vol.196
- Sunanokage 4
●映画を撮る人‥‥
──『砂の影』その4

©2008タキ・コーポレーション/エキスプレス
ユーロスペースにて絶賛上映中!
□「映画とは、スクリーンに映る儚い影」
シネマトグラファー
たむらまさきさんの最終回です。
最近は、フィルムに触ることなく、
映画制作を学ぶ人も増えている、
そんなデジタル化が進む時代。
カメラ製造中止が発表され、
8mmの歴史が幕を閉じようとしている時代。
今あえて8mmで映画を撮ることの意味は、
なんでしょう‥‥。
映画を見つめ直すという行為において、
私はとても深い意味があるように思えます。
そうそう、御法川修監督の
『世界はときどき美しい』も8mm撮影でしたね。
8mmで特徴的なのは、
フィルムの粒子のあらさや特有のノイズ、
それに、音。
その、音なんですけど、
8mm撮影ではシャッター音がするために
同時録音はとても無理。ということで、
『砂の影』ではどうしたかというと、
ロケ地の馬喰横山のとあるビルで、
シーンの撮影はビルの上の階でやり、
セリフの録音は、そのビルの地下に、
稽古場のようなスタジオを作って、
そこで同じ芝居をもう一度やり、
音だけを録音したのだそう。
そこにもまた興味深い物語があるようです。
『砂の影』整音/効果、菊池信之さんの
録音秘話はこちらを読んでみてください。
『砂の影』で使用した
8mmカメラ、フィルムについても、
『砂の影』ブログに詳しく載っています。
とてもおもしろいのでチェックしてみてください。
今回は、『砂の影』制作/配給会社、
スローラーナーの四方智子さんも交えて、
たむらさんに『砂の影』の秘話を伺いました。

シネマトグラファーたむらまさきさん
─── 甲斐田監督とは、今回が初めてなのですね。
『すべては夜からはじまる』は、
不思議なニュアンスのある映画でしたが。
『砂の影』の話が来たときは、
どんなふうに感じられたんですか。
たむら 実は、僕はそのころ全然仕事が無くて、
あちこち声かけてたんです。
越川(道夫)くんもその1人だったんですね。
ゴールデン街じゃなくて、
電話でハローワークやってたんです(笑)。
そしたらこういう企画で、
8mmでやりたいって言うから、
「え~! 8mm~!?」って。
─── ちょっとどうしようかって‥‥?
たむら そういうふうに遊ぶんだったら、
今のDVカメラの方がよっぽど遊べますよ、
機能がいろいろあるから、って言って。
─── そんなことおっしゃったんですか!
(フィルムじゃないと映画じゃない
と言う、たむらさんだったのに‥‥。)
たむら 一旦、そう言ったんです。
それで次の日だったか、コダックあたりから
情報をとってみたんだよね。
8mmフィルムが今もあるのかどうか、とか。
もう無くなったって聞いてたからね。
そしたら、ちゃんとあることがわかって、
そうか、じゃあ、8mmでやってみようかと。
それでもう一度、越川くんに連絡して、
「8mmでやろう!」って言った。
で、ハローワークは成り立ったわけ(笑)。
─── めでたく成立だったですね。
四方 ほんとにいいタイミングだったんですよ。
たむら そうだったんだね、本当に。
四方 去年の2月ぐらい、
ちょうどこの企画もそろそろ具体化していこう
というときに、ほんとにたまたま、
たむらさんから電話をいただいて、
それを聞いた越川(プロデューサー)が、
「たむらさんだ!」って。
─── 運命の出逢いが‥‥!
たむら これまで「呑もうか」って
電話したことはあったけど、
「仕事ないか」って電話したのは、
今回初めてでしょう(笑)。
─── いいですよね~。そうやって、
たむらさんが若い人と一緒にやろうと
おっしゃることが、いいですよね。
たむら まあ、今回「やってみなさい」と
プロデューサーから言われたわけです。
─── 甲斐田監督としては、
ベテランのたむらさんとやるのは、
びっくりだったのでは‥‥?
