『明日の記憶』とつきあう。 堤幸彦監督との対談。 「これはぼくのデビュー作です」

 映画やドラマを撮り続けて20年。 それでも堤幸彦監督は、 「この映画は、ある意味でぼくのデビュー作です」 と言い切ります。 渡辺謙というひとりの俳優から生じて 関わるすべての人に伝播していった熱。 50歳にしてようやくできた 「人間を描く」ということ。 これでいいんだと胸を張れるファンタジー。 堤幸彦監督に、さまざま、訊きます。




第1回 『明日の記憶』は自分にとってのデビュー作

糸井 ぼく、わざわざDVDで買うテレビドラマって
あんまりないんですけど、
堤監督の『トリック』
DVDを買って観てるんですよ。
ああ、ありがとうございます。
糸井 で、あのドラマを撮っていた人が、
この『明日の記憶』を撮ったっていうのがね、
考えてみれば、ちょっとすごいなと思って。
プロデューサーをはじめ、
みなさん、最初は心配だったみたいです(笑)。
ま、僕も心配でしたけど。
糸井 え、そうですか。
やっぱり、自分にこなせるのかなっていう、
もう、ほんとに単純な不安がありましたね。
ぼくは、テレビ番組のディレクターからはじまって
ドラマをやったり、映画を撮ったりして、
つくっているものは
だんだん大きくなっていったんですけど、
精神的には、どれをつくっているときも
ほとんど変わっていないつもりでいたんです。
糸井 うん、うん。
でも、この『明日の記憶』は、違ったんです。
だから、この映画は、じつは自分にとっての
デビュー作なんじゃないかと思ってるんです。
糸井 はー。デビュー作。
堤さんは、この作品の監督を
渡辺謙さんから直接オファーされたんですよね。
ええ。お台場で映画観てたら
何年かぶりに電話がかかってきて、
「な、なんスか?」って聞いたら、
「ちょっと読んでほしい原作があって」って。
「わかりました。読んどきます」って言って、
届いたものを読んでみると、これが、すばらしい。
それがはじまりですね。去年の正月明け。

でも、なぜ、ぼくを指名してくださったのかは
正直、いまでもよくわからないんです(笑)。
糸井 ぼくはいま謙さんと
メールでやり取りしているんですけど、そのなかで、
「自分がエグゼクティブ・プロデューサーとしてやった
 大きな仕事のひとつは、
 監督を堤さんにお願いしたことだ」
っておっしゃってましたよ。
ううっ(笑)。
糸井 監督を引き受けるのは
すぐに決断されたんですか。
やりたいというか、
この作品に関わりたいと思ったんです。
いちばん最初に
映画会社のかたに呼ばれたときに、
ぼくは、ふつうに謙虚な気持ちで
「自分の名前を出さなくてもいいです」
って言ったんです。
ぼくの名前を出すと、
イメージがついてしまうんで、
ちょっとじゃまかもしれませんね、と。
そういう話をさせてもらったんです。
糸井 へぇーー!
「名前出さなくてもいいです」っていうのも
できあがった映画を観たあとだとわかるなぁ。
名前は出さなくてもいいけど、
その仕事は、したいんですよね。
そうなんです。関わってはいたい。
だから監督じゃなくてもいいや、くらいな。
ほんとにそういう作品でしたよね。
だから、監督を引き受けるにあたって、
「やるべきだと思うんで、やります」
っていうことを最初に言った。
で、そのあと、映画のホームページに掲載するから
メッセージをくださいって言われたときに
ぼくは「襟を正してやります」って言ったんですね。
襟を正してって、高校球児じゃないんだから、
なかなか恥ずかしいんですけど(笑)。
でも、ほんとにそう思ってたんです。
糸井 はい。
いまもその気持ちは変わらないですね。
『明日の記憶』っていう作品、できたものに対して
襟を正してるっていう、感じはしますね。
糸井 その、何だろう、襟を正させる原因は、
やっぱり渡辺謙ですね、どうも。
そうですね。はい。

(つづきます!)

2006-04-12-WED



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