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建築は、
ぼくの好きな家ではなくて、
相手の好きな家を作る仕事です。
自分のワガママには、作れない。
あ……「好き」というと、
語弊があるかもしれない。
糸井さんの家を作るなら、
「糸井さんが
生活をしていて、
気持ちいいと思うこと」
が目標です。
糸井さんの気持ちいいと思うことと、
ぼくが気持ちいいと思うこととは、
絶対に、ちがいます。
おなじじゃない。
だから、悩む。
でも、ひとつずつ、
「このかたの、
気持ちいいと思うことは、
こういうことなんだ」
と、なんとなくわかってくる……。
目の前の人の気持ちよさに
合ったものを作っていくと、
それまで、
自分が気にいらなかったデザインや
気にいらなかった空間が、
なんだか、気にいってくるんですね。 |
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そうすると、
ひとつの家ができあがるころには、
その仕事をはじめたころとは、
だいぶ、自分が、変わっていくわけです。 |
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むしろ、「快」になっている。
そうなれば、
自分でも、たのしくなるんですよね。
というのも……自分が
「これがいいぞ」と思うことをやると、
「がんじがらめ」になっちゃうんです。 |
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「自分は、これがいい」
そればかりだと、
自分に、とじこもってしまう。
途端に、イヤになってしまう。
そこから
抜けだしたいけど、
抜けだすきっかけがない……
そうなりがちだけど、
建築の場合は、
相手がいるからそこがいいんですね。
自分とちがう方向に向かう仕事だから、
できあがった瞬間というのは、
完全に「自由」という感触があります。
それは、すごく、快感なんです。 |
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性善説、性悪説とかいいますけど、
青木さんは、性「不快」説ですね。
なるほどなぁ。
はじめは「不快」だという
そういうやりかただと、どんどん、
「快」が増えていくわけですよね。 |
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ぼくは、
青木さんのことを、
「キゲンよく仕事をされているかた」
と思っていたんですよ。 |
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はい。
自由業には、ほかにも、
医者や弁護士がいますけど、
「人がこまったときに頼むもの」ですよね。
建築家というのは、
「人がたのしいときに頼むもの」ですから、
こちらはエンターテイナーでもあるわけで。
お金を払う人が、
最後までたのしくないなら
そういう家って、作る意味がないですから。
だから、最後まで、たのしく、いかないと。 |
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つまり、
相手の不快に
つっこんでいく勇気も要るし、
当然、思いやりも、必要だし‥‥。 |
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ただ、
これはぼくも含めてですけど、
どの人も、しばられています。
それまで経験した空間から来る
先入観は、なかなかぬぐえない。
「もっと、
こういう場所に住めたらいいのになぁ」
思っていても、
それを言える人は、まずいないわけです。 |
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こういうふうに玄関があって、
こういうふうに居間があって、
お風呂は、こうじゃなくちゃいけないし、
台所は‥‥と、希望は具体的にあるわけです。
でも、そのとおりを実現したら
よろこんでもらえるかというと、ダメなんです。
無意識の不快があるわけで、
「このかたは、
じつはこういうふうに生活をしたいんだな」
というのが見えると、たのしいですよね。 |
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(次回に、つづきます)
2006-05-26-FRI |