安部 |
しかし、なんでハリウッドの俳優たちっていうのは
みな、素敵なんだろう。 |
糸井 |
多分その職業意識が、細かい見えない人のところに
あるんで、見えてる人が油断出来ないんだと思うんですよ。
ハリウッド映画も悪く言ったりする人、
結構多いじゃないですか。
「アメリカ映画っていうのはよー」
って言い方を結構日本人ってするじゃないですか。
ちょっと腹が立つんだけど。
例えば映ってない庭師的な商売、あるじゃないですか、
映画って。犬の調教だとか。
あの人たちが懸命にやっているのを見たら、
役者さんたちは立場としてはどんなに大スター然としてても
「あいつらに鼻をあかせないとギャラになんねーぞ」
っていう危機感があると思うんですよ。 |
安部 |
ありますよ。
日本では野球の世界でも、あるいは僕達の世界でもさ、
競争社会じゃないんだよね。 |
糸井 |
ほんとに、そうですね。 |
安部 |
僕が懲役でてきた時にね、
次の日に見た映画がね『エイリアン』だったんです。 |
糸井 |
ほぉ。 |
安部 |
いまだに覚えてるよ。
シガニー・ウィーバーを見てね、
うわーさすがにアメリカだ、と思ったの。
この大年増がこの映画の主演もらえるんだ、って。
それから、キャシー・ベイツ。
キャシー・ベイツを見て感激したんだ。
あのウエストも何もないオバサンが。
それまでどーやって食べてたかしらないけども、
俳優やって食べてきて、そしてこんなにいい役もらって
見事に演る!
「競争社会」と「甘ったれ社会」の違いだと思う。 |
|
糸井 |
最近面白いなぁと思った本で
『安心社会から信頼社会へ』っていう本があって。
安心ていうのは「村」ですよね。
「この子はそんなことするはずないだろう」とか。
「私が守ってやる」だとか。
「俺の言うことを聞いてれば安心だ」とか。
信頼社会っていうのは「村」同士の交流になるわけで、
そこではなにしてくるかわかんない奴と
とりあえず握手することから始めて、
武器は持ってないよと確認してスタートする。
そういう社会に今ちょうど移行する時期だと思うんですよ、
日本は。しなきゃいけない時期と言った方が
正しいのかもしれないけど。 |
安部 |
小渕も宮沢もそうする気配はないですよ。 |
糸井 |
僕はね、ちょっと小渕さんてね、
実はしている気配を感じる時がある。
アメリカでの演説なんかではね結構強いこと言ってるのに、
顔のせいでそう聞こえないなぁと
思ったりするときがあるんです。 |
安部 |
例えば、長嶋監督は試合の始まる前に若松のとこに行って
「おい、俺たちは最後までペタジーニと松井を
打たせようよ」と、
「もう消化試合だから、うちのピッチャーも
ペタジーニに歩かせない」と。
「だからお前んちのピッチャーもちゃんとやれよ」と。
言うようにならなきゃいけないよね。 |
糸井 |
そうですね。
強い方から言わなきゃダメですよね。
面白いなぁと思うのは、野球みたいにお客さんが
必ず沢山いるスポーツでは今まだあんなだけど、
例えば駅伝の監督の大後さんていう人とお話したときに、
駅伝っていうのはあんまりにも長い距離じゃないですか。
だから、隙が山ほどあるらしいんですよ。
だから、トップ3とか呼んできて
お金で集めたりしなくても、ここんとこをこうすれば
才能のある奴にも勝てるぞ、っていう作戦を
練れるらしいんですよ。だから駅伝は面白いんだって。
大後さんていうひともランナーとしての才能は
不足していた人なんだけど、監督やコーチになったら
神奈川大学をトップにしちゃったわけですよね。
で、すごいなこのセリフはと思ったのが
「レギュラーのメンバーについては
そんなにじっと見ている必要はないんだけど、
レギュラーを取れるか取れないかの人たちが
どれだけ一生懸命やってるかを、
いつでも動機を失わせないように作っていくのが
チームを作る秘訣だ」
っていうわけですよ。
それが頑張ってるとレギュラーの選手が抜かれるっていう
危機感があるんで、黙ってても才能ある奴が
練習するんですって。
アメリカ映画なんか見ていてすごいなと思うのは、
裏方が一生懸命やってるとスターがやらざるをえない。
レベルが違う。職業が違うところでの見えない競争を
しているわけですよね。
