糸井 |
ちょっと話題を変えて、
野口さんの個人史を聞きながら、
そもそも、どういう人が
ピーチ・ジョンを作ったのか、
を知りたいんだけど、いいでしょうか。
|
野口 |
はい。
そもそもは、19歳の時に上京したんですよ。
広告の仕事みたいなことをしたいと思って、
仙台から、東京に来たんですけど。 |
糸井 |
ほんとは、広告屋になるつもりだったの? |
野口 |
と言うか、田舎者なので、
いろんなことが、わからなかったんです。
・・・あ、いま言ったこと、意味わかりますか?
つまり、広告の仕事と言っても、
何の仕事なのかもわからないくらいでした。 |
糸井 |
わかるよ。
放送局も広告も、
上京前の気持ちとしては、
同じなんだよね? |
野口 |
そうなんです。
高校生の時から、
夜間は美術学校に通っていて
ずっと絵の勉強はしていたし
絵を描くのがすごく好きだったから、
「イラストレーターになろうかな」
みたいに、思ってたんですけどね。
「でも、スタイリストとかも、やってみたいし」
なんて。 |
糸井 |
「そんなようなところ」
なら、どこでもよかったんだね。 |
野口 |
そうそう。
わからないけど、
東京で、クリエイターみたいなことを
やりたいなあと思って、来たんですけど、
東京の中身も、よくわからない。
青山あたりにはブティックがあるけど、
出版というと神田だと言うし・・・。
広告業界のメインも、何もわからなかった。
だからまあ、アルバイトとかしてたんです。
デザイン事務所を友達に紹介されて、
そこに入ったんですよ。
リンダとは、そこで知りあいまして。 |
糸井 |
ただ絵が好きだというだけで、入ったの? |
野口 |
美大を受けようと思ったんですけど、
浪人中に、東京、来ちゃったんですよ。
現役の時は、芸大を受けたんですけど、
ぜんぜんだめで。 |
糸井 |
へえ。
高校生の時は、どんな子だったの? |
野口 |
授業中に先生の似顔絵ばっかり描いてましたね。
あのまま続けてたら、山藤章二さんとか、
南伸坊さんみたいになれるかもしれないぐらい、
絵ばっかり、描いていました。
こないだ、友達に見せられて
びっくりしたんだけど、卒業文集の時に、
クラス全員の似顔絵を、わたしが描いたみたいなの。 |
佐藤 |
確かに、絵、うまいですよ。
ほんとにうまいし、似てる絵を描くんです。 |
糸井 |
じゃあ、その時は、
「絵で食っていこうかな」
みたいなつもりだったんだ。 |
野口 |
でも、イナカモンって、
ほんとにそういうところ、わからないんだ。
専門的には、なれないんですよ。
例えば、医者になりたいと言っても、
脳外科に行きたいとか皮膚科だとか、
いろいろ分かれているじゃないですか。
でも、イナカモンだから、医者になりたい、
それだけなんです、わたしの場合は。
細かいことが、わからないんですよ。
だから、デザインの勉強をしたいと思っても、
かなり漠然としていて。 |
糸井 |
レストランで
「ワインちょうだい」
とだけ、言うようなもんね。 |
野口 |
そうそう。
絵を描くのが、ほんとに好きだったから、
それをやれればいいのかな、と思ったり。
「でもファッションも好きだしな」
「『アンアン』の編集部も入りたいな」
・・・わたし、漠然としすぎだ! |
糸井 |
(笑) |