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From: 糸井 重里
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To: 渡辺 謙 |
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Subject: Re: 梅のこと |
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渡辺謙さま
土曜日の午前に、受信箱のメールを開きました。
前回、ぼくは、
対面のインタビュアーのように、
ひょいと質問を投げかけました。
>「負け」ということを意識した経験がありますか?
> あったとしたら、その「負け」と、
> どうつきあいましたか?
ほんとうに、「ひょい」としか訊けないような
重い質問でもあり、失礼になりかねない質問でした。
さらに、逃げようと思えば、それもできる
という問いでした。
「いくらでもありますよ」と言えば、それはそれで終われます。
映画のなかに、その答えが溶け込んでいたと思いますしね。
わざわざ訊いたのは、渡辺さんのあの映画に対しての
「本気の激流」みたいなものの、
水源に触れてみたいと思ったからだと思います。
うちにいる女優も、さらにぼくも、
渡辺さんの、とてつもなくまっすぐな「本気」に、
よろこんで飛び込んでいるという実感があります。
それは、おそらく、渡辺さんの
「どうしてもこの映画をつくりたい、いい映画にしたい、
みんなに観てもらいたい」
という情熱が、伝わってきているからです。
ぼくは、この『明日の記憶』を、
「負けの先に紡ぎ出されていく夢」の映画だと感じました。
それが、これだけ胸に響いてきたのは、
仕事としての「企画」やら「テーマ」ではなく、
もっと実感として、からだ全部で感じ考えた何かが、
あったからだと思ったのです。
使いにくいことばなのですが、
「たましい」が、
この映画のおおもとにあったと感じたのです。
その「たましい」の育った場所を、教えてください。
というような意味が、あったんでしょうね、自分のなかに。
そんなに軽く訊くもんじゃないよ、と言いたいような
図々しい質問だったと思いますが、
まっすぐにお答えくださって、ありがとうございました。
今回のこの「梅のこと」とタイトルされたメールを
読んでいると、もういちど『明日の記憶』を
観ているような気持ちになりました。
渡辺さんのなかに、ほんとうにあの映画の主人公が
ずっといるのでしょうね。
他人の人生を演じる俳優さんが、
映画の主人公といつまでも混じりあったりしていては
いけないのでしょうが、
こころのどこかに「いつまでも住んでいる」
ということは、ありうることだし、
あってもいいことだという気がします。
いただいたメール、読んでいてしみじみ思っているのですが、
「言葉」と「思い」が、いつでも
ぴたっと重なっているという印象があるのです。
ほんとのことを、そのまま、ていねいに言っている。
だから伝わってくるのです。
「たましい」がしっかと言葉に乗っている、という感じです。
妙な話なのですが、メールを読んで
ちょびちょびと涙がでてきてしまいました。
最初の読者として、妻も読ませてもらいましたが、
泣いてしまいました。
まいった。
このメール交換という思いつきが、おそろしいです。
自分の言葉が、試されているような気さえします。
おかげで、書いてはやめ書いては休み、
ずいぶん時間が経っています。
ぼくはぼくで、佐伯でも渡辺謙でもないので、
無心でいつもの通りに書こうと、
あたりまえのことを思い出して、
やっと深夜になって、こうして続きを書きはじめました。
梅の木にたとえられた、
ただ「生きて」いるということの実感について語るとき、
恐れや、ぬか喜びと並列に「勇気」をあげていたこと。
なんだかすごいことを言ってるぞ、と思いました。
そうか、「勇気」って、
自分以上の何かへと飛躍しようとする意思なのか。
梅は、「勇気」のような「生への修飾」を
必要ともしないし、欲しがらずに、ただ生きている。
‥‥あの映画の、穏やかで美しい
「けっして強くないラストシーン」が、
なんだか、またよく見えてきました。
また、勝ちと負けの間に引かれる線のこと、
しばらく考えてみたいと思いました。
ほんとは線なんかないのに、あると思いこんでいますよね。
いや、何かを分ける線なんて、ほんとはないものばっかりだ。
国境の線なんか見たことないし、日付を変更する線だってない。
どっちだかわからないことや、どっちでもいいことに、
必死で線を引いて、明らかにしようとしていることって、
いったい何なんでしょうね。
あ、そういえば、渡辺さん、
映画という仕事のなかで「国境」の線をなくしてしまっている。
そのことを訊いてみたくなったな。
『明日の記憶』の原作の書籍を読んで、
映画化したいと思われたのも、
海外にいるときだったんですよね。
次に、メールのとっかりとしては、
「外国」で仕事をするようになってから、
何かが変わりましたか?
というようなことにしましょうか。
ちなみに、ぼくは「国境」の線を
ものすごく意識しているタイプだと思います。
内弁慶というか、アウェイで力を出せないというか‥‥。
いまさら、それじゃいけない、とも考えてないのですが、
もったいないような気がするなぁとは思っています。
では、のんびりと次のメールをお待ちします。 |
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