この年で5歳になりたてほやほやの
息子が一人おります。
私がゲームに出会ったのは
もう大人になってから・・・・
なんとなく、彼に会えない夜の(!)
暇つぶしに買ったのがファミコンでした。
(まだ携帯なんてものもPCもなかったしね)
で、まったく初めて買ったソフトが
三国志・・とかいうまじめ〜〜なやつで
これがテレビゲームってやつ???
とか思いながらやってました。
で、次に買ったのが「MOTHER]でした。
好きな食べ物はハンバーグととりごはん
2度目のプレイではキリンビールでしたが・・
不思議と夢中になれるこの世界に
はまった私でした(笑)
エンディングでぼろぼろ泣きながら
ゲームってこんなふうに
泣けるものなんだぁって・・・・
大人心に思ったものです。
あの頃よりもっと歳を取ってしまったけど
またあそべるなんて素直に嬉しいですよ。
(もう買う気になってます、えへへ)
仕事も育児も家事も趣味も・・・
自分の時間の中で楽しんでいますが
それなりにいっぱいいっぱい・・
で、ゲームボーイアドバンスっていうのは
ちょっと嬉しいですね。
テレビの前に座りこまなくても良いし
ちょっとの時間でもひらけるし(笑)
でも心配なのはもう昔の体力ないから
あの小さい画面に自分の目が
ついていけるかしら、ってこと。
なんにしろたのしみで〜〜す
(とらち)

ちょうど現在進行形でマザー2の
タライ・ジャブの穴を攻略していた私は、
この日はじめて
マザー1+2がでることを知りました。
私が一番最初にプレイしたゲームがマザー2で、
出会ったのはまだ小学2年生の頃。
ゲームショップで真っ赤なパッケージにひかれ、
なんとなくおじいちゃんにねだって
買ってもらいました。ゲームをつけていきなり
UFOが出てきた時は音と画像にびっくりして、
怖くて、でもそれだけで期待感でいっぱいでした。
はじめてのゲームで興奮して、
強い敵をやっつけるたびに自分もレベルアップして、
どんどん仲間が増えるたびに
私にも仲間ができました。
ギーグを倒してエンディングが見られたときは
おもわず泣いてしまいました。
ゲームってこんなにすごいんだ!
こんなに感動できるものなんだ!とおもい、
その後いろんなゲームをプレイしましたが、
マザー2ほどのゲームに
会うことはありませんでした。
それからは何度も何度もマザー2をプレイして、
クリアしてもしばらくするとまたやりはじめる
マザーバカになりました。
でも何回もやっているけど、
やる度に違うマザーに出会います。何回やっても
やる度やる度新しいおもしろさがでてきて
私は今でも年に何回かマザー1、2をやります。
それは私が30、40になっても、
テレビがファミコン、スーパーファミコンに
対応しているかぎりはやめないでしょう。
友人には、いつまでスーファミやってんの?
とバカにされますが。何十回もマザーをやり、
もう目をつむっててもできるほどのマザー1、2は
かめばかむほど味がでる「するめ」ですよね。
小学生の頃は時が経つのがとてもゆっくりで、
いつか私にもマザーのような冒険がやってくるんだ!
なんておもいこんで、
冒険に出るためのお気に入りの洋服や、
リュックの中にマックのハンバーガーを
何個か入れて枕もとにおいて眠っては
母に叱られました。そんな私ももうすぐ成人。
今まではパッケージの裏に書いてある、
子供から大人になる楽しさしか
味わえませんでしたが、
これからは大人から子供に戻っていく感覚を
楽しもうとおもいます。
ゲームの世界なのにボルヘスの酒場に
ビクビク入っていた頃の私を考えると不思議です。
ゲームボーイアドバンスで発売されることになり、
テレビが進化していくのにヒヤヒヤしなくても
心おきなくマザーができるとおもうと嬉しいです。
私がおばあちゃんになっても、
横にはマザーがおいてあるのかも。
もう少しでテレポートを覚えるネスが、
ギーグを倒す頃、私はゲームショップにかけこんで、
またあの赤いパッケージを見て
小学2年生にもどります。
(小山田)

