第7回 「いい建築家」とは?


建築をやっている人たちが、
「あれ、いいな」
と思っている内容は、
いつも、共有できることなんです。

わかりにくい専門用語だけで
話さないようにすれば、建築家が、
いいとか悪いとか思っている内容を
ふつうの人たちに共有することは、
不可能なことではないんですよ。
それを、ききたいですねぇ!
そのうちの
ひとつの基準になるのが
「その建物は、
 どんな矛盾を解決したのか?」
であったりするわけですから。
なるほどなぁ。

建築って、
どこかの場所につくるもので、
なにもかもがいい場所なんて、
世の中には、ありゃしないですもんね。
あまりにいい場所だと、
設計をしづらいですね。
(笑)
解決すべきことがないなら、
つくらなくていいですもん……。
(笑)

まぁ、きっと、
あまりにもいい場所は
ほかの人もそう思うだろうから、
ほかの人がもうひとつ、
その場所にちがう建物を
つくる可能性がありますよね。
あ、それはそこで
もう矛盾が生まれていますから、
いい課題になりますよね。
そうですよねぇ。

つまり、
建築というのは、いつも、
「ほんとうに
 『快』である状態なんて
 ありえないんだ」
という前提のうえで
なりたっているわけですね。

地獄絵図は、いくらでも描かれてきたけど、
天国を想像することは、むずかしいもんなぁ。
そうなんです。
「不快」を解消することができる、
というぐらいのもので……。

ただし、
「どんな建築家が、いい建築家ですか」
と、たまに正面きって
きかれることもあるじゃないですか。

これは、つらい質問ですよ……。

具体的に、
どういう不快をとりのぞいていくのか、
という方向になら、
こたえやすいわけですけどね。
青木さん、
「どんな建築家が、いい建築家ですか」
に、こたえたことはありますか?
うーん……逃げていますね。
こたえるの、無理ですから。
ほんとうは
こたえるのが無理な
質問なんでしょうねぇ……。
ええ。

無理に言おうとすれば、
「そこにいて
 フワッとする建築をつくれる人」
というのは、あるとは思います。

もし、言うとするなら、
ぼくはそう言います。

建築というのは、
現実の、限定された空間のなかにあるもので、
そのなかにいるのに、
いつもとちがう感じがするものをつくれたら、
それはかなりおもしろいですから。
それは、すばらしいですねぇ!
たとえば、
忍者屋敷でもなんでもいいんですけど、
まったくの架空の世界をつくりあげて、
「あ、いつもとちがう!」
……これは、あたりまえ、なんですね。
(笑)
そうでなくて、
「日常の世界の建物なんだけど、
 そこにいると
 いつもとちがう気持ちになるなぁ」
というのができたら、
かなり、いいんじゃないでしょうか。
「いつもとちがう」って、建築を、
「建物だけのもの」と考えていたら、
できにくいこと、なのでしょうねぇ……。

交通手段から、周辺環境から、
ぜんぶが、はいっているのでしょうから。
役所の建築でさえも、
きっと、そういう要素が、必要ですよね。
そうだと思います。
生活の空間であるなら、どこでも
「フワッとできること」は貴重ですから。
(次回に、つづきます)

2006-06-01-THU


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