たむら 迷惑かけたかな、監督には‥‥。
若い監督は、僕みたいなのとは、
やりにくいもんなのか‥‥、
よくわかりません。
四方 私は普段、映画の宣伝をしているので、
そんなに制作現場を見ることは無いんですけど、
それでも、今回の現場は異質な感じでした。
─── 異質ですか‥‥?
四方 本番にフィルムの音がするというのが‥‥、
8mmの場合シャッター音がすごくするので。
たむら そうですね。
8mmカメラは同時録音のことを
しっかり考えてはいないんだなとわかった。
スイッチを入れるとカメラが回りますよね。
するとフィルムを走らせるノイズが出るんですね。
今の16mmでも、35mmのカメラでも、
極力ノイズが出ないような、
そういうつくりになってますけど、
それは同録をするものであるという
前提になってますからね。
─── 8mmの場合はノイズが避けられない。
たむら そう、8mmはしっかり考えられていなかった。
─── そういうわずらわしさみたいなのは
撮影の時には感じましたか。
音が出るから気を遣ったとか。
たむら そのことは、録音の方に任せてしまったんです。
音をどうするかということは。
でも俳優たちは、そのノイズが聞こえることで、
逆に緊張するというか、快感が生まれると、
撮られてるんだと感じるとも言ってたけど‥‥。
─── それで、すごいことをやってたんですね。
たむら 全編、アフレコみたいなことしてましたね。
録音の人たちは‥‥。

─── 伺ったら、役者は録音のために、
同じ芝居を、場所を代えて、
同じ状況(動き)でやってたのですってね。
たむら でも、そんなことは以前はけっこうあったんです。
今でこそ、映画というと
“同録”というのがあたり前で。
カメラもそれ用のを使うし、同録以外のことを
大抵は考えないんじゃないかな。
以前は、撮影所では、
アフレコはあたり前だったけど。
巷の我々が作る映画は、大抵予算が少なくて、
いまでも同じなんですけど、
同録できるカメラは、レンタル料が
高かったんです。
同録できないノイズの出るカメラも
もちろんあって、これは安いから、
大抵はそれで撮ってたんです、かつては。
─── ではたむらさんにとっては、
今回も、それほど苦痛な状況では
なかったんですね。
たむら うん、とくには。
ただアフレコなんかをしないと
いけないんだろうな、大変だな、
ということは感じてました。
昔は、そういう時どうしたかというと、
なぜか日本では「オンリー」というんですね。
「オンリー録り」っていうんです。
どういうことかというと、
今あるショットを撮影しました、
で、すぐ、こんどは録音部のマイクだけが、
いちばんいい位置にちゃんと近づけて、
今と同じアクションで同じセリフを
繰り返してもらうんです。
厳密に言ったら、それは神業でない限り、
ズレるはずですけど、ほとんど問題にならないか、
ないしは、ちょっとしたズレは調整で直すんです。
─── 編集されるんですね‥…。
たむら そう。ですから、同時録音みたいに見えるし、
聴こえるわけです。
そういうことをけっこうやってたし、
むしろそれがあたり前だったんです。
ここだけはそうはいかないという時だけ、
同録できるカメラを借りてきて、とか、
1本の映画につき、1、2回はあるわけです。
─── なるほど。
たむら いま同録があたり前になって、
同録でしか撮らない状況というのは、
ほんと言うと、音声としては
不便だと思いますけどね。
マイクの動きが制約されるわけですから。
ようするに、音声もしっかり録りたいわけですね。
だけど、カメラの、
そのショットの引き方によっては、
マイクが被写体に近づけないとか、
いろいろあるわけ。
だから、相対的に大きくなるまわりのノイズを
止めてもらうために
制作部がどれだけ苦労してるかとか、
いろいろあるんですよね。
─── 少し前に観たフランス映画で、
スクリーンの上部にチラチラと、
ずっとマイクが写ってるのがあって、
びっくりして、終ってから係の人に
聞いたことがあります。
最初、ギャグかと思ったんですけど、
そうじゃなくてマジメな映画で、