わたしがMOTHERに出会ったのは、
2が発売された時でした。
その当時はまだ小学生で、
3姉妹+末弟の次女として育ったわたしは
ゲームにほとんど馴染みの無い家の、
ゲーム好きの女の子でした。
買ったときのことは、ほとんど覚えていません。
近所の今は雑貨屋さんになってしまった
小さなゲーム屋さんで、どのゲームを買おうかなぁと
悩んだ末に手に取ったものが
MOTHER2だったと思います。
お友達が4人、うちの兄弟も4人で、
兄弟の名前をつけたんですよ。
21になった現在まで、2は何度もプレイしました。
最初にプレイした小学生の時は、
ストーリーやネスの行動に
何一つ疑問を覚えなかったのです。懐かしいとか、
この子供たちはなんて子供らしいんだろう、とか
最近のプレイでは必ず感じてしまうことを、
本当に何一つ感じない、
わたしはゴミ箱を喜んで開けるネスでした。
ぬいぐるみが可愛くて
いつも連れて歩くことに喜んで、
敵が強いと逃げ回り
ママの手作りチョコを食べました。
わたしが大人になってもネスは大人になりません。
『ネス』とそれを囲む存在そのものが、
わたしにとってのアルバムです。
今でも一緒に大都会や砂漠を
歩けてしまうような気がしてしまうのです。
(次女のネス)

今日、『MOTHER1+2』のCMをみました。
最近、テレビをあまり見る時間がなかった私なので
(もちろんゲームをする時間もないです)
勝手に”発売中”のCMだと思い込み、
夫に「今日、買いに行こう!」と言ったのです。
夫には「まだ発売してないんじゃないの?」と諭され
”ほぼ日”で確認した次第で・・・
なーんだと少しがっかりしましたが、
今から6月20日が楽しみです。
これから、昔、MOTHER2を譲った友達に
「MOTHER1+2が出るよ!」と
メールを送るつもりです。
(いまだにMOTHER2を譲ってしまったことを
 後悔してるのですが)
(未MOTHER あゆみ)

ぼくが「MOTHER」を知ったのは、
あの木村拓也と子供がCMで歌を歌っていた
「MOTHER2」のときでした。
その後、スーファミで遊んだときは、
いままで遊んだどのゲームともちがう世界に
ビックリし、なんとも言葉がみつかりませんでした。
ただ、ひとつだけおぼえているのは、
自転車に乗っているときに
心の中に風がふいていたことです。
それは、ぼくがいまよりももっと幼かったころの、
世界すべてが冒険の舞台に
みえていた時の気持ちなのでした。
ぼくの部屋にはいまでも何故か、
スーファミ用のソフトとしては
「MOTHER2」だけがのこっています。
あの、自転車のベルをやかましく、
でもほこらしく鳴らしまわっていた日々に
もう一度であえることをうれしくおもいます。
そして、こんどこそ、「MOTHER」って
どんなゲームだったのか
いえるようになりたいとおもっています。
(あのころぼくは小学生.21歳)

好きな人に、
自分の好きなものを勧めたくなる気持ち。
自然な感情です。でも私、苦手です。
勧めるのも、勧められるのも。そんな私にとって、
『MOTHER2』ほど困った存在はなかった。
(もちろん『MOTHER』も好きですが。)
あの人にもこの人にも、
味わってほしい体験させたい!
のに、あんまり好き過ぎてもう、
なんて言えばどう売り込めば良いのかと、
却って言葉を失ってしまうのでした。
「あのね、黒焦げになっちゃうの、ドーン!って。」
わけわかんない。
それが、ああ、GBAで『1+2』だなんて。
あの人にもこの人にも、
本体とセットでプレゼントしてしまえとでも!?
メッセージカードを添えて。
ひとこと『ぐんまけん。』と。
(忍者ツトムくん 36歳)

いまMOTHER2やってます。
いまDXスターマンをたおすところです。
発売前にクリアしてやる〜!!!
私にMOTHERについてのことを
語らせると止まらないので書けませんが、
とにかく嬉しいです。
この発表を聞いた時は本当に嬉しくて、
どんなゲームをクリアした時より
うれしたかったりしました。
期待してますが、
気負いせずに自由にやってください。
私は発売日がいつになろうと待ち続けます。
ではでは。
(ナカオシュウ)

初めまして、大変恐縮ですが
MOTHER1+2の発売という情報を聞いて
居てもたっても居られなくなり、
ついついメールを打ってしましました。
終始”ぬくもり”を感じながら
プレイできたゲームはあれが最初で最後です。
残念ながら私はMOTHER2しか
やった事が無いんですが、
中学時代に友達から借りて感動し、
返した後もそれを忘れられずに
少ない小遣いをためて買ってしまった記憶が
今また蘇って来ました。
クリアして、またやる度に違う見方が出来て、
最後にはやはり感動して・・・。
時にちょっと怖かったり、せつなかったり、
だけど全体的に何かあったかい音楽。
写真屋さん、何よりギーグとの戦い・・・、
そして、そして・・・。
語りつくせないものがあるんです。
初めてやったときはぼろ泣きでした。
ふと何だろうな?と最初は思わせるような
小憎らしい演出。分っているのに改めてやっても
同じツボにはまってしまうんですよ、何故か。
(NORUMA)

