相田さん、だいじょぶか?
「なんとかスタン方面」からの現場報告。

レポート#10 スナガワセンセイ、こんにちは。


10/31 晴れ

久しぶりに朝から晴れた。
天気のおかげか今日のバザールは一段と人が出ている。
午後からは日本文化センターに行った。
電話があったら回線を借りて
インターネットにpcをつなげたいなと思ったのだ。
昨日とは違い、生徒が沢山来ていた。
男子生徒もいた。
彼はCIS諸国の日本語スピーチコンクールで優勝した
優秀な学生だ。
今度褒美に日本旅行へ招待されるらしい。
しかし圧倒的に女生徒の方が多い。
みんな流暢な日本語を話すし、頭の回転もよく、
そして可愛い。
なんてこった。
夏の間はその部屋の一角を
ツーリストインフォメーションセンターとして活用し、
日本から観光に来られた方々に助力していたそうである。
それは彼らにとっても
絶好の実地勉強の機会であったのだが、
残念ながらアフガン問題発生以来、
ツーリストは途絶してしまっている。
そこへ僕がひょっこり現れたものだから、
みなさん大変快くお相手してくださる。
ウヒョヒョ。

センターには残念ながら電話はなかったけれども、
ナシーワとローゼという2人の女生徒が
案内してくれると言うので、
一緒にインターネットカフェへ向かった。
裏門から出ようとしたところで、
年配の東洋系の男性が現れた。
「スナガワセンセイ、こんにちは。」と
女性徒たちが挨拶する。
「日本の方ですか、それは今時おめずらしい」
「砂川先生ですか。生徒達からお名前は伺っております。」
久しぶりに日本人の訪問者と行き交われたそうで、
今は忙しいが夕方にでもお話しませんかといってくださる。
4時半に外大の隣にあるアフラシャブホテルのロビーで
待ち合わせることとなった。

3人でインターネットカフェを何軒か回ってみたが、
残念ながら日本語で読み書きできるところは無かった。
一軒で何とか読むことは可能なpcが置いてあったので、
それを利用して久しぶりにメールを読む。
イトイ新聞でこの連載が始まっていた。
約束の時間が来たので、頼もしい通訳2人と分かれて
待ち合わせの場所に向かう。
砂川先生は、ロビーで誰やらと話をしていた。
僕を見つけると
「それでは落ち着いて話せるところへ行きましょうか、
ここのホテルはこれでも4つ星で高いけど
奥に従業員用の安いのがあるんですわ。」と
先にたって案内してくれる。
同席したのはフルカツ君というかつての先生の教え子だ。
今はこのアフラシャブホテルで働いているのだそうだ。

砂川氏は親切にもサマルカンドの主要な遺跡のリストなどを
用意してくださっていた。
しかし僕が、今回それらには興味が無く、
「むしろ前回は見ることにできなかった
市外に出てみたいのです」と話すと
「ほう、それは私も興味深い。
このフルカツの車で明日にでも出かけましょうか」と
交渉をしてくれる。
むろんフルカツくんに車代は謝礼するのだが、
さほどの大金ではない。
気がつけば外は真っ暗、時計の針は7時を回っていた。
ウルマスには夕方には帰る、と言ってあった。
心配しているだろうな。

すでに八時なのに、
ちょうど夕食を食べ始めるところだった。
やっぱり僕を待っていてくれたのだ。
メニューはポロフ。
名物料理なのに、いままで食べてる機会が無かった。
大皿に山と盛られた黄色いサフラン色のごはん。
にんじんが彩りを沿え、羊の肉が上にちりばめられている。
みんなで一つのお皿から食べるのがウズベキスタン流。
女性陣はスプーンで食べているが、
僕はウルマスに習って手づかみで食べる。
うまい。
おかあちゃんの愛情がコメの一粒一粒にしみている。
そして家族と食べるその場の暖かさ。
普段は一緒に食事をしない長男一家もやった来た。
彼は写真嫌いで無口だけど、いい奴なんだ。
お茶だ、肉だと気を使ってくれる。
部屋の片隅に置かれた白黒テレビに、
一瞬爆発のシーンが映り、すぐに天気予報が始まった。
だれもそちらに目を向けるものはいなかった。

食事を終えてくつろいでいると、お客さんがやってきた。
近所に住むおばさんであったが、
その後ろにお供がぞろぞろとついてきていた。
その一人はミーシャと言う名の若い女性で、日本語を話す。
彼女もサマルカンド外語大の学生さんだ。
なんでもミーシャの高校時代の歴史の先生が
そのおばさんの娘さんで、友達に誘われて日本に行き、
地方の工場で働いているのだそうだ。

ところが先日その娘さんから手紙が届いた。
なれない仕事で足はむくみ、夏に行ったものですから、
このところの寒さに着るものもなく震えているとの事。
そこで、お母さんは何枚かの冬着と、
ちょっとした食べ物を詰め合わせて日本に送ろうとした。
ところが郵便局に行くと断られた。
アフガン問題のあおりで日本、アメリカ行きの荷物は
一切の発送が差止められてたのである。
こんなところにまでビンラディン影。


お母さんと、美人の妹さん

なんてこった、この国に来て以来、
あまりに平和なものだからすっかり忘れていたというのに。

お母さんは、心労のあまり血圧が上がり
寝込んでしまっていた。
そこへたまたま、近所に日本人が住んでいると聞きつけて
やってきたというワケだ。
僕が帰る時に、荷物を持っていってもらえないかと
頼みに来たのである。
残念ながら、僕が日本に帰るのはまだまだ先の話だ。
しかしおばさんのすがるような視線と、
その娘さんの子供の姿を目の当たりにして
ほおって置くわけには行かない。
それに、ウルマスを始めとして
さんざんこの国の人間に世話になっている。
恩返しを少しでもしたい。


日本にいる娘さんの子供達

そうだ、イトイ新聞にお願いすれば
何とかなるかもしれない。
「ミーシャ、僕は日本の
 『イトイ新聞』というウエッブサイトに
 インターネットで記事を送っているんだ、
 そこに話をすれば、きっと何とかしてくれる。
 そのオフィスの人はいい人たちだし、
 読者もなんたって、日本人だからね。」
通訳するのも大変だ。
なんたってここいらの家には電話も無いし、
日本は手紙を送って届くのに3週間かかる
遠い国だ。
返事が返ってくるまでは最短で一ヵ月半。
それが地元の人の日本と言う国への体感距離である。
明日なんとかして日本に連絡しておくから心配しないで、
そう話したおいた。
砂川先生にお願いして回線を借りるつもりであった。

編集部注:
この、日本にいる娘さんの件は、解決しております。
みなさまご安心くださいませ。

2001-11-25-SUN

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