相田さん、だいじょぶか? 「なんとかスタン方面」からの現場報告。 |
レポート#1 ウズベクのグッド・ビジネスマン 10/23雨 タイのパッボンからエロスを引いて 代わりに食い物屋を入れたような、 けたたましくて生命力に満ち溢れるKLチャイナタウンを 早朝に出発し、静かなる新KL国際空港へ着く。 なぜだかわからないが、僕の知っている限り アジアで一番しずかな空港が新KL国際空港である。 出国手続き、搭乗手続きはともに大変スムーズに終わった。 テロ事件で手続きに時間がかかるといわれていたが、 利用客が減ったせいか成田でもここでも 普段よりもかえって早くすんだように感じる。 僕より先に手続きをすませ、 搭乗口の前に陣取っている若者がいたので話しかけてみる。 色浅黒く、一見してタフな風貌から ただの観光客ではないなと思ったら やはりインドネシアのRakyat Medeka紙の記者で 名はテグー君という。 これからウズベキスタンのテルメにいき、 そこからアフガンに入るそうだ。 ところがよくよく話を聞いてみるとテグー君25歳、 シンガポールに留学して以来、 外国に行くのは初めてだという。 2時間以上飛行機に乗るのも初めてだ。 むろんロシア語は話せない。 連絡用のノートパソコンは 昨日デスクから渡されたばかりで、 どうやって現地からインターネットにアクセスするなどは これから教わるという。 おお、すばらしいではないですか。 さすがはイスラムの大国インドネシア。 適当指数93パーセントのこの僕の上を行く奴がいるとは。 なんだかうれしくなってしまう。 大丈夫か?インドネシア。 もちろん大丈夫である。 本来彼の担当は国内政治であったが その優秀さに白羽の矢を立てられ、 今回めでたくアフガニスタン行きの 大任をまかされることとなったのである。 けっして、他の人間が全員そろって アフガン行きを嫌がったので、 「あいつはまだ独身だし、万が一のことがあっても 我が社のダメージが最も少ない奴だ」 という理由で選ばれたワケではもちろん、ないのだ。 さて、機内は予想どうりのガラガラ状態。 しかし後部の座席は空けてあり、 乗客は前のほうに寄せられていた。 僕の席から一つ置いた隣にはオーストラリア人のスミス氏。 彼は金採掘の専門家で、 これからタジキスタンに商談に行くそうだ。 中央アジアははじめてらしくいろいろと質問をされる。 それを聞きつけたのが前席のカイダロワ・ムアター女史。 タジキスタン出身の女史は、祖国の話となると 口をはさまずにはいられない。 難民救済のNGO活動家で、タシケントで一泊した後 キルギスのビシュケクで講演会があるそうだ。 その後にドゥシャンベに帰るという。 僕が「キルギスへも行くんだ。」言うと、 「それならキルギスにも私の家があるわよ。 娘が管理しているから電話して泊まりに行きなさいよ。」 といって住所と電話番号を教えてくれる。いい人だ。 テグー君は僕の貸したロンリープラネットを読んでいる。 彼の隣に行って覗き込むと、 アフガニスタンのページを開いていて、 「この国の歴史はほんとに複雑だなあ、 それにしてもコリャいい本だ。」 ナドととつぶやきながらも読みふけっている。 ういやつである。 僕も席に戻りなにか読み物はないかと荷物を探ると、 航空券屋さんがくれた書類の中から 外務省危険情報というのが出てきた。 せっかくなので目を通してみる。 爆破事件、誘拐事件、武力衝突などと 物騒なコトバがならんでおり、最後に、 「昼間でも身の回りの安全に十分注意してください」 「宿泊するホテルは安全な場所を選んでください」 等という注意点が書かれてある。 アメリカ資本のシェラトンホテルなどには 泊まるなということであろう。 目立たぬように安めの宿に泊まらねばならないようだ。 まことに残念であるがしかたがない。 そうこうするうちにベルト着用のサインが点灯する。 雲海を抜けると、タシケント空港も雨だった。 テグー君には大使館から迎えがきていて、 「トシ、君はこれからどうするんだい?」と聞く。 「とりあえずタクシーでどっかの宿にむかうさ。」 「それならお友達がたくさん待っているようだよ。」 彼が指差す先、ガラス張りの出口の向こうには、 ウズベク帽子をかぶったたくさんのお友達が 今か今かと僕を待ち受けていた。 お友達候補の中から、ババ・ハンとよばれるとっつあんと アリシェフという男のコンビを選んで車に乗る。 運賃は2500ソム、2ドルちょっとだ。 早速両替の話になった。 この国には3つの通貨レートが存在する。 公式レートとビジネスレート、そして闇レートだ。 大抵の途上国では 公式と闇との2のレートの存在はアタリマエなのだが、 「ホントはこんなもんでしょ」という 3つ目のビジネスレートの存在が、 シルクロード交易の中継地点だった この国の歴史をしのばせる。ような気もする。 空港内での両替は、ビジネスレートによるものだった。 「ビジネスレートは1ドル=980ぐらいだろう、 俺のはそんなもんじゃないぜ、 1040でも1050でも1060でもない、 1070だ」とアリシェフ。 なんだかせこい口上だ。 1100〜1200が妥当な線ときいていたので 「おいおい1200だろう知ってるぜ」と言ってやるが、 「それはいつの話だ、だいたい闇のレートなんだから 毎日変わるに決まってるだろう 俺は良心的な男なんだ信じてくれ」とまことにうるさい。 面倒くさいので、多少はいいかと1100で手を打つ。 するとアリシェフ、 「なかなかやるな、お前は俺と同じぐらい グッドなビジネスマンだ。」 と、どうやらほめてくれているようす。 うーっむ、いやなかんじだ、商売人にほめられる時は ろくなもんじゃない。 まあ同じ年齢のよしみでひとつだまされてやるか。 肝心の宿だが、ムワター女史のお勧めはホテルオルズー。 だがそこは混んでいるらしく部屋の保証は無いという。 そこで、同じ値段(25ドル)で街の中心にあり、 便のよさそうなタシケントホテルに向かう。 アリシェフもお勧めだ。 天井が高くて廊下の長い、 ロシア帝国の遺物といったていのホテルだが、 お湯は良く出た。 部屋を案内してくれたメイドが、 「ところで両替はいかが?」と聞いてくる。 レートを聞くと、「1200よ。」と一言。 そうか、やっぱり僕はおひとよしだ。 外は暗くなり始めていたが、 街の空気を吸ってみたくなったので 小雨の中を散歩に出た。 2ブロックほど歩いたときに警官に呼び止められる。 これがうわさのタカリ警官か、と思ったら なんのことはない、ちゃんと地下道を渡れというだけだ。 それとも 「こいつにはたかる価値もないな」と思われたのか。 つらつら考えながら歩いていると、 突然、『ドカーン』と大音響が響き渡った。 すわ、「爆破テロか?」 いや、単なる交通事故だ。 ひっくり返った車にさっきの巡査が駆け寄ってくる。 幸いたいした怪我人もいないようだ。 事故った奴には悪いが、今日のタシケントは平和だった。 満足して宿に帰り、熱いシャワーを存分に浴びて寝た。 |
2001-11-05-MON
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