深夜にゲームしながら、
ぼんやりテレビのチャンネルを変えていたら、
忘れもしないあの「赤色」と、
どせいさんと、どせいさんフォントが!
CMの最後の画面が、パッと一瞬だけ。
それがあたしとMOTHERとの再会の瞬間で。
深夜だからとがんばって、
最初からCMを見たとき、どんなに嬉しかったか。
あたしはずうっと、MOTHERの中に居ます。
心の奥がずうっと、MOTHERなんです。
嬉しい時は心の中からぱあっと明るくなって、
悲しい時には目の前がすうっと暗い色になります。
心と繋がった世界。
マジカントはあたしで、ここで今生きているんです。
そしてそんなあたしの、あたしだけの場所が、
「ムーンサイド」。
今でも時々、あたしはそこに行きます。
ホテルに泊まり、
素敵な小鳥の鳴き声をききながら起き、
新聞を読んで、
街の人達と一緒にフラフラ歩いて、
たまに動いてる物をなぐったりして、
戦闘シーンの背景と一緒に踊っていたら自爆されて、
病院送りにされて、あたしはゆうびんポスト。
ハロー そして グットバイ!
こうやって楽しむだけのセーブデータが、
どんなにかけがえのないものか。
大好きで、大好きで、大好きな、あたしの世界。
アドバンスで行けるなんて、夢のよう。
好きな食べ物、なんにしようかな。
今から考えてしまいます。
こっぱ?それとも、オムレツ?
あの頃に比べて、
色んな食べ物が大好きになったから、
選ぶの大変です。うふふ。
本当にありがとうございます。
(YON)

マザー2は高校のとき、学校の先生に貸して、
トッピングであれが結構いけるだのいけないだの、
ひよこはどうやって使うのかだの、
テレポーテーションで黒焦げにならないコツだの
話してたのを思い出しました。
そして帰ってきたソフトで
先生の持ち物をチェックしてみたり。
好きな食べ物を見てみたり。
そして先生も私のデータで遊んでたらしいことを
また聞いたり。なんだか楽しかった思い出です。
ゲップーはほんとあれ以上ゲームで
気分が悪くなったことってないかも・・
でもその後の温泉がまるでほんとに
入ったかのようにスッキリしたんだったなー、
ポワワワーンって効果音が
すごくいい感じだったなー、
なんて、きりがなさそうに思い出深いです、
マザーは。
(あし)

MOTHER1+2移植&3製作
ありがとうございます。こりゃもう、
おめでとうございますじゃないですよね。
本当にありがとうございます。
なにせ私はMOTHER2しかやったことがなくて、
MOTHER2をクリアした後、
MOTHERがやりたくても
ハードもソフトも持っておらず、仕方がないので
小説を読んで我慢していたのを覚えています。
まさかこんな形で夢が実現するとは!感無量です。
先日、嬉しさのあまり会社の子に
MOTHER2の良さを話した所、
一人の子が興味を持ってくれて、
MOTHER2をやってみたいと言ってくれたので、
早速ソフトと攻略本を貸しました。私はその子に、
「最後に絶対泣いちゃうから覚悟しておいてね」
と忠告すると、その子が
「ゲームなんかじゃなかないよ」と自信たっぷりに
言ったので、その子がクリアの時に泣くかどうか、
賭けをしました。賞品はコーラ1.5リットル。
その子の涙も商品も、もう、もらったも同然です。
きっと今頃その子は
MOTHER2をプレイしているんでしょう。
月曜日に会社に行って
その話で盛り上がるのを楽しみにしています。
(さおり)

