第6回 二面性を持てること


「アンチ・ブルジョワの
 テイストでありながら
 ブルジョワにウケるものを
 つくらなければならなかった」

これは、
コルビジェのかかえた
構造的な矛盾だったわけですね。

そういうなかでやっていたから、
彼のつくったものには
二面性がありました。

モダニズムの建築を追求した、
といわれながら
ブルジョワ向けの住宅をつくっていた
ミース・ファン・デル・ローエも、
そうなんですけどね。

つまり、コルビジェは、
ひとつの建築で
ふたつのことをやれちゃうという
才能があったわけです。
じゃあ、コルビジェという人は、
つくっているもの以上に、
本人は、愉快な人かもしれないですねぇ。
そうでしょうね。
「やった!」
「できた!」
「ユーレイカ!」
そういう、さけびのような、
「ヤマっ気」を感じますよねぇ。
「やった!」と思うこと、
多かったのでしょうね。
青木さんからきく
コルビジェには、
ロジックよりもパッションを感じるなぁ。

青木さんに会わなければ
コルビジェと
パッションを結びつけることを
思いつきもしなかったと思う。
コルビジェという人は
いろいろな言われかたをしますが、
「いろいろな
 言われかたができるだけの人」
でもあるのでしょう。
矛盾を発見する、というのは、
そういうところからも学んだんですね。
コルビジェには
学生時代から興味があったんですけど、
「なんで、おもしろいと思えるんだろう?
 ……きっと、この矛盾を
 解決したからおもしろく思えるのかな」
と、考えていたんです。
青木さんは、こういう建築の話を、
学生さんに伝えることもあるんですか?
なかなか、する機会はありませんね。

なぜかというと……
今は学校で教えていませんけど、
学校で生徒さんに教えるときというのは、
「課題を詰めてゆくこと」になるんです。

「こういう住宅を考えなさい」

それに対する、
学生ひとりひとりの
「こんなの考えてきました」を
批評するというかたちになるんです。

「あなたは、
 そのことでなにをやりたいの?
 ……それをやりたいのなら、
 もうすこし、こういうことを
 すればいいんじゃないのかな」

そんなふうに、一対一で伝えるという。
非常に具体的な教育になるんですね。
はい。
今日、こうして
話しているみたいにすれば、
ひとり、二時間はかかってしまうでしょう?

二十人みるとなると
一日、経っちゃっていますからね……。

だから、ひとりずつみていくとなると、
具体的なことだけを話すことになります。
ぼくが
建築科の学生じゃないから、
そう思うのかもしれないのですが、
今、うかがったような話をきけないのなら、
もったいないなぁとさえ思ってしまいました。

「あのプレイは、よかったねぇ!」

たとえば、野球を観戦しているときには、
ぼくは、そう言える観客でありたいんです。

建築でも、ほかの分野でも、
そういう観客でいられたら、
すごくおもしろがれるんだと思います。

青木さんの
考えの背景を知ることができれば、
建築を見たときに、
拍手をしやすくなるような気がするな、
と感じました
(次回に、つづきます)

2006-05-31-WED


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