糸井 |
堤さんは、渡辺謙さんと
以前から仕事をしていたんですか? |
堤 |
『池袋ウエストゲートパーク』と
『溺れる魚』という作品で
ごいっしょしたことがあったんです。
そのときに、まあ、うまく言えないんですけど、
相通じるものがあったんですね。 |
糸井 |
なるほど。 |
堤 |
なんていうんでしょう、
あんなに俳優魂にあふれている人は
見たことがない。
それでいて、決して視野が狭くない。
そういうところに、すごさを感じるんです。 |
糸井 |
そうですよねぇ。 |
堤 |
だから、謙さんがハリウッドで評価されるのも
ぼくはぜんぜん不思議じゃないんですよね。
ほんとうによくできた、尊敬できる人ですから。
今回、謙さんから連絡いただいたとき、
すごく不安もあったんだけど、
「謙さんがいるから大丈夫」
っていう気持ちがあったんですよね。 |
糸井 |
なるほど。
あの、誤解されると困るんですけど、
謙さんのなかにも、
そういう気持ちはあったんじゃないですかね。
その、「監督の相棒としてオレがいるぞ」
っていうような。 |
堤 |
あ、それはありますよね。 |
糸井 |
エグゼクティブ・プロデューサーとして、
うるさく言うということでもないでしょうけど。 |
堤 |
うるさい、ということではないですね。
でも、あの、関わりかたとしては
‥‥すべてですね。 |
糸井 |
「すべて」。 |
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堤 |
はい。関わるものすべてに関して、
意見を出し合い、議論し、共感し、反発し、
みたいな感じでずーっと進んでいく。
それは非常に、気持ちよかったですね。 |
糸井 |
謙さんとメールのやり取りを
しているとわかるんですけど、
あの人は「はだかで突進してくる」
みたいなところがありますよね。
こう、真正面からぶつかってくる。
そういうメールを受け取ると、
感動するのと同時に、
返事を書くのにすごく心の準備がいるんですよ。 |
堤 |
ああ。 |
糸井 |
たぶん、堤監督も、その
謙さんの「はだか」と
正面からつき合っていったわけで。 |
堤 |
そうですね。いろんな意味で、
自分の検証をしなくちゃいけなかったというか。 |
糸井 |
うん。 |
堤 |
まぁ、ちょうど自分も50歳だし、
主人公の役も50歳だし。
日本が経済的に高陽したあとダメになって、
ぼくらの年代の人間も
ゼロからいろんなことをはじめて、
バブルがあって、またダメになって、そんななかで、
「つぎ、どうすんだよ?」っていう気持ちもあって。
ぼくらの上の世代、いわゆる団塊の人たちに向けて、
何か作品を作るべきなのかって意識も
ずっとあったんですけど、
その端緒も簡単には見つからなかったし。 |
糸井 |
ああ。 |
堤 |
そういう意味では、
この『明日の記憶』っていうのは
いろんなことがぜんぶ幸福なかたちで
合体したようなイメージなんです。
といっても、実際の作業は非常に複雑で、
自分のほんとのレベルを
毎日、試されるような感じでしたけど。
‥‥恐怖と快感。
どっちかと言うと、快感が増えてきて、
「もっといじめて!」みたいな(笑)。 |
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糸井 |
や、わかります。それはちょっと。 |
堤 |
たとえば通常だと、
撮影スタジオって9時に入るんです。
だいたいぼくは20分くらいまえ、
8時半くらいに行く。
でも、もういるんですよ、謙さんが。
「監督、今日、ここなんだけど、ちょっと読むね」
って言ってセリフを読み始めて、
「こうしましょう、こうしましょう」
って言ってるうちに撮影がはじまっちゃう。
で、つぎにぼくが8時に行って待ってると、
今度は謙さんが7時50分くらいにいらっしゃって、
だんだん早くなっていって、
誰もいないところに2人でずっといる
みたいなことが、しばらく後半続いて‥‥。 |
糸井 |
はーーー。 |
堤 |
ただ、その、
本番がはじまるまえの1時間の、
脚本や、今日の意気込みみたいなものの確認、
そういうものに関する切磋琢磨が、
なにか、この作品の、
ちょっとした原動力になってると思うんです。 |
糸井 |
ああ、それはそうでしょうね。 |
堤 |
その熱みたいなものが、スタッフや、
キャストのみなさんに伝播していって。
ほんっとに、得がたい経験でした。
撮影ってこういうことなんだって。 |
糸井 |
ないでしょう? そんなことって。 |
堤 |
はい。ないです。 |
糸井 |
ねぇ?
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(つづきます!)
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