糸井 |
「仕事しててよかったな」って、
しみじみ感じるような仕事だったね。
「ああ、ちゃんと伝わってたんだ」って
10年も経ってから思えてさ。
うん、よかったなぁ。 |
鈴木 |
私の場合、ちょうどあの時期は
ムーンライダーズってバンドが、
1986年の「DON'T TRUST OVER THIRTY」発表後、
5年間にわたって活動を停止してた時期なんだ。 |
糸井 |
あー、そっか。それは運もよかったね。 |
鈴木 |
うん。ソロアルバムをつくろうとしてて、
でも、それが状況的、環境的に
うまくいかなくて頓挫中で。
「ああ、どうしようかな」ってときだった。
それですごく没頭できたっていうのもあるし、
自分としても、あそこでなんかね、変わったんだ。
それまでは、「依頼される仕事」っていうのかな、
コマーシャルの音楽とかやってたわけです。
どちらかというと、日々の仕事として
やってたんだけど、
『MOTHER』を経験したことでさ、
ちゃんと職能を意識して、
長期のプロジェクトとしてしっかり認識して、
仕事できるようになったという感じがあった。
ま、好き勝手にやりつつも、頼んだ人の考えを、
しっかり汲み取るというのかな?
1曲つくればいいんだ、じゃないという、ね。 |
糸井 |
うん、チームプレーですよね、ほんとに。 |
鈴木 |
うん。いいチームって、
問題点を相談して解決できるでしょ。 |
糸井 |
そうなんだよな……。
あの、まえにこの取材をひとりで受けたとき、
「やり残したことはありますか?」
って訊かれたのね。で、オレ、
「ない」って言えるような気がしたんだよね。
そんな仕事って、あんまりないよねえ。 |
鈴木 |
うん。私も、やり残したことはないな。
なんか、私の場合、音楽の蓄積は、
あそこでいったん吐き出した感じがある。
だって、録り終わったときにさ、
ムーンライダーズのメンバーの
岡田徹がこれを聞いてさ、
「もうソロアルバムをつくったも同然だよ。
だから、そろそろムーンライダーズやろうよ」
って言ってきて、それで、
ムーンライダーズの活動を
再開することになったんだもの。 |
糸井 |
へえーーー。 |
鈴木 |
私が歌ってるのは部分的にしかないけど、
なんか、その、作った感覚はね、
やっぱりソロアルバムなんだよ。
超おおげさにいえば、
ブライアン・ウィルソンが
ビーチ・ボーイズを使って
『ペット・サウンズ』から
『スマイル』をつくったときのようなね、
そんな思い込みがあるなあ。
いろんな人が関わってるけど、
プロデューサーでやり切ったぞっていう
感じがすごい強かったね。
そんなもん、なかなかないよ。
その後も、そのまえも、いくつかあるけど、
初の「たくさんの人間と関わってやり終わった!」
っていう仕事だったね。しかも多国籍の。 |
糸井 |
まじめな話、
ちゃんと伝わってくるわ、その話は。 |
── |
田中さんは、
「やり残したことはないですか?」って
訊かれたら、どう答えますか? |
田中 |
ないです、ないです。
というか、やり残すとか、
やり残さないとかっていう感覚が、
そもそもないですね(笑)。 |
糸井 |
「そもそもない」(笑)。 |
鈴木 |
その気持ちわかるな。
なんというか、出し切り、出し切り、で、
つぎの日に移るんだよね。
私も、これは溜めておいてっていう感覚は
はなからない。 |
── |
だからこそ、やり残してない、と。 |
糸井 |
10年近く経って、いろんな人から
『MOTHER』の思い出を聞きますよね。
そのときに、なんか、自分がつくったものの
話のように聞こえないんだよ。
「いいじゃん、それ!」って思えるんだ。
自分のやったことを突き放して、
ユーザーといっしょに喜べちゃうのって
ある種、ぼくの才能かもしれないけど(笑)。
「いいじゃん、俺!」っていう感覚は、
好きだなー。 |
鈴木 |
私も、最近1枚目のアルバムを
久々に聴いたんだけど、
「いいじゃん、これ!」って(笑)。 |
糸井 |
思うでしょう(笑)?
それ、自分と関係ないんだよね。 |
鈴木 |
そうそう。自分で、やり残し感がないから、
「ん、気になるなあ、ここが」
とかがまったくない。
もはや、リスナーとして聞ける。 |
── |
いい仕事だったんですねえ。
|