相田さん、だいじょぶか?
「なんとかスタン方面」からの現場報告。

レポート#16 「スタンな国」で生きるということ

11/5 晴れ時々曇り

目覚めるとすでに10時過ぎだった。
朝メシにはもう遅い。
デジャルーナヤ(各フロアごとに常駐するメイドさん)に
チャイを頼みに行く。
ちょうど彼女達も食事中で、
「食べていきなさいよ。」と誘われご馳走になる。
部屋に戻りパソコンを開く。
久しぶりなのでちっとも筆が進まない。
一日が終わってしまいそうなので、
そこそこに切り上げて街に出ることにした。


朝食はデジャルーナヤと食べていた。

まずは昼飯をとりにリャビハウズのチャイハナへと向かう。
ホテルの前の広い道路を横切って、
旧市街の迷路を勘を頼りに歩き始めた。
道路を掘り返していたので、
「何の工事だろう。」と立ち止まって見ていたら、
そこにいた男が英語で
「ツーリストか? どこから来た。」と話しかけてきた。
帽子の下の白髪の数からみて多分僕より年上だけど、
背が低くてちょっと丸顔の
にこにこと愛想の良い男だ。
名前はカハラモフ。彼に
「すぐ近くだから俺の家を見てゆかないか。」といわれて、
断るすべはない。
急いでもいないしね。

角を曲がり、20メートルで彼の家に着く。
入り口のドアが古めかしい。
広い中庭を二階建ての家屋が取り囲む。
まず居間に通され、お茶をいただく。
この家に住むのは彼の家族、
お婆さんと奥さん、子供が3人。
それにしてはやけに部屋数が多い。
何の仕事でコンナ大きな家を買うお金を稼いだのだろう。
聞けばなんと彼はバーテンダーで、
イボットの元同僚だった。
16世紀に建てられ、
当時は隊商の宿屋だったろうというこの家に、
以前は6つの家族が住んでいたそうだ。
彼の家族はその一角を借りていたにすぎなかったのだ。
ところが他の住人は皆ロシア人家族で、
次々ロシアに帰ってしまい、部屋がドンドン空いていった。
それを安い値段で一つ一つ買い増ししていったのだそうだ。

部屋の補修は金をかけずに、
彼と奥さんの2人で楽しみながらやっているという。
「ほら、この花の絵を見てくれ美しいだろう。
 この壁はすべて白く塗りつぶしてあったんだよ。
 ミルクを含ませた布で慎重に何度も拭いて
 この絵を取り戻したんだ。」
1519年と建築年月日の書かれた部分も見える。
十分に文化財といえるこの建築の価値は、
残念ながらロシア人家族らには無意味なものだったようだ。
壁一面の飾りだなは埋められたり白く塗りつぶされ、
装飾の施された天井も味気ない板が張られていた。
彼はこの家を出来るだけオリジナルの状態に戻すよう
改装し、ゆくゆくはプライベートホテルにしたいという。

リャビハウズ(水辺、というような意味。
大抵チャイハナがある)まで案内するというので、
一緒に家を出た。
道すがら看板などがかかっていると
「ここはなんなの。」と聞きながら歩く。
「ここは絨毯工場、アフガン人を雇っているところだよ。」
「へえ、今日もやってるの?」
「この工場は休みが多いんだ、今日もしまってるねえ。」
「ここは何、学校?」
「ここはね、ユダヤ人の教会。
 知り合いが番人してるからのぞけるよ。」
「ユダヤ人も結構住んでいるんだ。」
「以前は一万人位住んでいたよ。
 イスラエルへ帰った人が多くてだいぶ減ったけどね。」
「どれぐらいに?」
「いまはもう千人ぐらいしかいないと思う。」
海外にツテのある人間は
この国からどんどん出て行ってしまっている。
経済状況の悪化が最大の原因だ。