初めておたよりいたします。
みなさんのMOTHERについての
熱い思い出を見てるうちに、
私も参加したくなったのです。
こんな文章でも読んで頂けるのでしょうか??
私は、小学生の時に、
友達にこのゲームを初めて借りてやりました。
私の初めてプレイしたゲームはドラゴンクエストで、
あまりゲームを知らなかった私は、
そのあまりの違いにとまどいました。
なにかあっけらかんとした、登場人物達のセリフ‥。
時代設定。なにもかもに。
当時の私にはすこし早かったのかもしれません。
でも、徐々にのめりこんでいき、
友達に返してからは自分で買って、
何回もプレイしました。もちろん、2もやりました。
でも、ファミコンは壊れ、
スーパーファミコンも友達に譲り、結局もう
MOTHERができない環境になってしまいました。
そして、長い年月が過ぎ、
正直、私は忘れていました。
今私はゲームの取扱いがあるところで
バイトをしています。
ある朝、いつものように出勤し、
まだ客のいない売り場に出てみると‥‥。
そこに真っ赤な見覚えのあるポスターが
貼られているではないですか!!
私は、ゲーム担当の子のところに走りより、
その子はMOTHERを知らないにも関わらず
一方的に話をし、
持っていないハードであるにも関わらず、
誰よりも早く予約をしました。
体が震えて、指先がしびれる感覚がしました。
これが武者震い? もう毎日落ち着かない、
大袈裟ではなく、本当にそんな感じなのです。
今の私の目標は、
アドバンスSP+MOTHERのお金をためる事です。
私は申し訳ないのですが、
音楽やイベント、エンディングなど、
あまり記憶に残っていません。
面白かった、という事だけが、頭にガツンと
残っているのです。なので、私は
初めてMOTHERをやるような気持ちでできることに、
また違う喜びを感じています。やりながら、
『あぁ、こんなんだった!懐かしいなぁ!』
と振り返りながら‥。
そして、もう二度と忘れません。
セリフひとつでも覚えていたい。
MOTHERをしてるときだけは、
日常を忘れて、子供に戻っていいですよね?
子供に返る日を、気長に、でも楽しみにしています。
3も、がんばって下さい!!
(アリエル)

CMを見て驚き、涙が出ました。
ここにある皆さんのメールを見て
無意識に涙が出ました。
マザーといえば、シナリオにもシステムにも
なにか心を躍らせるものがあります。
僕は、その中でも音楽が好きでした。
サントラも買いました。
その中に書いてあった、詞・糸井重里の曲。
どこか寂しげな曲。なのに、どこか力強い詞。
CDはふとしたことから割れてしまったのですが、
詞は今でもはっきり覚えてますし、
曲も口笛だって吹けます。
でも、口笛でこの曲を吹くとなぜかまた涙が出ます。
なんでこんなに涙が出るんでしょう?
最後に、発売日を確認して
とてもうれしく涙が出ました。
なぜなら、6月20日は僕の誕生日だからです。
糸井さん。
最高の誕生日プレゼントをありがとう・・・
(サトツ)

スペーストンネルに乗り込み、
目に飛び込んできた、灰色一色の一本道。
耳に取りついて離れない、無機質な音楽。
小学3年生だった当時の私には、
想像もつかない、底知れぬ世界でした。
そして、その先に待っていたギーグとの対決。
言葉にならない恐怖に涙ぐみ、
ギーグ消滅の瞬間にスピーカーから流れた、
魂をもぎ取られるような音が耳に突き刺さるうち、
わけのわからない叫び声を上げそうになり、
思わず耳をふさぎました。
あの時以来、「ギーグ」という存在が、
私の奥底に入り込み、
普遍のテーマの一つとして生きています。
クリエイティブな仕事をやりたい、成し遂げたい、
そんな欲求が、何年も前から
胸の内でたぎっていました。振り返って思えば、
その欲求の源泉はあの砂嵐だったんだと、
マザー復活のニュースを聞き、
改めて気付かされた次第です。
私はマザー2しかやっていないのですが、
マザー1もアドバンスでやるつもりです。
やらないわけにいきません。
何といっても、
マザー2の原点となった作品ですから。
ありがとうございます。楽しみに待ってます。
本当に、ありがとう。
(kyosuke)

切ない気分が、ゾワゾワと侵食してきています。。。
当時、私は大学生で、
ゲーム好きではありませんでしたが、
糸井さんの名前に惹かれて
「MOTHER」を買ってみました。
豊かで、郷愁があって、完璧にステキな世界。。。!
あの画面の中で、海風も、土の湿り気も、
雪の冷たさも、空気の味、温泉の湯気、
匂いまで感じることができました。
こんなに、、、心地のいい世界を‘体験’した後に
どうやって、うまいこと現実世界に戻ろうか。。。?
戸惑い、切なくなって、
ゲームの中をぐるぐる彷徨いました。
2も終えて、思い切ってゲームを手放した後も、
「攻略本」だけはしばらく手元に残しておきました。
気力の萎えたとき、パラパラとめくると、
そのときの気分にうまい具合に作用する
「町」のページがあるんですね。
何度この「攻略本セラピー」には、
励まされたことか。
本も手放して10年。
9歳と6歳になる息子たちには、
どうやって「MOTHER」と出会わせよう。。。?
そのうち‘体験’させてやりたい、と思っていたのに
あの頃の切なく静かな衝撃と、
ざわざわとした、
やりきれない気持ちを思い起こすと
与えるのに、なかなか思い切りがつきません。
あの子たちに、
「MOTHER」はどんな風に作用するんだろう?
(やなぎの木)

