『MOTHER』の音楽は鬼だった。
鈴木慶一×田中宏和×糸井重里、いまさら語る。

第7回
「『MOTHER2』音楽工場」


僕は「MOTHER2」ほど
音楽が素晴らしいゲームを他に知りません。
新しい音楽を早く聴きたくてゲームを進めていました。
そしてエンディングで涙しました。
思い出してる今も泣きそうです。
(シド)

MOTHER2以外に、
夜の街の不気味さ不思議さを表現できているゲームは
他にありません。
あんなに明るい曲が鳴る戦闘シーンがあるゲームを
他に知りません。
音量をミュートにしてプレイしたくなったゲームは
他に存在しません。
(知恵のリンゴ)

BGMをサントラに、
小学生の頃いっしょにプレーしていた妹と
皆さんのメールを読んでいます。
「サマーズ大好きだったなー」
「ひしょちのジェラードにはマジでよだれがたれたよね」
などと思い出話をしつつ、
みんなにこんなに幸せをふりまいているこのゲームに
出会えて、ホントよかったなー!
って感謝のきもちです。
今かかってるエンディングの曲とか、もう泣きそう・・・。
(21歳学生、みたま)



── 『MOTHER2』の音楽をつくるときも
基本的には前作と同じやりかたで?
糸井 うん。いっそう拍車がかかる感じですよね。
もう、相手ができる人だってことを
信じ切ってやれるから、
注文の出し方もふざけてできるんだよね。
だから、例えばホテルの音楽なんかさ、
『オリーブの首飾り』を入れ込んでくれとか。
サマーズは避暑地だから、「バカラック入れてくれ」とか。
意味わかんないけど、ぼくの勝手な想像を、
ひょいひょい入れてもらってた。
鈴木 それを受けて、私とひろかっちゃんは
二人で、今度は、糸井さんのオフィスで、机並べて、
どんどんどんどんつくっていった。
もう、音楽工房というか、ファクトリーだったね。
作曲家やプログラミングする人も二人ほど、
加わったし。
金津くんとかね、音色提供してもらったり。
田中 最初の頃は、僕と慶一さんの他に
金津さんとか上野くんとかに、
いろいろ手伝ってもらいましたね。
で、最終的には慶一さんとすりあわせして
糸井さんへプレゼンするみたいな流れで。
糸井 そんな感じだったね。
『MOTHER2』はね、
ふたりができたものを持ってくるとき、
表情が、ぜんぜん違うのよ。
ちょっと得意そうに持ってくるんだよ(笑)。
鈴木 『MOTHER2』のときは、
つくるシステムや環境も進化したからね。
田中 そうですね。
パソコンのOSもMS−DOSからUNIXへ。
音楽の機材もいろいろ増えました。
── 『MOTHER2』は
ハードがスーパーファミコンになりましたし。
鈴木 音色が増えたんだ。
田中 でも8音(笑)。
鈴木 でもさ、3音から8音って、大きなことだよ。
しかもステレオ。
糸井 おっきいよねえ。
鈴木 それと、私がおくればせながら
シーケンサーを使えるようになって、
作ったデータを、特殊な読み取りかたで
PCに取り込めるようになった。
それも大きかったんじゃないかな。
糸井 あ、データのやり取りで、アレを使うんだよね。
いまでは懐かしい──。
なんだっけ?あの、ちゃっちい皿……。
鈴木 フロッピー、フロッピー(笑)。
糸井 フロッピー(笑)!
ドクター中松の自慢のタネ。
鈴木 ドクター中松さんって、フロッピーの、
どこかのパーツの部分に
関わっただけじゃないのかなあ。
未確認情報だけどね。
で、そのころ使ってたのは、
Performerってソフトなんだけど、
ひろかっちゃんは、
そのソフトからスーファミの音に
変換するツールをつくっちゃったんだ。
「つくりましたよ!」って、
すごくうれしそうに言ってたのをおぼえてるよ。
やったー、と思ったね、
時期でいうと、半分終わったくらいかな。
でも、おかげで、家で作って
フロッピー持ってくるわって言えるようになった。
ファクトリーに通い詰めなくてよくなった。
超ミニ・シリコン・ヴァレーな感じ、
酔うね、環境に。
糸井 この人、そういうの好きだから(笑)。
田中 (笑)
鈴木 それですごく作業が楽になったんだよ。
要するに、それまでは
口伝えか譜面化しないと伝わらなかったものが、
データでやり取りできるようになったわけだから。
確実だし。
ただ、まだフロッピーを手渡し時代。
糸井 ひろかっちゃんが、そういう、
作業環境の改善にかけた時間っていうのは、
けっこう大きいよね。
田中 うん、なんか、
ゲームが最初イメージしていたものより
どんどん広がっていったんで、それにともなって
曲も量産していかないと駄目だったし……
時間短縮や作業効率をあげるため、
