相田さん、だいじょぶか?
「なんとかスタン方面」からの現場報告。

レポート#14
メッカに向かってひれ伏す男達の靴下にあいた穴


11/4 快晴

歯を磨いて部屋に戻ると、フルカツ君がテレビを見ていた。
公園のモニュメントのようなものが映されており、
次に何冊かの本のクローズアップに切り替わった。
「これは何の本なの?」
「アベストブック。3000年以上昔、イスラム以前の
 人々の生活習慣や風俗について書かれた本です。」
「それが何でテレビに?」
「ホレズム地方の州都ウルゲンチで、
 その本の発見された日を祝う
 セレモニーをやるらしいですよ。」
でもなんでウルゲンチかなあ、と
フルカツ君は少々納得がいかない様子。
3000年前の羊飼いはどんな神様に何を祈ったのだろう。
夜空の星に何を見たのだろう。
ぜひ読んでみたいものだ。
まだサマルカンドには出回っていないそうだが、
ウルゲンチに行けば英語版も多分売ってるだろうというし、
やはり砂漠を越えてヒワ・ウルゲンチまで足を伸ばすか。
一冊の本を求めて。

朝食をとりに一階の食堂へ降りた。
「外国人宿泊者はドル払いのところを
 1000ソムにさせました。」
とフルカツ君はまたチョット誇らしげだ。
外国人料金の存在自体がもともとおかしいんだがなあ。
僕らが席についたとき、他に誰も客はいなかった。
ずらりと並んだ白いテーブルクロスがものさびしい。
久しぶりにナイフとフォークを使っての食事。
おいしくてボリュームも十分だった。
食後、チコに乗って
バハウディン・ナクシュバンディ廟へ向かう。


バハウディンのご威光で天気も上々

8年前のイスラム教原体験は2つ。
サマルカンドのシャーヒジンダとブハラのバハウディンだ。
シャーヒジンダでは前回にこんな体験をしていた。

墓守のオジサンに手招きされて、
お茶をご馳走になっていると、
ちょうど祈りの時間になった。
すると12、3歳ぐらいの男の子がアザーンを歌いだした。
アザーンとはイスラム圏では朝晩、
時には一日5回スピーカーから流れてくる
エキゾチックで奇妙な調べのこと、そう思っていた。
ところが、ナマのアザーンは凄かった。
乾燥した空気と、石壁に囲われた狭い空間に
綺麗なボーイソプラノが反響し、渦を巻き、
竜巻となって天に向かって立ち昇った。
まるで目に見えるかのように。
やがて歌い手は青年に代わり、
さらにまた年上の男に交代する。
そのたびに声の質は低くなり、太くなり、
力強さとと優しさを増した。
呆然と聞きほれる僕を誰かが誘い、
いつのまにか僕も祈りの列に加わっていた。
見よう見まねで体を動かす。
ひざまずき、立ち上がり、右に、左に顔を向け、正座して、
全身をアラーに捧げる。
そして聖水で顔を洗うしぐさ。
あらら、わずか数分で僕の魂はクリーニングされた。
格別宗教心もなく、無心で体を動かしただけなのに、
そんなさっぱりとした気分になったのはなぜだろう。
さほど広くない祈りの場なので、僕らの祈りが終わると、
待っていた男達が交代して祈り始めた。
彼らがメッカに向かってひれ伏しているときに、
どの靴下にも穴が開いているのが見えた。
そんな光景が写真に撮りたくなり、
許可を得ようとたずねてみたが、残念ながら断られた。
そしてその祈りが終わる頃に、
十数人の新たなグループが現れた。
全員そろいのダークグレーのイスラム装束で、
男女ともにビシっと決めた一団だ。
マレーシアからの巡礼団らしい。
てんでにボロを身にまとい、そろっているのは
靴下のアナだけ、という地元組は息を飲み、
彼らに祈りのの場を譲った。
ところが、そのみごとなイデタチとは裏腹に
彼らはとっても行儀が悪かった。
片時もビデオを離さず、祈りながら左右天井と
撮影をやめない非常識な輩、
なにもこんなときに鼻毛抜かなくても良いじゃないか、
というケシカランおじさま。
僕の撮影をたしなめたオヤジを横目で見ると、
さすがに苦い顔してたっけ。
帰り道には、水前寺清子の歌、
「ボロはぁ着ててもぉこころぉはぁにしきぃうんにゃ。」
というフレーズが思わずを口をついて出たものだった。

それが僕のイスラム教初体験、そして次が
いま向かっているバハウディンだった。
そこでは約80年ぶりに催された
「バハウディン・ナクシュバンディ生誕875年祭」に
参加させてもらった。
当初、「非イスラム外国人は当日立ち入り禁止」と
いわれたのだが、
その後ジャーナリスト用に車が用意されると聞き、
「私は日本で読者1000万人を持つ新聞と契約している」
といったらそれに乗せてくれた。
むろんウソではない。
洗剤とタオルで誘惑されてハンコをついた契約だけどね。

当日そのバスに乗ったら、
西側ジャーナリストってのは4人しかいなかった。
当時世界の注目を集めていたのはロシアの政情であって、
いまだってそうだが、
ウズベキスタンのイスラム事情なんかに
ニュースバリューはまるでなかったのだからあたりまえだ。
もっとも、イスラム圏からは
各国大使が招待されてきていて、トルコ、イランをはじめ
数カ国からのTVクルーが忙しく働いていた。

さて、話はその翌日。
その日はグッと出席者も少なくなり、
昼食会が用意されていた。
おくれて会場に入ると、
「適当に座って食事してください。」
そういわれ、あいている席に座った。
しばらくして、空いていた僕の右隣の席についたのは
この国で一番偉いムフティだった。
彼には次々に席を立って挨拶にくる人が絶えない。
「座る席を間違えちゃったかな。」と思ったが、
誰も僕を咎めないし、
ムフティ本人も気にする様子がまったくない。
こちらがあきれるほどのそのフランクさ。
「イスラム教ってのは悪いもんじゃないなあ。」
この2つの体験で、
僕は中央アジアでのイスラムに好感を持ったのである。
ちなみにバハウディン生誕日の9/17日は、
くしくもワタクシの誕生日でもある。どうでもいいか。

2001-12-07-FRI

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