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建築家の仕事は、キャンバスをつくっているようなもの、
という話を聞いて思ったんですけれど。
みんなが遊ぶための「遊び道具」のほうを作っている、
というような感じなんでしょうか。
たとえば、
ぼくにとっての理想の道具は、ボールなんです。
道具なんだけど、
用途はよくわからない、なにが生まれるかわからない。
ころがりかたも、地面との関係次第。
予測が、つかない。
だから、自由に無限の遊びが生れる。
そういう仕事をしていたいものだよな、
と、いつからか思うようになっていました。
遊び道具をつくりたい、というのが、
ぼくの仕事の大きな動機のような気がするんです。
青木さんは、なんで、
建築家になったんですか? |
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発端は、性格だと思うんです。
ちいさいときから、
お正月になると、父親から、
「今年のきみの抱負はなにか」
と、きかれるわけです。
それが、すっごく、イヤで……。 |
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そういうことを
いわなくちゃいけないとなると、
お正月のことが、
すごくキライになっちゃいますよね。 |
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そこからはじまって、
すべての「儀式」がダメなんですよ。
卒業式。
入学式。
いろいろな儀式に出るのが、苦痛で。
そういうのにいくと、落ちつかない。 |
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修学旅行もダメなんです。
集団行動が、できない。
そういうのはことごとくボイコットしてきた。
修学旅行はいかないから、
積立金を返してもらって、
自分の好きなものを買っちゃうとか……。
学校にいくのも、キライ。
集団生活と、儀式がダメ。
音楽が好きであっても、
音楽会にいくというのは、苦痛なんです。
おおぜい、人が、いますでしょう?
クラシックだと、
ちゃんとしたかっこうでいかないといけない。
そういうことが苦手で……
ちいさいころから、
生活している町なり施設なりが、
自分に、合っていないように思えていまして。 |
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「自分に合った
音楽ホールとか、
家とか、劇場とかいうのは、
どういうものなんだろうか」
「そういうのがあったらいいけど、
他の人は、作ってくれないから、
自分で、こうじゃないだろうか、
というものを、作ってみたいな」
そういうことが、発端かもしれません。 |
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なるほどなぁ……
いいかたはヘンかもしれませんが、
すべては「不快感」から、
はじまっているかもしれませんね。 |
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そうですね。
「なんで、ないんだろう」
という不快感です。
ただ、本を読んでいると、
昔は、街頭劇というのがあったようで、
ぼくの子どものころにも、
寺山修司がいて、好きだったんですよ。
晴海のほうに芝居を見にいくと、
倉庫みたいなところで、劇をやっている。
「ここで見なさい」が、ない。
まんなかで劇をやっているから、
まわりのどこからでも見ていい。
はじまりにしても、たしか、
前の道の向こうから人が歩いてきて……
どこが舞台か、どこが町並か、わからない。
それは、気にいっていたんですね。
それが、自分にぴったりだ、と思いました。
街頭劇は、
「ここから、はじまりますよ」
というよりは、
おもしろいから、ついつい魅入ってしまう、
という世界でしょう?
これはいいな、と思いました。
そんなふうに、
自分に合うものがあるはずだな、
とは思っていたのですが、
なかなか、なくて……。 |
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その青木さんの考えというのは、
「ある日の自分」に
フィットするものを作ってしまえば、
「次の日の自分」には
フィットしないというぐらいまで、
キツイものですよねぇ……。
無限のワガママというか、
無限の不快感を前提にしているから、
きいてて、まるでダダっ子のようで(笑)。 |
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それだけ、
求める自由というのは、
果てしなくなりますよね。 |
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ええ。
「自分にフィットするものを作りたい」
といっても、建築というのは、自分で
お金を払って作るものではないんです。
みんな、頼まれて作っているものですからね。
だから、自分のワガママでは作れないんです。
そこがまたおもしろくて。 |
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あぁ、そうですねぇ。
する仕事は、真逆ですもんね。
他人の不快を、とりのぞくというか。 |
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(次回に、つづきます)
2006-05-25-THU |