胸から伝わるっ。
ピーチ・ジョンがふくらんでいく物語。

第15回 「来る?」っていうから「いいっすよ」。


糸井 歌舞伎町の頃は、
佐藤さんと野口さんのふたりは、
会っていなかったんですか?
佐藤 はい、ぜんぜん。
野口 ナガイさんが亡くなったあとに、
会ったきりだったよね。
佐藤 飛行機が落ちてしまって、
ナガイくんが見つかるまでのあいだに、
飯田橋のエドモントホテルに、
会社の人たちが、みんな詰めていたんです。

そこに行ったら、
ミカちゃんが来まして、そこで会って。
そのあとに、ナガイくんが確認されて、
お葬式で会いました。
それがひさしぶりの再会で。

わたしはずっと、
同じ仕事しかしていないけど、
ミカちゃんが何をしているのかは、
その時、知らなかった。

しばらくしたら、ミカちゃんから、
ポンとカタログが送られてきて。
野口 カタログを送ったのが、
24歳ぐらいの時だったかな。
21歳の時に今のダンナの会社に行ったあと、
消息も不明になっている状態だったから。

中途半端なぺーぺーのまま、
会社を辞めちゃって。

ナガイさんとリンダは、とても
わたしをかわいがってくれたのに。
糸井 結婚したとたんに
カタログができたわけじゃないので、
ちょっと、話を戻させてもらうけど、
ダンナの会社に入るきっかけは?
野口 たまたま、
わたしが、デザイン事務所にいた
という話をしていたこともあって、
「今までは、ひとの会社に
 間借りをしていたけど、ようやく、
 事務所を借りられるくらいの
 利益が取れそうなんだ。
 女のコをひとり欲しいんだけど、
 はたらいてくれないかな?」
と言われまして、
「いいっすよ」って入った。

「一人だし気楽でいいや、
 このおじさん、無口で優しいし」
と思っちゃって。
たくさん食べさせてくれるし(笑)。
糸井 それじゃ、就職案内じゃない?
ダンナは野口さんのことを好きだったの?
野口 興味があったんでしょうねぇ。
その時わたしが21歳で、彼が36歳でした。
糸井 何人の会社ですか?
野口 ふたりですよ。彼と私と。

事務所も、
前にそこを使っていた人の荷物を
3万円位でそのまま買ってたし、
電話も1個しかないし、みたいな、ほんとに。
糸井 ガレージだね、アメリカで言う。
野口 彼は、最初から自分で
通販していたのではなかったんです。

商品を通販会社に企画して
卸売りをする業者をやってたんですよ。
通販商品は、やはり一般の商品と違うので、
「通販ならでは」の売りが必要なんですね。

売り方を含めて
商品を企画して卸す業者をやっていて、
それが落ち着いたのが、彼が独立して1年目で、
そこで事務所を構えることになったみたいです。
1986年ですね。

その年の秋ぐらいから、
「事務所を開いている人は、
 とりあえず、FAXを買おう」
という流行があって、
1986年って、よく覚えています。
それまでは、FAXが珍しかったから。
1ドルは260円の時代でした。
糸井 ああ、こう、日本中が、
わさわさと景気のよくなってきた時代ですね。
野口 ワープロも現れてきましたよね。
わたし、ワープロを事務所で買う前に、
どういうものか試してみなければ
わからないということで、
知りあいの会社から借りてきましたよね、
自転車に乗って(笑)。
糸井 (笑)
野口 その会社の人、
いろんな会社にワープロを貸していて(笑)。
そんな時代でした。

「手で書いたほうが早いよ」
って言われてたけど、
「コピー取ったら、
 そのまま通販の商品取扱説明書になるんだから、
 あったほうがいいんじゃないですか」
と、100回くらいお願いして事務所に買った。
糸井 まだ、「ですます」だったんだね、その時は。

(つづきます)

2001-10-16-TUE

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