相田さん、だいじょぶか?
「なんとかスタン方面」からの現場報告。

レポート#17 「アイムアグッドマン」

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イボットは以前と同じロシア製のジグリで迎えに来た。
めだった違いはフロントガラスのヒビワレぐらいだ。
これは別に珍しいことではなく、
こらではタクシーに乗っても
3台に2台は盛大にひび割れがある。
ワレのパターンは豊富で、
基本は稲妻型だがイチョウ型、枝垂れ柳型などがあり、
それぞれに水平、垂直、斜めのパターンがある。
怖いのは全面崩落寸前型と心霊現象的人面型だ。
これを研究して、
その日乗ったタクシーのひび割れで運勢を判断する、
世界初の「ヒビワレ占い師」になろうかと
思ったことすらある。
イボット車は、稲妻型逆傾斜左三分の一ヒネリ。
今日の運勢は晴れのち曇り時々ウオッカと見た。

向かうのは以前に結婚式の写真を撮った
カザフ族のザミール君の家だ。
「スタンドによってガソリン入れてくよ。
 方向が違うけどブハラでまともなガソリン売ってるのは
 そこしかないんだ。」
「1リットルいくらなの?」
「250ソムだ、僕らにはとても高い。
 大学の給料が7000ソムだぜ。」
「あそこで道路工事している人達いるだろ?
 彼らの給料もそれぐらいなのかい。」
「彼らはもっともらうよ、きつい仕事だからな。
 悪いのは医者と学校の先生さ、
 僕も通訳の仕事してたときは良かったよ。
 スペイン、イタリア、アメリカそのときは100ドル。
 日本人とも一緒に働いたよ。」
「JACだっけ?」
「そう、空港の滑走路を作るプロジェクトの通訳だ。
 あの時が一番良かった。
 月に300ドルもらってたからね。」
「それで一昨日あったときに
 僕をそのときの誰かと見間違えたんだ。」
「日本人は面白い、どの国の人とも違ってる。
 あんなに一生懸命に働く人達は他にいないよ。
 普通は2年かかるっていうのを
 9ヶ月で終わらせたんだぜ。
 毎日夜遅くまで働いて、雨が降ってもおかまいなしさ。
 その後、空港ビルの建設をイタリアの会社が請け負って
 彼らとも働いたんだけど、まるでやり方が違ってた。
 イタリア人は楽しいよ、ジョークばっかり言っててさ。
 人生を楽しむって事にかけて彼らは天才だね。
 でも、見ただろ?まだ工事中さ。
 途中まで作ったトコで設計ミスが判ったんで
 解体してまた作り直してる。」
ガソリンを半分ほど入れて車は郊外をめざした。


カザフ族の居留地区を走る。

一時間ほど走って検問のポイントを過ぎると、
舗装された道路からはずれて左に折れた。
だだっ広い荒野の所々に、
ポツリポツリとそれらしき家が見える。
イボットも2年ほど会っていないそうだ。
「たしかあの家だったな。いるといいんだけど。
 少なくともお母さんはいるからね。」
「彼はどんな仕事をしてるんだっけ?」
「羊さ。3000頭ぐらいの羊を放牧しているんだ。
 もっとも彼個人ではなくて会社のだけどね。」
見覚えのあるおんぼろ小屋と土の家。
ユルタは木製の床部分を残して分解されていた。
ドアをノックしたが返事がない。
どうしたものかと思っていると、僕らが来た道を
オートバイが2台こちらへ向かってきた。
彼らは単車の修理屋で、
ザミールと待ち合わせているという。
やがて、道なき荒野を走り来る土煙が見えた。

残念ながらお母さんは買出し、
奥さんは2人目の子供を妊娠中で
姉の家にいっているそうで会えなかったが、
遅ればせながら約束の写真を渡すことが出来た。
少し話をして忙しそうなザミールに別れを告げて
帰路につく。

イボットとザミール

ところが、幹線道路に出る前に、
橋の近くで車が止まってしまった。
「またアクセルの故障だ。
 すまないが応急手当させてくれ。」
車を降りてタバコをふかす。
ふと足元に目をやると地面妙に白っぽい。
簡単な修理を済ませて走りだした車の中で
イボットに聞いてみた。
「ああ、それは塩なんだ。年々降水量が減っていて、
 大地から水分が蒸発する際に上がってくる塩分が
 残ってしまうんだ。」
「へえ、でも川には結構水が流れていたけど。」
「それは川じゃなくて、運河だ。
 塩分を濃く含んだ水を集めてるんだよ。」
答えながらもイボット君は忙しい。
アクセルに結んだヒモを引きながらハンドルを操作し、
時々はギアも入れ替えなきゃならないからだ。
なんとか無事に幹線道路へ出て、
最初に見つけた修理屋に車を入れた。

