第11回 言葉は、エンジンです


ぼくは、旅行は、好きじゃないんです。
毎日やっている仕事そのものが
ちがうところに
出かけるような感じのものですし、
物理的に旅行するというのは疲れますね。

でも、キライではあるけど、
いく機会があれば、
やはり、得てくるものが多いんです。

旅行って、
「コレは、
 あのときのあの気持ちよさだな」
という記憶を与えてくれて、
それはメモできるようなものではなくて、
「どうしようか」
と、いきづまって考えたときに、
「あ、いま、求めている気持ちのよさって、
 アレだったかもしれないなぁ」
と、思いだすわけです。
それは、もともと、青木さんの目が、
鍛えられているからでもあるのでしょうね。
そういう角度で
見る努力をしたのでしょうね。
その「見る努力」をした時期が
ものすごく蓄積されているんでしょうね。
世界がちがえば、
ちがうものに対して嗅覚がはたらくから、
ものがちがって見えてくるはずなんです。

建築の設計をやろうとすれば、
あるひとつの「もの」の見方を
マスターしないと、
建築をつくることはできないわけです。

うちの事務所にはいった人たちも、
最初のころには、
そういう見方では見ていないですね。

たとえば、
新人としてはいったスタッフに
仕事にいく途中、歩きながら、
「この町、どういう風に思う?」
とききます。

すると、
「たのしい町ですね」とかえってくる……。
建築の世界の見方を身につけた人なら、
たのしいかどうかを
きいているんじゃないと、
そのひとことだけでも、わかるんですね。

「コレがこうだから、
 この町はホコリっぽい印象がある」

「どういう風に思う?」
というひとことでも、現実との
対応関係をどこにどう感じますかと
きいているんですけれども……
つまり、はじめのうちは、
建築の世界の観点では見ていないわけです。

そういうときは仕方がないから、
宿題で、
「こんどの日曜日、
 ココとココとココにいってみて、
 今日の町とのちがいを、
 月曜日に、ぼくに話をしてみて」
と言うんです。

ここで、
「話をしてみる」というのが要ります。

ものをつくるときには
言葉は、けっこう重要なんですよね。
どうしてかというと、
いちど、自分の考えを、
言葉かなにかにおきかえておかないと、
それをもとにして、つくれませんから。

言葉が、エンジンになるんですね。

エンジンというのは、
自分自身に対してもそうなるし、
他人とのコミュニケーションの場面でも
そうなりますし。

自分がなにかを思ったのならば、
思った内容を、
一回、言語化するべきですよね。

「言語化した考えが
 ただしいとすれば、
 こうなるのではないか?」
と、言葉におきかえた時点で、
はじめて、仮説を築けるようになるから。
ぼくは
建築の視点でものを見ることを
訓練してはいないんですけど、どこかで
「自然には、直線はないんだよ」
と、きいたことはあったんですね。

新幹線に乗って外をながめると……
東京からはなれたとたんに、
景色は、曲線だらけになるんです。

「あ、目にするものが
 曲線ばかりになるから、
 東京から離れると、
 気がラクになるのかぁ」

ふだんの東京の生活のなかでは、
ほんとに、身のまわりには、
直線でできた人工物しかないんですね。

「直線から抜けだすだけで、
 こんなに、ラクになるのか」
ということは、
「直線は人工物」という言葉を
知っていたからわかるよろこびだったんです。
ものを知るということは、
快感を、増やしてくれることでもあるわけで。
ええ。
言葉におきかえることで、
ものの見えかたが、
変わってしまうんです。
知らなければ、
見えなかったことですもんねぇ……。
「なんか、
 東京からはなれると、ラクになる」
と、印象では知っていたんですけど。

建築家のかたがたが
それぞれ、蓄積してきた
視点のルールみたいなものは、
もしもそのノウハウが
1冊になるんだとしたら、
おもしろいでしょうねぇ。

そんな本、読みたいですから。

(次回に、つづきます)
(次回に、つづきます)

2006-06-07-WED


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