いろいろツールが増えて行きましたね。
鈴木 うん。そのへんの手間暇はすごいと思うよ。
みんなが寝てるか、飲んでる間に。
田中 でも、最後はけっきょく手作業なんですよね。
変換作業なんかは楽になったけど、
最終的には手作業(笑)。
── スーパーファミコンになって
スペックがあがったってことは、
田中さんの手作業も倍増したんじゃないですか?
田中 なんか、1年半くらいずっと、
モニターの前に座ってたような印象がある(笑)。
だって、全体をチェックするために、
準備してる曲きくだけで
朝10時から始めて、
終わるのが午後3時なんですよね。
デモ聴くだけで(笑)!
ちょっと休憩してご飯を食べて。
チェックするだけで5、6時間かかるの、
マジで(笑)。
糸井 すごいねえ(笑)。
鈴木 とにかく、『MOTHER2』のときは
機械のように大量に作曲したんだよね。
もう、どんどん。
「どこに使うかわかんないけど、
 とりあえず作ろう!」って感じで。
ハイだったなあ。
田中 朝から晩まで、
来る日も来る日も『MOTHER』。
最後は実機で遊んで、
音楽をチェックしないといけないし。
鈴木 とくに、『MOTHER2』のときは、
開発チームと同じ場所にいたからさ。
前作のときは自宅にこもってたわけじゃない?
それがみんなと同じ場所、
同じフロアーにいるとになると、
意欲が湧くというか、燃えるんですよ。
だって現場にいるわけだから。
マッサージ椅子で、よく寝てたけど、私は。
── みんなの熱気を感じて、声を聞いて、
どんどんつくるんですね。
鈴木 そうそうそう。
で、全体を整えていくのが、
ひろかっちゃんなの。
彼は私と違って、ゲーム全体を見てるから。
彼の頭の中では、つくるものが
マッピングされてるわけ。プロデューサー。
そんななかで、私は闇雲につくるわけ(笑)。
闇雲音楽家。これは新鮮だったね。
普段は自分がプロデューサーの時代で、
この時はひろかっちゃんにお任せだから。
糸井 『MOTHER2』は、
できることが増えて、そのぶんだけ、
苦労も増えたっていう感じなんだよね。
鈴木 そう。できることが増えたから、こっちも、
「あ、それができるなら、これもできるよね?」
ってひろかっちゃんに頼んだりするわけ。
「ステレオでこういうふうに」とかさ。
そのぶん、苦労も増えていくわけだ。
田中 そうですね。でも、おもしろさでいえば、
断然おもしろくなりましたよ。
糸井 ああ、そういうふうに言ってくれると
なんだかうれしいね。
『MOTHER2』って、
制作にかなり時間がかかりましたよね?
いまだからこそ訊けるけど、
それって、音楽には負担にならなかった?
田中 ならなかったです。
── おお、断言(笑)。
糸井 ほんとに、大丈夫だったですか?
田中 ほんと、ぜんぜん、大丈夫でしたよ。
糸井 ……田中さんは、ほかのことまで
心配してくれてたからね。
「このままじゃできへん!」とか。
なんかことばではそう言わなかったけど、
もっと男になれ!みたいな喝を入れてたよ。
鈴木 そうそうそうそう(笑)。
裏エグゼクティヴ。
彼は、全体を俯瞰してたし、
読みもあっただろうしね。
糸井 ありがたいことです。
でも、当時の危うさを思い出すと、
いまでも怖い(笑)。
いちばん苦しい時期には、うなされたりしてたもん。
ちんちんも、半分になっていたような気がする。
一同 (笑)



どこかクレイジーな、どこか普通じゃない、
MOTHERの音楽。

2にハマった当時、サントラが出ている事
も知らずに(というか出てないと思っていた)
どうしてないんだ、なら作ろう自分達で、と
友達と二人でオリジナルサントラを作ったのを想いだします。
スーファミをMDにつないで何時間も・・・。
僕は提案ばかりして、友達がほとんど作ったんですが、
110分におけるそのMDは今も僕らの宝物です。
心の中の。

最近、サントラが出てる事を知り
ショックを受けましたが・・・(苦笑
やっぱしMOTHER、僕の友達。

糸井さんはじめ、製作者の方には本当に感謝します。
エピソードなんか聞いてても、胸にきます。

ゲームをプレイした人、それとなく見ただけの人、
製作した人、そして作った人、
み〜んなが「MOTHER」に対してズバっと感じる気持ちの
根本は同じ種類のような気がします。

どこからか胸にクゥ〜〜っとくる
この気持ち。
文章では伝わらないのがほんと残念です!
(Satoshi)

(続きます!)

2003-06-06-FRI

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