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「アンチ・ブルジョワの
テイストでありながら
ブルジョワにウケるものを
つくらなければならなかった」
これは、
コルビジェのかかえた
構造的な矛盾だったわけですね。
そういうなかでやっていたから、
彼のつくったものには
二面性がありました。
モダニズムの建築を追求した、
といわれながら
ブルジョワ向けの住宅をつくっていた
ミース・ファン・デル・ローエも、
そうなんですけどね。
つまり、コルビジェは、
ひとつの建築で
ふたつのことをやれちゃうという
才能があったわけです。 |
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じゃあ、コルビジェという人は、
つくっているもの以上に、
本人は、愉快な人かもしれないですねぇ。 |
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「やった!」
「できた!」
「ユーレイカ!」
そういう、さけびのような、
「ヤマっ気」を感じますよねぇ。 |
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青木さんからきく
コルビジェには、
ロジックよりもパッションを感じるなぁ。
青木さんに会わなければ
コルビジェと
パッションを結びつけることを
思いつきもしなかったと思う。 |
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コルビジェという人は
いろいろな言われかたをしますが、
「いろいろな
言われかたができるだけの人」
でもあるのでしょう。 |
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矛盾を発見する、というのは、
そういうところからも学んだんですね。 |
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コルビジェには
学生時代から興味があったんですけど、
「なんで、おもしろいと思えるんだろう?
……きっと、この矛盾を
解決したからおもしろく思えるのかな」
と、考えていたんです。 |
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青木さんは、こういう建築の話を、
学生さんに伝えることもあるんですか? |
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なかなか、する機会はありませんね。
なぜかというと……
今は学校で教えていませんけど、
学校で生徒さんに教えるときというのは、
「課題を詰めてゆくこと」になるんです。
「こういう住宅を考えなさい」
それに対する、
学生ひとりひとりの
「こんなの考えてきました」を
批評するというかたちになるんです。
「あなたは、
そのことでなにをやりたいの?
……それをやりたいのなら、
もうすこし、こういうことを
すればいいんじゃないのかな」
そんなふうに、一対一で伝えるという。 |
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はい。
今日、こうして
話しているみたいにすれば、
ひとり、二時間はかかってしまうでしょう?
二十人みるとなると
一日、経っちゃっていますからね……。
だから、ひとりずつみていくとなると、
具体的なことだけを話すことになります。 |
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ぼくが
建築科の学生じゃないから、
そう思うのかもしれないのですが、
今、うかがったような話をきけないのなら、
もったいないなぁとさえ思ってしまいました。
「あのプレイは、よかったねぇ!」
たとえば、野球を観戦しているときには、
ぼくは、そう言える観客でありたいんです。
建築でも、ほかの分野でも、
そういう観客でいられたら、
すごくおもしろがれるんだと思います。
青木さんの
考えの背景を知ることができれば、
建築を見たときに、
拍手をしやすくなるような気がするな、
と感じました |
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(次回に、つづきます)
2006-05-31-WED |