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青木さんが
「これが不快だった」と、
平気で「イヤ」と言えるのは、
すてきなことですよね。
仕事の場面では、
それを言えないまま、
「イヤなことでも
やっていればたのしくなるはずだ」
と思いこんで生きている人が、
多すぎるんじゃないかなぁ、
と感じていましたので。
「仕事はイヤでたまらない」
という人も、
それが「遊び」となれば
お金を払って場所を借りてでも
バンドの練習したり、
芝居をしていたり……
そういう場面では、いわゆる
世にいう「苦労」さえも
ひきうける気が、あるわけですよね。
ほんとは、仕事も、
そのぐらいに一生懸命
できるんじゃないかなぁと思うんです。 |
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ぼくの事務所も、
いちおうは、会社なんです。
ただ、ほんとうは
いけないことかもしれませんが、
「利益をあげることは、
ぜんぜん目的ではない」
と思っています。
それよりも、
たのしくやりつづけていたい。
まぁ、ぼくだけがたのしいのであって、
スタッフはどうかという話もありますが(笑)
それにしても、
「たのしいことをやりつづけていながら、
今年も、事務所が倒れないでいられる」
という状態をつくるのは……
これは、じつはたいへんなことですから。
だから、
「たのしいことをやりつづけていながら、
今年も事務所を存続させることができる」
というのが、
うちの事務所の目標なんですね。
ぼくの事務所の雇用は四年制なんですね。
だれもが、四年間しか、いられない。
「四年間、あなたには
『これ、考えて』
『模型をつくって』
と、スタッフとして
はたらいてもらいます。
その期間は、つらいかもしれないけど、
四年すぎて独立したら、
建築の仕事を
すぐにやれるようになっている、
という状態にまでは、
できるだけ教えるようにしますからね。
だから、四年経ったら、別れましょう」
と、言っています。 |
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四年間は、
別れたくない人とも、
別れるようにしているんですか? |
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それで
青木淳という人の
新陳代謝はよくなるんでしょうけど、
具体的に、
いてほしい人がいなくなって
こまることもあるわけですよね? |
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やっぱり!
うわぁ……青木さん、度胸いいなぁ。
青木さんのところで学んだ人たちは、
どこかで、建築をやっているんですよね。 |
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ええ、やっています。
うちの事務所を出た人たちは、
確実に、いいと思いますよ。
出身だからといって、とくに
仕事をあげたりするわけではないんですが、
おもしろいことをしているのを見かけると、
ものすごくうれしい気持ちになるんですよ。 |
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四年間というのは
短い期間ですから、
うちの事務所を出ても、まだ、
三十歳になっていなかったりするんです。
建築の世界では
三十三歳か三十四歳ぐらいまでは
宮仕えのようにひとつところに勤めて、
それから独立という人が多いですからね。
つまり、三十歳前なら、
まだ、余裕があるんです。
だから、自分のしたいことを
している人が、多いですよね。
四年経てば、
かならずさようなら、という
うちの事務所に入るというのも、
勇気が要ることだとは思うんです。
うちの事務所にいるあいだに
子どもが生まれたという人も、
学部を卒業したばかり、という
スタッフのなかからは、出てきていませんし。
ぼくは、
今年、五十歳をむかえるわけで、
四年制でいれかわるスタッフたちとの年齢は、
考えてみれば、
三十歳ちかくの開きが出てきているんですね。 |
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しかも、だんだん、
年齢の開きは、おおきくなりますよね。 |
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そうなんです。
だから、
うれしいと同時につらいところは、
スタッフたちが
「ぼくのわからないことを話すとき」です。
もちろん、
若い人に、それを期待しているわけだし、
一方では、なんでそれをいいと思うのか、
と、半分、怒るわけですけど……
ぼくは、年齢がそんなに離れている意識は
あんまりないんですが、スタッフたちには
すごくそれがあると思うんです。
当然、三十年も年齢がちがっていれば、
生きてきた道がちがうわけですから、
感じかたも考えかたもちがうはずなんです。
だから、
ちがうことを思うはずである、
その、「ちがうこと」の内実を、知りたい。
それがわからないことには、
ぼくも、次のことができない……
そんな気持ちで、仕事をやっているんです。 |
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(次回に、つづきます)
2006-06-02-FRI |