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豪華だぞう!
『アナライズ・ミー』をめぐっての特別対談。
なんとゲストは安部譲二さんだぜ。


日経新聞を購読している人は、一部分お読みになった
かもしれないのですが。
広告タイアップで、安部譲二さんと対談をしたんですよ。
ところが、それ、やっぱり、紙面に限りがあるでしょ。
ほんとにおもしろい無駄話の部分は、
消えてなくなっちゃうわけですよ。

そこで、「ほぼ日」がまたまた地味に水子救出。
横道寄り道だらけの対談を、全文掲載。
安部さんも、「ほぼ日」のことをご存じなかったのですが、
こころよくOKしてくださって、実現です!
ベリーありがとうございました。
(小さい声で)
『安部譲二さん、
こんどはいつか連載小説やってくれないかなぁ・・・』

また、長い対談なので、5回に分けてお届けします。



2

安部 しかし、なんでハリウッドの俳優たちっていうのは
みな、素敵なんだろう。
糸井 多分その職業意識が、細かい見えない人のところに
あるんで、見えてる人が油断出来ないんだと思うんですよ。
ハリウッド映画も悪く言ったりする人、
結構多いじゃないですか。
「アメリカ映画っていうのはよー」
って言い方を結構日本人ってするじゃないですか。
ちょっと腹が立つんだけど。
例えば映ってない庭師的な商売、あるじゃないですか、
映画って。犬の調教だとか。
あの人たちが懸命にやっているのを見たら、
役者さんたちは立場としてはどんなに大スター然としてても
「あいつらに鼻をあかせないとギャラになんねーぞ」
っていう危機感があると思うんですよ。
安部 ありますよ。
日本では野球の世界でも、あるいは僕達の世界でもさ、
競争社会じゃないんだよね。
糸井 ほんとに、そうですね。
安部 僕が懲役でてきた時にね、
次の日に見た映画がね『エイリアン』だったんです。
糸井 ほぉ。
安部 いまだに覚えてるよ。
シガニー・ウィーバーを見てね、
うわーさすがにアメリカだ、と思ったの。
この大年増がこの映画の主演もらえるんだ、って。
それから、キャシー・ベイツ。
キャシー・ベイツを見て感激したんだ。
あのウエストも何もないオバサンが。
それまでどーやって食べてたかしらないけども、
俳優やって食べてきて、そしてこんなにいい役もらって
見事に演る!
「競争社会」と「甘ったれ社会」の違いだと思う。
糸井 最近面白いなぁと思った本で
『安心社会から信頼社会へ』っていう本があって。
安心ていうのは「村」ですよね。
「この子はそんなことするはずないだろう」とか。
「私が守ってやる」だとか。
「俺の言うことを聞いてれば安心だ」とか。
信頼社会っていうのは「村」同士の交流になるわけで、
そこではなにしてくるかわかんない奴と
とりあえず握手することから始めて、
武器は持ってないよと確認してスタートする。
そういう社会に今ちょうど移行する時期だと思うんですよ、
日本は。しなきゃいけない時期と言った方が
正しいのかもしれないけど。
安部 小渕も宮沢もそうする気配はないですよ。
糸井 僕はね、ちょっと小渕さんてね、
実はしている気配を感じる時がある。
アメリカでの演説なんかではね結構強いこと言ってるのに、
顔のせいでそう聞こえないなぁと
思ったりするときがあるんです。
安部 例えば、長嶋監督は試合の始まる前に若松のとこに行って
「おい、俺たちは最後までペタジーニと松井を
 打たせようよ」と、
「もう消化試合だから、うちのピッチャーも
 ペタジーニに歩かせない」と。
「だからお前んちのピッチャーもちゃんとやれよ」と。
言うようにならなきゃいけないよね。
糸井 そうですね。
強い方から言わなきゃダメですよね。
面白いなぁと思うのは、野球みたいにお客さんが
必ず沢山いるスポーツでは今まだあんなだけど、
例えば駅伝の監督の大後さんていう人とお話したときに、
駅伝っていうのはあんまりにも長い距離じゃないですか。
だから、隙が山ほどあるらしいんですよ。
だから、トップ3とか呼んできて
お金で集めたりしなくても、ここんとこをこうすれば
才能のある奴にも勝てるぞ、っていう作戦を
練れるらしいんですよ。だから駅伝は面白いんだって。
大後さんていうひともランナーとしての才能は
不足していた人なんだけど、監督やコーチになったら
神奈川大学をトップにしちゃったわけですよね。

