|
|
|
|
建築をやっている人たちが、
「あれ、いいな」
と思っている内容は、
いつも、共有できることなんです。
わかりにくい専門用語だけで
話さないようにすれば、建築家が、
いいとか悪いとか思っている内容を
ふつうの人たちに共有することは、
不可能なことではないんですよ。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
そのうちの
ひとつの基準になるのが
「その建物は、
どんな矛盾を解決したのか?」
であったりするわけですから。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
なるほどなぁ。
建築って、
どこかの場所につくるもので、
なにもかもがいい場所なんて、
世の中には、ありゃしないですもんね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
解決すべきことがないなら、
つくらなくていいですもん……。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
(笑)
まぁ、きっと、
あまりにもいい場所は
ほかの人もそう思うだろうから、
ほかの人がもうひとつ、
その場所にちがう建物を
つくる可能性がありますよね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
あ、それはそこで
もう矛盾が生まれていますから、
いい課題になりますよね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
そうですよねぇ。
つまり、
建築というのは、いつも、
「ほんとうに
『快』である状態なんて
ありえないんだ」
という前提のうえで
なりたっているわけですね。
地獄絵図は、いくらでも描かれてきたけど、
天国を想像することは、むずかしいもんなぁ。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
そうなんです。
「不快」を解消することができる、
というぐらいのもので……。
ただし、
「どんな建築家が、いい建築家ですか」
と、たまに正面きって
きかれることもあるじゃないですか。
これは、つらい質問ですよ……。
具体的に、
どういう不快をとりのぞいていくのか、
という方向になら、
こたえやすいわけですけどね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
青木さん、
「どんな建築家が、いい建築家ですか」
に、こたえたことはありますか? |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
うーん……逃げていますね。
こたえるの、無理ですから。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ほんとうは
こたえるのが無理な
質問なんでしょうねぇ……。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ええ。
無理に言おうとすれば、
「そこにいて
フワッとする建築をつくれる人」
というのは、あるとは思います。
もし、言うとするなら、
ぼくはそう言います。
建築というのは、
現実の、限定された空間のなかにあるもので、
そのなかにいるのに、
いつもとちがう感じがするものをつくれたら、
それはかなりおもしろいですから。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
たとえば、
忍者屋敷でもなんでもいいんですけど、
まったくの架空の世界をつくりあげて、
「あ、いつもとちがう!」
……これは、あたりまえ、なんですね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
そうでなくて、
「日常の世界の建物なんだけど、
そこにいると
いつもとちがう気持ちになるなぁ」
というのができたら、
かなり、いいんじゃないでしょうか。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「いつもとちがう」って、建築を、
「建物だけのもの」と考えていたら、
できにくいこと、なのでしょうねぇ……。
交通手段から、周辺環境から、
ぜんぶが、はいっているのでしょうから。
役所の建築でさえも、
きっと、そういう要素が、必要ですよね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
そうだと思います。
生活の空間であるなら、どこでも
「フワッとできること」は貴重ですから。 |
|
|
|
|
|
(次回に、つづきます)
2006-06-01-THU |