野口 |
たまたま、そこの会社に、
ナガイさんというADがいたんですけど、
その時、何歳だっけ? |
佐藤 |
26歳か27歳。
わたしと同い年だったんですよ。 |
糸井 |
その時、野口さんが19歳とかでしょ。 |
野口 |
はい、そのくらいです。
その人は、わたしを最初から
かわいがってくれたんです。 |
糸井 |
そんな会社の中にも、
そういう人が、ちゃんといたんだ。
よかったねえ。 |
野口 |
その人とリンダだけが、
かわいがってくれたんです。
なんでか知らないけど、
すごく目をかけてくれて、
近いうちにナガイさんが独立する時にも、
呼んでくれることになっていました。
ミカ坊と言われてたんだけど、
「ミカ坊、アシスタントで
ついてきてくれる?」
って、プロポーズされてて。 |
佐藤 |
そうだったよね(泣)。 |
野口 |
すごく大事にしてくれて、
お金がない時とか、
ごはんごちそうしてくれた。 |
糸井 |
あなたの話って、
「ホロリもの」が多いね。 |
野口 |
(笑)そうですか?
そんなこと言ったら、
この話は、そのあと
もっと泣けるんですけど。 |
糸井 |
え? どうぞ。 |
野口 |
……え? わたしが言うの? |
佐藤 |
じゃあ言います。
……死んじゃったんです。 |
糸井 |
え? |
佐藤 |
JALの123便が、
御巣鷹山に落ちたじゃないですか。
あの時に、坂本九さんたちと一緒に、
ナガイくん、
あちらの世界にいっちゃったんです。
大阪の会社のカタログをつくっていて、
ナガイくんもわたしも、
月の半分くらいは、
大阪に行ったりしていて。
その会社は大阪にも事務所があって、
彼は関西に住みながら、
東京と行ったり来たりしていたんです。
たまたま夏休みでこちらに来ていて、
いつもは、朝の便で帰るのに、
なぜかその日だけ、夕方に帰った。
飛行機が落ちて、
彼がいなくなって、
ミカちゃんもわたしも、
永遠に彼と一緒に仕事することが
できなくなっちゃった。 |
糸井 |
まだ、そこに勤めている時? |
野口 |
わたしはその会社をやめて、
2カ月か3カ月ぐらい、経った時かな。 |
糸井 |
日航機の事故、夏だったよね。 |
佐藤 |
夏です。
8月12日でした。 |
糸井 |
じゃあ野口さんは、
逆算すると、5月ぐらいの、
人が会社を辞めそうな時期にやめたんだ。 |
野口 |
あまりにも麻のスーツ着てる人に、
いろいろ言われたので。 |
糸井 |
かなわんなと思ったんだ? |
野口 |
ほんとに、
なんでこんなことまで
毎日言われなきゃならないんだろう?って。 |
糸井 |
でも、辞めた時は、
まだ、絵を描くつもりだったんだよね。 |
野口 |
ナガイさんから、
「君はイラストレーターになって
食べていったほうがいい」
と、言われて。 |
糸井 |
さっきのアートディレクターの人から。 |
野口 |
「イラストレーターなんか、
家で仕事できる」
って言ってくれて、
仕事の取りかた、やりかた、
請求書の書きかたから
細かいことも含めて、
ぜんぶ教えてくれたんです。
仕事を紹介してくれたりもしました。
それで、
「独立したら一緒にきてくれる?」
とずっと言われてたのも、うれしかった。 |
佐藤 |
その時に、ナガイくんが
ミカちゃんに教えたことが、
そのあとの仕事の基本でしょう。
撮影にも一緒に入っていたから。
何年かあと、ミカちゃんは通販をやり、
最初のカタログをひとりでつくっちゃう、
という、偉業を成しとげました。
その時のことがなかったら、
カタログのつくりかたなんて、
わからなかったでしょ? |
野口 |
ぜんぶ、ナガイさんが、
やりかたを教えてくれて。 |
糸井 |
なるほど。
「じゃあ、ナガイさんのぶんまで
がんばらなきゃ」
みたいな、少年漫画っぽい話だね。 |
野口 |
そうなんです。
昔って、写植だったから、
レタリングとかも
やってたじゃないですか?
実は、彼が使ってたレタリング辞典を、
今でも持ってるんです。 |
糸井 |
ホロリとさせるねえ。 |