MOTHER。
爽快なナナメ歩き。
用もないのに砂漠を遊覧飛行。
フットワークの軽い写真屋さん。
ホッと一息、パパの声。
そして優しいママ。
いつもグラタン作ってくれた。
CMをみたとたんに、MOTHER熱再び。
頭の中が赤一色。今日、
「ゲームボーイのMOTHER下さい。」
とお店にいったら、
「発売は6月です。」と言われました。
まちどおしい。
(YORIKO)

「MOTHER2」は、
みんなに布教しまくりましたね〜。
なつかしい。。。。
好物はオムライスを選択しました。
セーブがパパに電話。というのが画期的でした。
ママがオムライスを作って待っていてくれたり、
心細いときにパパの声が聞ける(?)というのが
切なくも、うれしかったですね。。。。
ちなみに、オムライスというのは
私が中学の時、大病を患ったとき、
土曜日は学校を早退して必ず病院で検査だったので、
いつもは「仕事命!!家庭より仕事優先!」の母が
その日だけは、私より早く帰って
作ってくれたメニューです。おいしかった。。。。
だから私には、
ホントに元気回復メニューだったのです。
頭にキノコがついて、コントロールパネルを
投げそうになったのも、いい想い出です。なんだか、
小さな人生の勉強をさせてもらった感じでした。
一人暮らしの部屋で、実家の両親を思いだすという
忘れられないゲームです。
ありがとうございました。
(けろっち2号)

私は「MOTHER2」をクリスマスプレゼントとして
サンタさんから貰いました。
ゲームはやるのだけれど下手の横好きだった私は、
最初から躓き、友達に助けてもらいながら
ようやくオネットを出発したことを覚えています。
そうやって、
四苦八苦しながらプレイしていくうちに、
私はどんどん世界にのめりこみました。
一生懸命に生きるキャラクター達の格好良さ。
エイトメロディーズが全て揃ったとき、
私はゲームで始めて泣きました。
久美沙織さんの「MOTHER2」の小説を
登校途中に読んでいたら、
雨降りの後の地面に落としてしまって
ドロドロに汚してしまったこともあります。
けれどそのドロドロの本は、
親元を離れ一人暮らしになった今でも
私の本棚の一番目立つところに仕舞ってあります。
それを見た母親に、
「あんたの愛読書は『MOTHER2』やね」と
言われたことは、私の小さな誇りです。
そんな「MOTHER2」で特に好きだったのは、
「仲間」ではなく「ともだち」という
表現をなさっていたことです。
「ともだち」という言葉が
どれだけあたたかいものであったかが
画面の中のドット絵からは溢れ、
まるで倖せを体現しているかのようでした。
そして離れていても確かな家族の絆。
思い出すだけで、「早く発売日来ないかな!!」と
待ち遠しくて仕方が無いです。
コマーシャルの音楽にコンマ数秒で反応し、
狂喜した私の姿、見てもらえていたら、
どれだけ嬉しかったかということが
きっと解ってもらえたと思います(笑)
待っていた九年の間に、
私は「子供」から「おねーさん」になりました。
それだけの年月が流れても、
同じ気持ちで沢山の人たちが
「MOTHER」シリーズを待ちわびていたということを
知れたことも、本当に嬉しかったです。
ありがとう。それ以上の言葉はありません。
本当に、本当にありがとう!!
(Tommy)

