第2回 はじめに「不快」があった


建築家の仕事は、キャンバスをつくっているようなもの、
という話を聞いて思ったんですけれど。
みんなが遊ぶための「遊び道具」のほうを作っている、
というような感じなんでしょうか。

たとえば、
ぼくにとっての理想の道具は、ボールなんです。
道具なんだけど、
用途はよくわからない、なにが生まれるかわからない。
ころがりかたも、地面との関係次第。
予測が、つかない。
だから、自由に無限の遊びが生れる。

そういう仕事をしていたいものだよな、
と、いつからか思うようになっていました。
遊び道具をつくりたい、というのが、
ぼくの仕事の大きな動機のような気がするんです。

青木さんは、なんで、
建築家になったんですか?
発端は、性格だと思うんです。

ちいさいときから、
お正月になると、父親から、
「今年のきみの抱負はなにか」
と、きかれるわけです。
それが、すっごく、イヤで……。
(笑)
そういうことを
いわなくちゃいけないとなると、
お正月のことが、
すごくキライになっちゃいますよね。
(笑)
そこからはじまって、
すべての「儀式」がダメなんですよ。

卒業式。
入学式。
いろいろな儀式に出るのが、苦痛で。
そういうのにいくと、落ちつかない。
わかります。
修学旅行もダメなんです。
集団行動が、できない。
そういうのはことごとくボイコットしてきた。

修学旅行はいかないから、
積立金を返してもらって、
自分の好きなものを買っちゃうとか……。

学校にいくのも、キライ。
集団生活と、儀式がダメ。

音楽が好きであっても、
音楽会にいくというのは、苦痛なんです。
おおぜい、人が、いますでしょう?

クラシックだと、
ちゃんとしたかっこうでいかないといけない。
そういうことが苦手で……
ちいさいころから、
生活している町なり施設なりが、
自分に、合っていないように思えていまして。
意外ですねぇ。そんな人だったのか……。
「自分に合った
 音楽ホールとか、
 家とか、劇場とかいうのは、
 どういうものなんだろうか」

「そういうのがあったらいいけど、
 他の人は、作ってくれないから、
 自分で、こうじゃないだろうか、
 というものを、作ってみたいな」

そういうことが、発端かもしれません。
なるほどなぁ……
いいかたはヘンかもしれませんが、
すべては「不快感」から、
はじまっているかもしれませんね。
そうですね。
「なんで、ないんだろう」
という不快感です。

ただ、本を読んでいると、
昔は、街頭劇というのがあったようで、
ぼくの子どものころにも、
寺山修司がいて、好きだったんですよ。

晴海のほうに芝居を見にいくと、
倉庫みたいなところで、劇をやっている。

「ここで見なさい」が、ない。

まんなかで劇をやっているから、
まわりのどこからでも見ていい。

はじまりにしても、たしか、
前の道の向こうから人が歩いてきて……
どこが舞台か、どこが町並か、わからない。
それは、気にいっていたんですね。
それが、自分にぴったりだ、と思いました。

街頭劇は、
「ここから、はじまりますよ」
というよりは、
おもしろいから、ついつい魅入ってしまう、
という世界でしょう?
これはいいな、と思いました。

そんなふうに、
自分に合うものがあるはずだな、
とは思っていたのですが、
なかなか、なくて……。
その青木さんの考えというのは、
「ある日の自分」に
フィットするものを作ってしまえば、
「次の日の自分」には
フィットしないというぐらいまで、
キツイものですよねぇ……。

無限のワガママというか、
無限の不快感を前提にしているから、
きいてて、まるでダダっ子のようで(笑)。
(笑)そうかもしれませんね。
それだけ、
求める自由というのは、
果てしなくなりますよね。
ええ。

「自分にフィットするものを作りたい」
といっても、建築というのは、自分で
お金を払って作るものではないんです。
みんな、頼まれて作っているものですからね。

だから、自分のワガママでは作れないんです。
そこがまたおもしろくて。
あぁ、そうですねぇ。

する仕事は、真逆ですもんね。
他人の不快を、とりのぞくというか。
そうです。真逆です。
(次回に、つづきます)

2006-05-25-THU


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