相田さん、だいじょぶか?
「なんとかスタン方面」からの現場報告。

レポート#13 ウズベクでは結婚相手は親が決める

11/3 雨時々曇り

今回の旅で、出立はいつも雨模様だ。
ウルマスと早朝の放牧に行こうと思っていたのだが
中止になった。
2度寝して7時過ぎに起きる。
今日は金曜日だからか、ウルマスは知らないうちに
早々とバザールへ行ってしまった。
僕はのんびりと朝のお茶をし、出発の支度をする。
8時過ぎに荷物を持ってバザールへ向かう。
運良く雨は止んでいる。
今日から一週間学校が休みなので、
朝から子供達は道でサッカーなどをしている。

せっかくウルマスに挨拶してゆくつもりだったのに、
ナン売り場に行くと娘がいて
「ウルマスは家へ帰った。」という。
僕を見送るつもりだったのだろう、
行き違ってしまったようだ。
残念だがしょうがない。
いずれにせよ帰りにはもう一度会える。


バザールのサモサ売り


ウルマスの代りを務める娘

ナン売り場のミンナに挨拶して、
待ち合わせの場所に向かった。
フルカツ君とビビハニムの前で落ち合い、
ブハラへ向けて出発する。
彼の友人が明日ブハラで結婚式を挙げるので
乗せていってもらう事にしたのだ。
フルカツ君は30歳で2児の父である。
「君と奥さんとはどこで出会ったんだい。」
「ウズベクでは結婚相手はだいたい親が決めますね。
 お父さんかな。」
「へーそうなの。どういう仕組みなんだい。
 全然知らない人と決められちゃったりするの?」
「もともとその家族の存在を知ってる場合が多いですね。
 遠い親戚とか、知人の知人とか。
 僕の場合は父の会社の同僚の娘さんでした。
 部署も違い特に仲が良かったわけではないのですが、
 父がその娘さんを何かので見かけて気に入って、
 調査した結果も良くって。」
「身上調査もするんだ。」
「それは必ずしますね。かなり詳しく調べますよ。」
「人種とかも関係あるの、タジクとかウズベクとか。」
「それはほとんど無いですね。家柄とか経済状態とか
 本人の経歴ですよ。」
「ふーん、じゃあそこで問題なければ
 その先はどうするの?」
「代理人を立ててプレゼントを贈るんですよ。
 それを受け取れば結婚を受け入れたことになるし、
 もしイヤならば手をつけずに帰ってもらうわけです。」
「じゃあ娘さんの意思で断る場合もあるんだ。」
「もちろんそういうばあいもあります。
 ところで日本ではどうなんですか?」
「今の日本では当人同士で決める場合が多いよ。
 自由恋愛結婚ていうのかな。
 でも『お見合い』ていうシステムもあって
 一昔まえまではコッチが主流だったんだ。」
「何ですか?お見合いって。」
「『仲人さん』てのがいてね、たいてい中年の女性で
 イロンナトコに情報を持っている人で、
 その人が組み合わせを考えて話を進めるんだ。」
「あ、それはフェルガナ渓谷だ。
 フェルガナではそれとまったく同じ方法で
 結婚が決まります。」
フェルガナといえば日本では拉致事件で知られた地名だが、
ウズベクの人口の3割以上が住む
農産物の実り豊かな地域である。
それにしてもコタツといい
床に布団を敷いて寝るところといい、
日本人として親しみを感じる習慣が多い。


ブハラへの風景

また降り出した小雨の中をアルト・チコは
西へ向かってひた走る。
行く手には一面に広がる綿花畑や小麦畑といった
単調な風景が続く。
時おり過ぎる村々の家並みは、
市街地で見たような白壁ではなく
土色の日干しレンガ造りだ。
「ここいらのひとたちは、家って自分で作るの?」
「それはそうですよ、だって簡単ですから。
 二階建て作るのは少し難しいけど
 一階建てなら誰でもつくれますよ。」
「そうかあ、土にわら混ぜて日に干して固めて、
 それを積み上げるだけだもんね。」
「もっと簡単なのもありますよ。ほら、あの家とか。」
車をとめて、そのモットカンタンナノを観察にいった。
「ほらね、80センチぐらいまで土を盛って
 ぐるりと壁を作っちゃうんですよ。
 それを4、5日ほっておいて
 乾いたらその上にまた重ねる。
 3回やると十分な高さの壁ができるから、
 後は屋根を葺くだけです。」

たしかにメチャメチャ簡単な作りである。
しかもエコロジカル。
家を建てるのに何十年かのローンを抱えなくてはならない
ドコカの国とは大違いだ。
しかし、雨の多い日本でこのヤリカタは通用しない。
すぐ溶けてしまう。
なにかいい方法はないかなあ、
この日干し煉瓦を重ねる建築方法には
どこか昔懐かしいものを感じるんだけど。

そうだ、子供の頃作ったレゴハウスだ。
プラスチックなら雨には溶けまい。
今の技術なら不燃性、抗菌仕上げのブロックなど
簡単に作れそうだ。
だれか実物大のレゴハウスを
売り出してくれないものだろうか。
ペットボトルをリサイクルしても良いし、
中国工場で大量生産すれば安く上がるはずだ。
これなら僕にも一戸建てが手に入るぞ。

そんなあほなことを考えているうちにも
車はどんどんブハラに向かって走る。
サマルカンドからブハラまでは約300キロ。
チコだと飛ばして4時間の距離であった。
しかし旅費にアルバイト料まで払った強みで
「お、この村ものぞいてみよう。」となんどか停車させ、
そのくせ睡魔がきたらグースカ寝込んでしまった
僕のおかげで昼飯抜きで走ったフルカツ君、
ブハラに着くころにはさすがに疲れた様子である。
「どっかで昼飯くうかい?」
「いいえ、先に宿を探しましょう。」

昔と違い、街の中心にあるリャビハウズの周囲には、
安くて綺麗なプライベートホテルが沢山あるそうだ。
ところが問題はチコの駐車場で、何軒か回ったが
よさそうなホテルにはどこも駐車場が無かった。
「仕方がない、今日はブハラホテルに行きましょうか。
 僕が交渉して負けさせますよ。」
ブハラホテルとは旧ソ連国営旅行社インツーリスト系の
大型ホテルだ。
以前は外国人旅行者は全員そこへ泊まらされたものである。

そしてしかっりもののフルカツ君。
同じホテルマン仲間のよしみで
マネージャーと直接交渉して僕の部屋代は半額、
同室の自分はタダで交渉をまとめた。
ようやく荷物を放り出してレストランに向かう頃、
すでに日はとっぷりと暮れていた。

部屋に帰ってネットに接続をする。
自分のPCをつなげるのはひさしぶりだ。
メールを開くとイトイ新聞からのメールが入っていた。
先日お願いした、
日本で働いている娘さんに至急のヘルプの件である。
なんと、すでにもう衣料品などを発送してくれたという。
信じがたいほどのスバヤイ対応だ。
イトイさんを始めとしてスタッフの皆さんからの
暖かいお心が伝わってくる。
イトイ新聞って、日本人ってすばらしいなあ、と
ひとりで感動した。
サマルカンドのその家には電話がないので、
通訳の学生に早速メールを打つ。
すぐに見てくれれば良いんだけど、、。
この企画をやっていてよかったなとしみじみ思った。

2001-12-06-THU

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