糸井 |
歌舞伎町の頃は、
佐藤さんと野口さんのふたりは、
会っていなかったんですか?
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佐藤 |
はい、ぜんぜん。
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野口 |
ナガイさんが亡くなったあとに、
会ったきりだったよね。
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佐藤 |
飛行機が落ちてしまって、
ナガイくんが見つかるまでのあいだに、
飯田橋のエドモントホテルに、
会社の人たちが、みんな詰めていたんです。
そこに行ったら、
ミカちゃんが来まして、そこで会って。
そのあとに、ナガイくんが確認されて、
お葬式で会いました。
それがひさしぶりの再会で。
わたしはずっと、
同じ仕事しかしていないけど、
ミカちゃんが何をしているのかは、
その時、知らなかった。
しばらくしたら、ミカちゃんから、
ポンとカタログが送られてきて。
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野口 |
カタログを送ったのが、
24歳ぐらいの時だったかな。
21歳の時に今のダンナの会社に行ったあと、
消息も不明になっている状態だったから。
中途半端なぺーぺーのまま、
会社を辞めちゃって。
ナガイさんとリンダは、とても
わたしをかわいがってくれたのに。
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糸井 |
結婚したとたんに
カタログができたわけじゃないので、
ちょっと、話を戻させてもらうけど、
ダンナの会社に入るきっかけは?
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野口 |
たまたま、
わたしが、デザイン事務所にいた
という話をしていたこともあって、
「今までは、ひとの会社に
間借りをしていたけど、ようやく、
事務所を借りられるくらいの
利益が取れそうなんだ。
女のコをひとり欲しいんだけど、
はたらいてくれないかな?」
と言われまして、
「いいっすよ」って入った。
「一人だし気楽でいいや、
このおじさん、無口で優しいし」
と思っちゃって。
たくさん食べさせてくれるし(笑)。
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糸井 |
それじゃ、就職案内じゃない?
ダンナは野口さんのことを好きだったの?
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野口 |
興味があったんでしょうねぇ。
その時わたしが21歳で、彼が36歳でした。
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糸井 |
何人の会社ですか?
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野口 |
ふたりですよ。彼と私と。
事務所も、
前にそこを使っていた人の荷物を
3万円位でそのまま買ってたし、
電話も1個しかないし、みたいな、ほんとに。
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糸井 |
ガレージだね、アメリカで言う。
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野口 |
彼は、最初から自分で
通販していたのではなかったんです。
商品を通販会社に企画して
卸売りをする業者をやってたんですよ。
通販商品は、やはり一般の商品と違うので、
「通販ならでは」の売りが必要なんですね。
売り方を含めて
商品を企画して卸す業者をやっていて、
それが落ち着いたのが、彼が独立して1年目で、
そこで事務所を構えることになったみたいです。
1986年ですね。
その年の秋ぐらいから、
「事務所を開いている人は、
とりあえず、FAXを買おう」
という流行があって、
1986年って、よく覚えています。
それまでは、FAXが珍しかったから。
1ドルは260円の時代でした。
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糸井 |
ああ、こう、日本中が、
わさわさと景気のよくなってきた時代ですね。
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野口 |
ワープロも現れてきましたよね。
わたし、ワープロを事務所で買う前に、
どういうものか試してみなければ
わからないということで、
知りあいの会社から借りてきましたよね、
自転車に乗って(笑)。
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糸井 |
(笑)
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野口 |
その会社の人、
いろんな会社にワープロを貸していて(笑)。
そんな時代でした。
「手で書いたほうが早いよ」
って言われてたけど、
「コピー取ったら、
そのまま通販の商品取扱説明書になるんだから、
あったほうがいいんじゃないですか」
と、100回くらいお願いして事務所に買った。
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糸井 |
まだ、「ですます」だったんだね、その時は。
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