リャビハウズで彼と別れた。
僕にとって、ブハラといえばリャビハウズ。
リャビハウズといえばブハラ。
マドラサの前の池を取り囲む巨木、その木陰に席があって
白ヒゲの老人がいかめしい面でチャイをすすり、
ガンコそうな爺どもがゲームに興じる、理想のチャイハナ。
だがそれはもう記憶の中にしかなかった。
チャイハナのキッチンは場所を移され、
レストランも入った二階だてになっていた。
巨木の大半は切り倒されていて、
その替わりにはケバケバしい白と赤のビーニル屋根が。
なんというセンスのなさだ。
がっかり、というよりむしろ腹立たしい。

時間が遅いからか、ずいぶんと席も空いていた。
老人のグループには入りづらく、若者、旅行者は皆無だ。
そこでオヤジ程度の年配者がたむろする席に入り、
遅い昼食を食べた。
ウエイターの若者が少し英語を話すので通訳になってもらい
同席者と話をする。
「以前のほうが雰囲気が良かったと思うんだけど。」と
聞いたが、皆はあまり気にしていないようだ。
巨木が切られたのは残念だったというぐらいだ。
オヤジ達にウオッカを勧められて、断りきれない。
僕はそれほど酒に強いほうではないし、
旅の空では基本的に飲まないが、
こういう場合はそうもいかない。
酔いつぶれないうちにと早々に席を立った。
すでに日は傾いている。
夕焼けに染まる古い町並みをゆっくりと歩いた。


チャイハナにて、ウオッカを勧められている。

夕食は靴作りの職人の家でポロフをご馳走になった。
その家の子供と知り合いになり、つれてゆかれたのだ。
その家の主人、ショキールは僕と同年代だ。
おじいさんから譲られた店があり、
自分で作った靴とみやげ物を販売している。
しかしその商売を継ぐ前は、10年ほど軍隊にいて、
サンクトペテルブルグに長く駐屯していたという。
もちろんソ連軍だ。
よく考えてみればソ連時代は兵役があったのだ。
ということは市場のおっちゃんなんかも、
みな一度は銃を握っていたのか。
いままでそれは考えていなかったな。
勧められるままに口に放り込んだウオッカが腹に染みた。


靴屋のショキール

ホテルに戻るとベッドに倒れこんで一眠りしてしまう。
目覚めるとまたしても11時だ。
酔い覚ましのコーヒーを飲みに地下のバーへ降りた。
「今日は街を歩いたよ。だいぶ変わったね、ブハラも。」
「ひどいもんだろ。」
サマルカンドにくらべて、
工事にかけている費用はだいぶ少ないはずだが、
遺跡と街並みが一体化しているところが
ブハラの魅力だったので、違和感を強く感じてしまう。
その感覚をわかってくれるとはさすがはイボット君である。

「イボット、君も軍隊にいたのかい?」
「もちろん、当然さ。東ドイツに長くいたよ。」
冷戦のなか、
命をさらすような任務にはつかなかったそうだが、
楽しいもんじゃなかったそうだ。
「ところで、カハラモフという男に会った。
 いい奴だったよ。
 君と違って根っからのバーテンダーって感じだけど。」
「カハラモフ? 彼は僕のバーテンダーとしての先生さ。
 いまは隣のホテルでバーを仕切ってる。」
隣のホテルはツアーの客が泊まるから、
チップでもうかるのかな? と聞くと、
いまはそんなに楽じゃないよ、と言う。
テロ事件の前からこの国の経済は
かなり悪化していたらしい。
イボットの大学での給料は7000ソム、
ひと月のナン代にも事欠く額だ。
しかも奥さんが入院中だというから、
経済的にはかなり苦しいだろう。



イボット君

前回は車で街を案内してくれたり、人を紹介してくれた彼に
何のお礼もしなかった。
明日も車を出してくれることになっている。
「今回はガイド料ってことでお金をはらわせてもらうよ。」
「ありがとう、助かるよ。」
何いってんだ友達じゃないか、また明日な。
そう言って部屋に引き上げた。

2001-12-13-THU

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