とにかくお礼を言いたい!
イトイさんありがとうございました。
MOTHERは僕の根っこです。
人を喜ばせる幸せにするって
こういうことなんだなと思いました。
MOTHER2を初めてプレーしたのは
中学生のとき。
あれから僕の中はいつもMOTHERだらけでした。
いつもMOTHERっぽいものを
探し続けていたような気がします。
MOTHER2のサントラを
見つけたときのうれしさ。
MOTHERを中古屋で手に入れたときの感動。
寂しくなると何かを求めて
MOTHER2をやりました。
大学生になった今もMOTHER2の音を
MDに録音して喜んでいます。
MOTHERってやらされてる気が
しないんですね。
自分のしたいことがそのままストーリーになる。
そしていつもみんなに見守られてる気がするんです。
それからぜいたくなBGM。
それぞれのシーンごとにぴったりの
BGMが流れてる。
ぜったい自分は
MOTHERの世界にいるんですよね。
MOTHERのすべてが僕の宝物です。
なんだろー?この言葉で表せないやさしさって。
いとしのMOTHER。期待してます。
(ゆうずさん)

HPを拝見していると思わず気持ちが高ぶってしまい、
メールを出さずにはおれなくなりました。僕が
『MOTHER』を最初にプレイしたのは小学生のとき、
『MOTHER 2』をプレイしたのは
中学生のときでした。
家族で三つのセーブ欄を分けあって、
われ先にと遊んだものです。
二度目は大学生になってから。
ちょうど一年前のことです。そのときは、
十年ぶりに目にする『MOTEHR』のタイトル画面を、
しばらく見つめ続けてしまったのを覚えています。
別れはしたけども、一度も忘れたことはない、
大切な誰かに再会したかのようで、
胸が熱くなりました。不思議なもので、
「あなたの『MOTHER』の気持ち。」
を読んでいると、「新幹線で、泣くんじゃない。」
ではありませんが、涙がにじんできます。
ゲームの制作者でも関係者でもない、
四年に一度も泣かない僕が。
『MOTHER』という作品は、
とても幸せな作品だと思います。
たくさんのプレイヤーに幸せをアドバイスし、
幸せを発見できた
たくさんのプレイヤーの声によって、
今度は自分自身を幸せにしていく。
こういう幸せって、ホンモノのような気がします。
ホンモノって言葉、危うい言葉ですけども、
今素直に、そう思うんです。
23歳、起業を目論む新社会人、
『MOTHER』のサントラを聴きながら、
発売日をゆったりと待ちたいと思います。
(スナフシン)

僕が初めて遊んだのはMOTHER2のほうです。
小学生の頃、毎日学校から帰ると
ワクワクしながら冒険していました。
何を思ったのか、いつでも弟が横に座り、
黙ったまま画面を見つめていたのを覚えています。
ムーンサイドから一刻も早く立ち去りたい、
そんな怖い思いをしたのも今ではいい想い出です。
陰ながら応援してくれているパパ、
お家に帰れば
大好きなハンバーグを作ってくれるママ、
少しでも力になろうとしてくれるトレーシー、
大冒険の途中で出会ったたくさんの仲間たち、
みんな大好きです!
ネスが気を失ったときに見た回想シーン、
思わず潤んでしまいました。
そういえばゲームには全く無関心だった母が
唯一関心を寄せたのもMOTHER2でした。
後ろで洗いものをしていた母から突然
「やさしい感じの音楽やな。なんていうゲーム?」
って言われたとは驚きました。
そんなMOTHER2での思い出は一生の宝物です!
6月20日を心待ちにしています。
(ヒラカワ ユウゾウ)

あなたの、『MOTHER』の気持ち。を読んで。
はじめまして、皆さんの気持ちを読んで
いてもたってもいられなくてメールしました。
自分は、『MOTHER』未プレイです。
発売された頃、ゲームが出来る環境にあったのですが、
たぶん、他にやってるゲームがあったとか、
RPGを終わらせられない
(主人公と旅をしているのが気持ちよくて、
 エンディングが見られない)性分なので、
手を出すのを控えていたんだとか、
そういう理由があったんだと思います。
でもずっと、『MOTHER』について語る
知り合いの誰もが、『MOTHER』を良いゲームだ、
オススメだ、と言うので、
ずっとプレイしてみたかったんです。
そして、発売の知らせと、
ほぼ日での、「『MOTHER』の気持ち」。
興味があったので読みました。
みんなの素敵なメールに涙が出ました。
パソコンの前で泣いたのは私だけじゃないはずです。
みんなの中にこんなに素敵に、
印象深く残っているゲームがあることが、
とても嬉しいのです。
早く私も仲間入りしたいなって思いました。
発売日、『MOTHER』を買いに行きます。
気に入ったら、きっと、長く長くプレイしちゃって、
きちんとエンディングを見られるかわからないけど、
それはそれで旅が楽しいってことだと思います。
楽しみです。
(ガミ子)

2003-04-29-TUE

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