若い工員は部品を落としたりと修理に手間取り、
ブハラに戻ったのは2時過ぎだった。
入院中の奥さんを見舞わなければならない
イボットと別れて、遅い昼食を取りに街へでる。
リャビハウズに着き、池をまわって
チャイハナに向かっていると英語で話し掛けられた。
「こんにちは、日本からですか?」
Kという名前の30前ぐらいの男だ。悪い奴ではない。
なぜかというと、
自分で「アイムアグッドマン」といってるからだ。
少なくとも、
人をダマセルような男ではない事だけはわかる。
「うちはウズベクのトラディッショナルな作りの
 古い家です。
 一緒に来てワイフの手作り料理で食事をしませんか?
 あなたにとってきっといい体験になります。」
残念ながらそいつは間に合っている。
サマルカンドからコッチ、
外食をするほうが少ないぐらいだ。
そう言って断ったが、彼も必死だ。
ふと思いついて持っていた以前の写真を見せてみた。
すると2人ほどが彼の家の近所に住んでいるという。
「家に寄ってくれたら後で案内しますよ。」
まあ、これも何かの縁かと思い、ついていく事にした。


カザフ族の住まい

リャビハウズから5分ほど歩いた旧市街地に
彼の家はあった。
特に古くもない、こじんまりとした家だ。
子供が2人で迎えてくれた。
居間では奥さんがサモサの皮を打っていた。
お茶を飲みながら、彼が出してきた写真やら手紙を眺める。
そこに日本語のウエッブサイトのコピーが混じっていた。
「K君の家でとても楽しいひと時を過ごした。
 失礼かとは思ったが、豊かには見えない彼の
 心温まるもてなしのせめてものお礼にと、
 25ドルを置いてきた。」
つまりコレを読ませたかったわけだ。
「K君、僕はこんな大金は払えないよ。
 チャイハナでの食事代ぐらいならいいけど、
 さもなければ今すぐ出てゆくよ。」
「い、いや僕は君に楽しんでもらいたいだけなんだよ。
 とにかくサモサでも食べていきなよ。」

アツアツのサモサをいただいて外に出た。
K君はもう先に立って歩いている。
すぐ並び、50メートルほどのところで立ち止まる。
「ここがムザファールの家だよ。」
ノックする。でてきたのは奥さんで、
「アトリエに行っているけど、もう帰る頃だから
 部屋に上がって待っていれば。」
そう言われて中に入る。K君は
「僕は外で待っているから。」となぜか入ってこない。
ムザファールはウズベクでは有名な画家だし、
年齢もずっと上だから居ずらいのだろうか。
お茶を前に、子供が持ってきた彼の画集に目を通す。
ここ数年にイギリスとイタリアで開かれた、
現代抽象画家展のカタログもある。
以前は、
「ソビエト崩壊で絵が売れなくなって
 経済的に困っている。」とこぼしていたが、
いまはもうそんな問題とは無縁のようだ。


ムザファールと奥さん

いつまでもをK君を待たせてもわるいので、
「後でもう一度来ます。」と言い残しておいとました。
次に向かったヤニスの家までは7、8分と少し歩いた。
真っ暗のなかでドアを開けてくれたのは
見覚えのない女の子だった。
すぐにお母さんが出てきて家に招き入れてくれる。
僕のことは良く覚えていてくれた。
にこにこしながら
「あなたが写真を送ると言ってたから
 しょっちゅう郵便受けをのぞいてたのよ。」と言う。
すぐにヤニスも仕事から帰って来た。
今度はK君も一緒にあがり、果物やお菓子の接待を受けた。
「食事はまだか?良かったらと泊まっていったら。」と
歓迎してくれる。
「もう一軒行くところがあるので残念ながら」
と失礼したが、
「明日の夕食にはぜひ来てくれ。」とのお誘いは
喜んでお受けする。
K君も一緒に来ることになった。


ヤニス家にて

K君と別れて僕が戻ったとき、
ムザファールはコーランを読んでいた。
亡くなったお父さんの喪がまだ明けていないのだ。
夕食を食べながら話をした。
前回ムザファールと同じく
「金がない、仕事がない。」と嘆いていたムラトフ氏も、
現在はタシケントの大きなスタジオで
映画を作っているという。
ウズベクに来て景気の悪い話ばかり聞いていたが、
やっと2人ばかり成功している話が聞けて嬉しかった。
明日も顔を出してくれ、と約束させられて家路についた。

2001-12-27-THU

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