おかげでマイクの位置を確認することが
できたわけですけど(笑)。
たむら あらら、どうしたんでしょう(笑)。
僕も時々、うっかりして、
画面にマイクが写っちゃったりすること
あるんですけど、
それは必ずトリミングさせられます。
プロデューサーが許さないですから。
別な方法で消すこともあるんですけど、
それはちょっとお金がかかるんです(笑)。
ですから仕方なくトリムするんです。
そういうこと、時々ありますね。
─── あるんですね、たむらさんでも。
たむら それは失敗です、そういうのは。
でも今のことはもしかしたら、
スクリーンの比率が、
1:1.66(ヨーロピアンビスタ)と、
1:1.85(アメリカンビスタ)があるので、
その間違いがあったのかもしれない。
アメリカ比率で撮ってあるのを、
ユーロ比率で上映してしまったとか‥‥。
─── その可能性はありますね。
結局、日本公開されなかった映画でしたけども。
映画美学校のトークのときに、
たむらさんがおっしゃってた言葉で、
「映画とはスクリーンに映る儚い影である」
と話されて、心に響きました。
たむら 『砂の影』に限らず、
映画は影ですからね。
画の影と、その間の闇との対話で、
観る側は想像していくんですね。
2次元の画から、3次元を、
そしてさらに時間を伴うから4次元を。
過ぎたショットと、
いま観てるショットとの関連を
どんどん感じながら観てる。
そういうことを観る人はしますね。
先まで読むかもしれないし、
それはストーリーの先ということではなく、
何かを感じてて‥‥。
─── “パラレル感”みたいなことですね。
たむら それを感じさせるのが映画ですね。
でもそれを言う人はどうもあまりいなくて、
あまりにもあたり前だからなのかな。
大林(宣彦)さん、
それから亡くなった佐藤真さんは言ってましたね。
おわり。
第2回のところでたむらさんが、
「三角形の頂点に監督がいるとは限らない」
と話してくださってたように、
監督、撮影、音声、照明、俳優‥‥、
それぞれの役割に全力を尽くしつつ、
他との関係や距離をいつも感知している。
音声とカメラの仕事のことを聞いてると、
そんな力の尽くし方が伝わってきて、
おもしろいな~とつくづく思いました。
変なのですが、
このごろやたら日本蕎麦が食べたくて‥‥。
あ、もしかしたら、
『砂の影』の江口のり子さんが、
暑い季節にクーラーもなく扇風機だけの、
扇風機がなかったらもしかしたら、
空気が完全に静止しているようなアパートで、
黙々とお蕎麦を茹でていた、
その後ろ姿のせいかもしれません。
それほどに、
たむらさんが撮る江口さんの後ろ姿、
菊地さんが録るおそばを茹でる音、
なんとも言えず、ソソラレます。
うまく説明できませんが、
とても食べたくなり、とても生きたくなる
そんなシーンです。
『砂の影』は、生と死のはざまで漂う、
不思議な空間、不思議な次元を感じさせる
映画ですが、このお蕎麦のシーンには、
なんともセクシーな、
生命力を感じずにはいられませんでした。
「映画とはなんですか」という疑問を
たむらさんに導かれて考えてきました。
かなり奥へと、核心へと迫ったと思うと、
また遠のいて行く、果てしない宇宙のようです。
これからも“黒い部分”に夢を馳せつつ、
“砂(粒子)の影”のなかに彷徨う旅を、
つづけていけるといいなあと思います。
上の大林監督のところにリンクを張った
「レトロ通販」サイトに
大林監督のこんな言葉が!
「フィルムのヒトコマとヒトコマの間には、
──闇がある。‥‥
その闇を信じる力、
──想像力が映画を創る。」
あなたにとっては、映画とは何でしょうか。
★『砂の影』
Special thanks to cinematographer Masaki Tamura
and Satoko Shikata(Slow Learner).
All rights reserved.
Written and photo by (福嶋真砂代)
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