で、すごいなこのセリフはと思ったのが
「レギュラーのメンバーについては
 そんなにじっと見ている必要はないんだけど、
 レギュラーを取れるか取れないかの人たちが
 どれだけ一生懸命やってるかを、
 いつでも動機を失わせないように作っていくのが
 チームを作る秘訣だ」
っていうわけですよ。
それが頑張ってるとレギュラーの選手が抜かれるっていう
危機感があるんで、黙ってても才能ある奴が
練習するんですって。
アメリカ映画なんか見ていてすごいなと思うのは、
裏方が一生懸命やってるとスターがやらざるをえない。
レベルが違う。職業が違うところでの見えない競争を
しているわけですよね。
俺は負けてもいいからその世界に住みたいって思いますね。
いや、負けたくはないけど。
安部 例えば、野茂が日本からでていく、伊良部が出ていく、
吉井が出ていく。あれ見てるとね、
期待できる若いもんがまだいるんだな、って思う。
競争社会上等! つって出てくのはね、すごいと思うよ。
糸井 したいんですよ、みんな。スポーツ選手はね。
安部 自分の職業に対しての心構えというかね。
例えば、40歳前の若い小説家を見るとね、
「お前はまだ若いんだから、
 10年英語かフランス語をやれよ」といいたい。
10年やったら絶対英語かフランス語で
小説が書けるようになる。
そうしたらマーケットは日本の比じゃない。
単行本買ってくれる人なんて、日本には
10万人しかいねぇんだぞ、と。
英語とフランス語。どっちかで小説が書けるように
10年ありゃなれるんだから、なれよと。
俺には持ち時間がないからなれないんだよ。
糸井 安部さんのデビューって何歳だったんですか?
安部 僕はね、最初に短編小説が雑誌に載ったのがね、
昭和58年の年末だからね、僕が46のとき。
そして、それからずっと経歴が災いして、
みんな危ながって単行本出してくれなくて。
やっと61年の8月に最初の本が出た。
糸井 単行本が出るまで3年かかってるわけですね。
安部 2年8ヶ月かかってるね。
糸井 正確に覚えてるんですね。
安部 やめようと思ったもん。
トラック買って、長野県からキャベツやレタスを
築地まで運ぶ仕事をしようと思って、
トラックディーラーに電話してる間に
文芸春秋から電話がかかってきたんだ。
本当にタッチの差。
糸井 2年8ヶ月って正確に覚えてるところが
リアリティですね。
安部 その間あなた、ただでさえ我慢がきかないのに、
単行本をもってない小説家のみじめさったらないよ。
人に会ってさ、「何してるの?」って聞かれて、
「小説書いてる」って言えば、その次の質問は
100人が100人「なんて本ですか?」だもん。
「そんなもん、まだねぇ」なんて、ねぇ。
糸井 まだかどうかさえ、言えないんですもんね。
安部 あんな精神的に苦しかったことないよ。
糸井 ゼロに戻しちゃうわけですよね。
リセットしちゃうというか。
で、その頃、安部さんの単行本が出てからお会いしたとき、
御自分が「丁稚です」みたいな言い方を
いつもなさってたんで、
「この勇気っていうのはものすごいなぁ」
と思ったんですよ。
安部 博奕打ちなら30年やってたことだからともかく、
文章書いて飯食うなんてのはさぁ、
屋根屋の職人でいったら、目地の泥持っていく
みたいなもんでしょう?
15、6年やって最近ですよ、なんていうか
「そろそろ新米じゃあねぇなぁ」なんて思えるのは。
糸井 15、6年になりますか。
安部 なっちゃいましたね。
けどね、この映画に携わった人たち、
ライトバンからなにからなにまで、
この映画を作った人たちっていうのは間違いなく
小説家である「瞬間自動うそつき機」の僕より
すごいと思う。
どの分野においても職人ですよ。
昭和12年生まれくらいの僕達の世代っていうのは、
小学校2年の夏休みで戦争が終わるの。
そうすると、まず見た映画は
『ラプソディ・イン・ブルー』さ。
それを見て、こんな音楽があるのかと思うし。
野球を始めたのも小学校2年生の秋からで。
そしたらそれは、「泥棒・巡査」なんかより
ずっと面白いじゃない。
たちまちみんなアメリカン・ボーイよ。
そしたら昭和30年くらいから、
ヨーロッパ文化の方がずっとかぐわしく程度が高い、
ということになって、シャンソンを歌ったり
フランス映画を見たりする連中が増えて。
僕はその波に乗り遅れたのか頑迷だったのか、
ついにこの年に至るまでアメリカン・ボーイなんだ。
糸井 うん、わかるわかる。
安部 車の一番いいのはキャデラックだと思ってるしさ(笑)。
糸井 頑迷とも言えないような(笑)。

(つづく)

1999-11-10-WED

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