俺は負けてもいいからその世界に住みたいって思いますね。
いや、負けたくはないけど。 |
安部 |
例えば、野茂が日本からでていく、伊良部が出ていく、
吉井が出ていく。あれ見てるとね、
期待できる若いもんがまだいるんだな、って思う。
競争社会上等! つって出てくのはね、すごいと思うよ。 |
糸井 |
したいんですよ、みんな。スポーツ選手はね。 |
安部 |
自分の職業に対しての心構えというかね。
例えば、40歳前の若い小説家を見るとね、
「お前はまだ若いんだから、
10年英語かフランス語をやれよ」といいたい。
10年やったら絶対英語かフランス語で
小説が書けるようになる。
そうしたらマーケットは日本の比じゃない。
単行本買ってくれる人なんて、日本には
10万人しかいねぇんだぞ、と。
英語とフランス語。どっちかで小説が書けるように
10年ありゃなれるんだから、なれよと。
俺には持ち時間がないからなれないんだよ。 |
糸井 |
安部さんのデビューって何歳だったんですか? |
安部 |
僕はね、最初に短編小説が雑誌に載ったのがね、
昭和58年の年末だからね、僕が46のとき。
そして、それからずっと経歴が災いして、
みんな危ながって単行本出してくれなくて。
やっと61年の8月に最初の本が出た。 |
糸井 |
単行本が出るまで3年かかってるわけですね。 |
安部 |
2年8ヶ月かかってるね。 |
糸井 |
正確に覚えてるんですね。 |
安部 |
やめようと思ったもん。
トラック買って、長野県からキャベツやレタスを
築地まで運ぶ仕事をしようと思って、
トラックディーラーに電話してる間に
文芸春秋から電話がかかってきたんだ。
本当にタッチの差。 |
糸井 |
2年8ヶ月って正確に覚えてるところが
リアリティですね。 |
安部 |
その間あなた、ただでさえ我慢がきかないのに、
単行本をもってない小説家のみじめさったらないよ。
人に会ってさ、「何してるの?」って聞かれて、
「小説書いてる」って言えば、その次の質問は
100人が100人「なんて本ですか?」だもん。
「そんなもん、まだねぇ」なんて、ねぇ。 |
糸井 |
まだかどうかさえ、言えないんですもんね。 |
安部 |
あんな精神的に苦しかったことないよ。 |
糸井 |
ゼロに戻しちゃうわけですよね。
リセットしちゃうというか。
で、その頃、安部さんの単行本が出てからお会いしたとき、
御自分が「丁稚です」みたいな言い方を
いつもなさってたんで、
「この勇気っていうのはものすごいなぁ」
と思ったんですよ。 |
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安部 |
博奕打ちなら30年やってたことだからともかく、
文章書いて飯食うなんてのはさぁ、
屋根屋の職人でいったら、目地の泥持っていく
みたいなもんでしょう?
15、6年やって最近ですよ、なんていうか
「そろそろ新米じゃあねぇなぁ」なんて思えるのは。 |
糸井 |
15、6年になりますか。 |
安部 |
なっちゃいましたね。
けどね、この映画に携わった人たち、
ライトバンからなにからなにまで、
この映画を作った人たちっていうのは間違いなく
小説家である「瞬間自動うそつき機」の僕より
すごいと思う。
どの分野においても職人ですよ。
昭和12年生まれくらいの僕達の世代っていうのは、
小学校2年の夏休みで戦争が終わるの。
そうすると、まず見た映画は
『ラプソディ・イン・ブルー』さ。
それを見て、こんな音楽があるのかと思うし。
野球を始めたのも小学校2年生の秋からで。
そしたらそれは、「泥棒・巡査」なんかより
ずっと面白いじゃない。
たちまちみんなアメリカン・ボーイよ。
そしたら昭和30年くらいから、
ヨーロッパ文化の方がずっとかぐわしく程度が高い、
ということになって、シャンソンを歌ったり
フランス映画を見たりする連中が増えて。
僕はその波に乗り遅れたのか頑迷だったのか、
ついにこの年に至るまでアメリカン・ボーイなんだ。 |
糸井 |
うん、わかるわかる。 |
安部 |
車の一番いいのはキャデラックだと思ってるしさ(笑)。 |
糸井 |
頑迷とも言えないような(笑)。
(つづく) |