相田さん、だいじょぶか?
「なんとかスタン方面」からの現場報告。

レポート#12
道を歩いていた僕の頭に
「トルクメニスタン」というコトバが浮かんだ。


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勤勉で几帳面な日本人の美徳を兼ね備えた砂川氏だが、
実はロマンチストでもある。
大阪で外語大学を卒業した後に、
外資系商社に勤めていた砂川氏は、
50歳ごろから中国の歴史やシルクロードに興味をもち、
ついには定年後、
2年ぐらいは遊学したいと思うようになったそうである。
そして、パックツアーでサマルカンドに来た際に
団体旅行の合間を縫って、
サマルカンド外大の学長に直接交渉をしたそうだ。
学長はすぐに承諾してくれたが、「但し」がつき、
「2年ではなく4年滞在して、勉強するだけではなく
 学生に日本語をぜひ教えてもらいたい」
といわれたのである。
それを受けて、その後一年間
外国人に日本語を教える勉強をした後、
サマルカンドに来てはや3年になるという。

一方、僕はというとこれがまた偶然、
サマルカンドには縁があった。
1993年のある日、道を歩いていた僕の頭に
「トルクメニスタン」というコトバが浮かんだ。
なぜそんなコトバが浮かんだかというと、
当時僕は旅に出ようと思っていて、
世界地図をよく眺めていたからだと思う。
そして家に帰って調べてみるとソコがカザフスタン、
キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタンと連なる
旧ソ連のCIS諸国の一つであることが判明した。
そういうふうにして、
僕はスタンな国々を訪ねてみようと決めたのだった。

さて、決めるたのはよいが実際に旅するには
いくつかの問題があった。
まず、それらの国々は独立したばかりで、
まだ日本には大使館が無かったのである。
つまりはビザが取れない。
なにか方法はないかと人に聞き調べたところ、
「モスクワに行けばそれらの国の
 大使館なり領事館なりがあって、ビザが取れる。」
と教えられた。
そこで僕は、とりあえずロシアのビザだけを持って
モスクワに飛んだのだった。

ところが。
モスクワに着いて、調べておいた各国大使館の電話に
連絡してみたところ、どこもなかなかつながらない。
2カ国だけは何とか人が出てはくれたが、
ロシア語でしか話してくれないのでさっぱり埒があかない。
「とりあえず行ってみるか、
 まあ命まで取られることはあるまい。」
そう思った僕は、航空券売り場に行き、
「CISのどの国でもいい、
 できるだけ早く出発する便を売ってくれ。」
といってチケットを買った。
それがたまたま、サマルカンド行きだったのだ。

さて、サマルカンドに到着した日の
入国審査はどうだったか。
そんなものは無かった。
飛行機のタラップを降りた乗客は、
皆ぞろぞろと歩いて滑走路を横切り、
2階建ての空港ビルを横目で見つつ
その脇のゲートからそのまま出てゆく。
僕もその後ろに続き、一度は外に出たが、
「いくらなんでもこのまま勝手に行ってはまずいだろう。」
そう思って引き返し、空港の建物へ入った。
そこでもパスポートコントロールは行われておらず、、
「今日は入国審査の役人は来ていないから、
 また明日にでも来てくれ。」
そういわれて、僕は町へ放り出されたのだった。
その後ウズベキスタンのビザには
さんざん苦労はさせられたのだが、この日、
まだ夏の気配の残るサマルカンドの夕日の中に見た、
いくつもの笑顔は忘れられない。

そんなお互いの話をしているうちに、
時刻はもう9時近くである。
あわてて砂川宅をおいとまし、外に出てタクシーを拾う。
ところが、運転手にうまく伝えられず、
いつもとは違った場所で降りてしまった。
すっかり地元民のつもりでいたものだから、慢心していた。
それから30分は旧市街の迷宮をさまよってしまった。
やっと、アモルフォス家にたどりつくと、
時刻はすでに10時をまわっていた。
玄関の前に立ち、しばしためらう。
いたずらがばれた時の子供のような気持ちだ。
思い切ってノックすると、
娘のバホデルーニャが扉を開けてくれる。
すまなさそうな顔をして立っている僕を見て、
いたずらっぽく微笑む。
なんとかなりそうだ。

部屋に入ると、ウルマスはもう布団をかぶって寝ている。
タマラ母さんがチャイを持てってをきてくれて、
ウルマスを起す。
さすがにご機嫌斜めだ。
「夕飯の時間だってのにトシがいない。
 心配して、近所を探してみてもいない。
 本当に心配してたんだぞ。」
とてもわかりやすいジェスチャーでそういうので、
こちらは
「インたーネットがプロブレム」
「ウルマスあくばる」などとつぶやきながら、
アラーに祈りをささげるポーズで
お母さんとウルマスに謝る。

そして、夕食に作ってあった
プリヨンカ(羊肉のゆでギョウザのようなもの)が
ショルパやナンとともに出された。
お皿に綺麗に盛り付けてある。
やっぱり明日出発だから、
こんなものを作っておいてくれたんだ。
皮から手作りだからね。食べてみれば、そりゃウマイ。
帰宅が遅れたツミの意識がちょっとイタイ。
忙しいお母さんが丹精こめて一個一個作ってくれた一品。
なんだかちょっと泣けてくる、明日はもう旅立ちだ。

2001-12-03-MON

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