第5回 人の業、神の業


「海は、すぐそこにある。
 景色をたのしみたいんだけど、
 海と家のあいだに、
 バイパスのクルマが
 びゅんびゅん通っている……」

そこで
青木さんが見つけた答えは、
どういうものだったんですか?
答えは、
「2階をやめちゃう」でした。
え?
2階が、いちばん、
バイパスのクルマと目が合う場所でした。

3階までいくと、
バイパスは下になるので
3階からは、海がよくながめられる……。

1階は
庭の生活をたのしめばいいわけで、
つまり、1階と3階は、
「そのままでいい」んです。

2階に、問題があるわけですから、
2階をやめちゃえばいい、なしです、と。
うわぁ……。
そういう家は、特殊でしょう?
不思議なものになるわけですけど……
答えをお見せしますね。
今、まず言葉で
「2階がない」ときいといて、
自分のなかでも、想像しておいてから
答えを見るのがたのしいですね。

「2階がない?
 ……きっと、こんな感じかな?」と。
お見せしましょう。
こういうことになりました。
http://www.aokijun.com/ja/works/013
(↑クリックすると
  青木淳さんのインターネットのサイト上で
  「2階をやめちゃった家」が見られますよ!)
あー、コレかぁ!

ぼくは、
2階をうしろに向けるのかと
想像していましたけど、
こういうかたちになったんだ!
矛盾があると
クライアントのかたと、
その問題を解けたのか解けないかを
共有できますでしょう?
そうですね。
「もっといい解きかたは、ないの?」
と言われるだけでも、次に進めますからね。
そうなんです。
矛盾を見つけて
それを解決するというのが、
初歩の建築のやりかたなんです。
なるほどなぁ。

「矛盾を見つける」という
青木さんのそのやりかたは、
ご自分で、どこかの時点で
あ、わかった、というときがあったんですか。
それとも、どこかで、学んだことなのですか。
20世紀の巨匠に
コルビジェっていますでしょう?
コルビジェって人も、そうだったんですよ。

自分で
わざと問題をむずかしくしておいて、
それで解くという……たぶん
それがエスプリということなのでしょう。

コルビジェの仕事を見ていると
それが感じられるから、先人はいましたね。
家を、
「使うもの」
として考えたときに、
矛盾を見つけるやりかたが、
有効なわけですよね。

ぼくは
コルビジェという人を
そんなに知っているわけもないのに、
おおぜい人がいるときに、
自分の仕事を説明するときの例を
よく出していました。

「コルビジェが全盛だったころに
 下品な建物として建てられた
 エンパイア・ステートビルがあります。
 エンパイア・ステートビルは
 今でも残っていて、
 コルビジェは、理論として残っている。
 エンパイア・ステートビルが、
 ぼくらの仕事なんです」と。
まったくそうでしょうね。
神の業と、
人の業があるとすれば、
人の業を
とぎすましていったものがコルビジェで、
エンパイア・ステートビルをつくるのは
「絶対に目立ちたかった成金」ですよね。

そちらの原始的な欲求のほうが、
神の業に近づいていると……

つまり、
「ものには二面性があるのだから、
 どちらも考えないといけなくて、
 マーケティングを気にしすぎると、
 目立たないものになっちゃうよ」
と、伝えるときの例が
コルビジェだったんですね。

ただ、いま、
青木さんに話していただいた
コルビジェの逸話というのは……
ほんとにおもしろいですねぇ!
コルビジェは、
モダニズムでしょう。

それまでのブルジョワ階級とは
ちがうテイストのものをつくるわけです。
ちがうテイストだと、敢えて
つよく伝える必要もあったわけですよね。
ありました。
同時に、
クライアントはブルジョワなんですよ。

そこにすごい矛盾がありまして、
すごいモダンで
アンチ・ブルジョワの
テイストでありながら
「ブルジョワにウケるもの」を
つくらなければならなくて……。
それって、
アートの抱える矛盾にも重なりますよね。

いつの時代も、
「美術なんてぶっこわしちまえ!」
という美術に値段がつきますし。
ええ。
(次回に、つづきます)

2006-05-30-TUE


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